物思いはいつも突然に
垣内 志織(4年/スタッフ/筑波大学附属高校)
自転車が好き。無心で足を回し続け、ほおに冷たい風を受け、人の波を避けながら気づけば目的地へ運んでくれる。徒歩より速くて自動車よりシンプルだ。
だから二駅先の大学へも自転車を飛ばす。そのうちその先にいけると信じながら。
自分には過去を振り返る暇などなく先を見据えるのみだと考えて、秀悦な文章も書けないからfeelingsを書かず卒部しようとしていた矢先のこと。
今私はニュージーランドで滑り込み留学という名の最後の長期休暇を楽しんでいる。
ホームステイ先はオタゴ半島の絵に描いたような丘の上にあり、北に行けばオタゴ湾が広がり、南に行けば太平洋に出る。斜面には無数の羊が崖にしがみついて毎日を生きていて、早朝にはカモメの大群がとんでもない奇声を発して飛んでいる。家の庭にいる5羽の鶏は多分餌のことで脳のキャパの9割を使っていて、見ているとなんか癒される。そんなところで1ヶ月過ごしている。
ある週末ホストファミリーが自転車を貸してくれた。ついでにボディーボード(腹ばいで波に乗る板)も借りてルームメイトと海に行くことにした。最初に発生した問題は巨大なボディボードをどう運ぶかで、背中に巻き付けてみたり、片手運転を試みたりしたがどれも上手くいかず、結局荷台にたった一本のゴムで結びつけて出発した。
3月の南半球の気温など想像する人は少ないだろうが、意外と寒い。3+6は9だから日本の9月か、暑いじゃん!という単純計算により半袖しか持ってきてこないに至った私には、オタゴの風は冷たく染みた。
第二の問題は肝心の自転車だった。ビーチまで片道1時間弱のライド中、自転車は絶えず情緒不安定だった。チェーンは突然外れ、かと思ったら急にバイク並の速度で飛んでいく。うまく取り付けたと思ったボディボードも、自由気ままに荷台から外れその度に自転車を止め、くくりつける必要性に直面した。それでも丘を全速力で駆け降りた時は幾度となく高揚感に包まれ、あたりに人がいないことをいいことにメーと叫び、羊を揶揄いながら爆走するなどした。
海も当然冷たかった。西洋人は比較的寒さに強いらしいが、その西洋人ですら誰も泳いでいない海に、服のままばちゃばちゃ入って、ボディボードを楽しんだ。びちょびちょになった服を浜辺で乾かしていたら日が傾いてきたので、降ってきた丘を今度はペダルを全力で踏み、時に汗だくで押して、90分後にようやく家の前に着いた時にみた夕日はきっと忘れない。
生きているという実感を得た。
今までもそういうことは度々あった。そしてそれは、例えば幾度か訪れた京都で美しい寺院を見た時よりも、突然の豪雨の中、碁盤の目を全速力で駆け抜けた時に感じたし、レストランで誕生日を祝ってもらった時よりも、いつの日かのキャンプファイヤーでそこら辺に落ちている枝にマシュマロを突き刺して焼いて頬張った時や、流しそうめん台を竹で手作りし、河原で絶妙な味の素麺を流した時に感じたものだった。
こうした経験に共通しているのはなんだろう。自然との接合面が大きいことか。実際「自然」が好きだと思う。でもサイクリングもマシュマロも素麺も因数分解すれば必ず人工物は存在していて、究極の自然ではないのだとも思う。
自然の有無が重要なのではなく再現性の有無が重要なのではないかと気がつく。高級料理店の味は季節で変わっても安定して美味しいことが確定しているが、自然は常に変わり続け予測ができないことが多い。予測できないから思考が働き、体が高揚し、感情が動き、記憶に刻まれる。
高級レストランや歴史的建造物に満足すれば、そこに存在している限り足繁く通えばいいが、オタゴのあの丘で、オンボロの自転車を漕ぎ、あの家に戻って夕日に目を細めることは出来ないだろう。というか同じことを繰り返さないように工夫すると思う。
大人になるとつまらなくなる、とか言われるのもそのためな気がしていて、経験が蓄積されて先を予測できるようになり、お金があるから先手を打って予防する。予想外のことが起きる前に自ら阻止するようになる。それはそれで社会人として大人として重要なことだし、再現性がないことの連続はポジティブではない。
でもでもと考える、つまらない人生にしたくない。でもでもでもそのコンマ1秒後には大丈夫だと思う。後多くて70年の寿命では吸収しきれないほどあまりに何も知らなすぎる。社会に出ればもっと知らないことに遭遇する、だろう。知らないことは至る所に転がっている。
これは社会人といって想像される、「仕事」以外にも当てはまる。
オートバイの楽しさを知っている人からすれば、自転車にしがみつく私は大層哀れだろうし、サーファーからすればボディーボードなんてただのビート板だろう。ニュージーランドで、それはそれは美しい星空を見れたが、ウユニ湖もトルコの気球もサバンナの景色もまだ知らない。
知らないのは美しい景色だけではない。一つの例は人で、これからどういう人に出会い、何を感じるかは未知だ。
この文章は最後にア式と過ごしたグラウンドにたどり着く。知らないことは身近にこそある、それがこの部活で気付いた一つの結論だ。
マネージャーは何をしているのかとよく聞かれた。ボール拾いに水汲み、なんて単純作業と思われるのが嫌で、どっちかというとスポンサーを探すのが主なんだよね、とかカッコつけて言っていた。
でも、何回目の「でも」かわからないでもを繰り返す。
マーカーに目を向けてみる。これをこうしたらもっと選手が移動しやすいんじゃないかと気づく。ほったらかしにされたユニフォームが次のコートに被ってるじゃんとか、この選手はゴールに向かう姿勢が足りないなとか、この選手は知覚過敏だからボトルに氷は入れないほうがいいとか、知らなかったこと、予想していなかったことにたくさん気がつく。その小さな感情の揺らぎの蓄積はやってない人には分かんないよと1番尖ってる部分の私は言う。
逆に私は起業とか、長期留学とか経験してないから知らないし、でもできる限り知りたいと思う。
時間が有限でその時の自分は一つの道しか選べないなら、後ろを振り向かず、選んだ道に落ちているたくさんの知らないことに目を向けてみよう。些細なことに拘ることは、余裕がなくなるほど難しくなるけれど、そう言う時こそ近くにヒントは落ちていると信じている。
そう思えるのも環境と人に恵まれているからだと思う。
ここで感謝を表したい。
そんなことを考えて書き連ねていたら、ちょうど夕飯の時間になった。
垣内志織
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