コンプレックス

榎本健(4年/DF/暁星高校)


偶然の出会いだった。



”小学校に野球チームがない”
ただそれだけの理由で、憧れだったイチローのユニフォームを投げ捨てて、友達の多いサッカークラブに入った。


物事のきっかけなんて所詮はそんなもので、もしメジャーでホームラン王を獲る日本人でもいたら、わざわざ隣町の野球チームまで通っていたかもしれない。


ただあの日からの16年間を振り返って言えることは1つ


出会えたのがサッカーでよかった。










大学でもサッカーを続けたのは、サッカーを諦めきれなかったから。



亡き父が教鞭を執っていた暁星は、レベルの高い環境だった。


中学入学時、サッカー部の同期が45人いた。

逆足で100回リフティングできるまで、練習に参加させてもらえなかった。

赤点、スマホ没収、教師への悪態など、同期の失態で何度も走らされた。

合宿で「水分は米で取れ」と言われ、1時間後の練習で全て戻した。


それでも純粋にサッカーが楽しかった。全てが良い思い出だった。



いつからだろう。いつからか、競争に疲れ、走りに嫌気が差し、勉強を言い訳にサッカーから逃げる自分がいた。


“東大に受かるには、サッカーを諦めなきゃいけない”
そう信じていた。いやそうやって自分を納得させるしかなかった。


そうじゃないと、自分を否定することに繋がるから。



ただ一方で、サッカーを諦めきれない自分もいた。


小学校からずっと続けてきたサッカー、自らの一番のアイデンティティをこんな形で終わらせる訳にはいかなかった。


気づけばサッカーを続けるために、東大を目指していた。サッカーをもう一度やり直せる場所は、ア式しかないと思った。










だから東大入学後、迷わずア式に入った。



ア式に入って一番ショックだったのは、みんなが受験など物ともせず、真摯にサッカーに向き合ってきたこと。

暁星でもその両立が可能なことは、すでに鹿島田さんや荒が証明している。


まるで高校までの自分を否定されているようだった。


けれどそんなことは、大学でサッカーを続けるにあたって関係なかった。
サッカーを諦める理由になんて1ミリもならなかった。


とにかく努力するしかなかった。










さて、ア式での4年間、この覚悟に見合う努力ができただろうか。



結論から言うと、大学での4年間が、自分の人生で最もサッカーに真剣に向き合った時間となった。


ただこれは自らの覚悟ではなく、毎日練習を撮影しFBまでくれるテク、練習をサポートしてくれるスタッフ、新たな発見をくれる指導陣のおかげだったと今になって思う。

本当に”最高の環境”だった。



じゃあその覚悟に見合う結果が出せたかというと、全くもって出せなかった。


結局、大学での自身の努力量は、周囲の努力量に相対的に及ばなかった。

高校まで当たり前のように努力してきた奴に負けることは、ごく自然なことだった。










最終シーズン、本気でリーグ戦に出れると思っていた。

なんなら本気で「関東昇格」を目指せると思っていた。



結果は遠く及ばなかったけど、今でも別に楽観的だったとは思わない。

1年次からチームを支えてきた谷と北川がラストシーズンを迎えること、関東3部の新設により東京都1部のリーグレベルが落ちたことを考慮すれば、真っ当な目標だった。



自分の目標に関しても、それは同じ。

1個上の代が引退した後の東京カップ、初めて公式戦に出場した時のあの高揚感をもう一度味わうために、自身の全てを捧げようと思っていた。

“3年間ロッカーを共にした主将の隣で、毛深い親友からスタメンを奪い、リーグ戦に勝利する”

そう心に誓っていた。










2024年の始動から1ヶ月間、その夢を叶えるためのチャンスを徹さんからもらった。


ただそのチャンスも、2月の玉川戦での怪我により簡単に手放してしまった。

奇しくも、その1年前に後十字靭帯を損傷した日と同時期だった。



当初は2週間程度で治ると思っていたが、結局試合への復帰に3ヶ月を要した。


当初の予定より復帰が長引いた理由は明白で、捻挫をした当日から3日間、脚を引き摺りながら韓国旅行を敢行したことだった。

米さんにも止められ、流石に旅行を断念することも考えたが、往復5万円の航空機代をドブに捨てる訳にもいかなかった。

ただマッコリを飲んだ自分だけは殴りたい。マッコリより甘かった。


ちょうど1年前、後十字を損傷し、脚を引き摺りながら披露した追いコンの漫才を思い出した。

自分はそういう運命なんだと悟った。










4月、リーグ戦が開幕した。



自分が出るはずだった試合が1試合、また1試合と過ぎ去って行き、焦りを感じた。


居ても立っても居られず、トレーナーの大智に嘘をついて復帰時期を早めた。
プレーをする内に、痛みも減っていくだろうと思っていた。



しかし痛みは減るどころか、むしろ悪化した。


痛みを抱えた自分が、3ヶ月間新監督の下で成長した周囲についていける訳もなく、コンディション不良を理由に育成への降格を告げられた。



もっと焦った。



一刻でも早く、Aチームに戻りたかった。だから、痛みが引くまで休むという発想はなかった。


そしたら、金曜日の前日練習でまた捻挫した。今度は外側ではなく、内側を捻った。



翌日、試合前のアップをする育成をピッチ脇で眺めていると、涙が止まらなくなった。
22歳にもなって、人前で涙を流すとは思ってもいなかった。



開幕から3試合、まだチームに勝ちはなかった。
そんな現状を何とか打破しようと、奮起する同期や後輩たちの姿があった。

その輪に加わることもできず、ただ外から傍観するだけの自分に、チームにいる意味を見いだせなくなった。

「あー、俺何やってんだろう」そんな想いから溢れた涙だった。










それから1ヶ月半後、何とかAチームに昇格した。早くもセミが鳴き始めていた。



しかし久しぶりのAチームは、もはや自分の知るチームではなかった。

自分より遥かに上手い新入生が居た。きっかけを掴んだ後輩たちが居た。チームの責任を一手に引き受ける同期の姿があった。



このままでは居場所はないと思った。だから必死にもがいた。


いや、ちゃんともがけていただろうか。ただ荒波に揉まれ、溺れていただけかもしれない。



もしあの時、自分がプライドを捨て、文字通り”全て”を捧げていたら、誰かが助け舟を出してくれたかもしれない。

けれど、自分にはそれができなかった。


練習がない日は家でゲームをしていた小学校時代
「塾の宿題があるから」と自主練を避けてきた中学高校時代


結局、自分のサッカーに対する態度を根本的に変えることはできなかった。










たった1ヶ月後のリーグ戦中断期間、将来有望な後輩と入れ替わる形で再度育成に落とされた。


わかっていた。もう完全に心が折れていた。










そこからの3、4ヶ月は、あっという間だった。



正直、週6日グラウンドに足を運ぶだけで精一杯だった。
それ以上何かしてやろうという気力は残っていなかった。


それでも、心のどこかに、まだリーグ戦に出たいという想いは残っていた。
けれどもそれは、吹けば飛ぶような淡い灯火だった。










気づけば、チームは激しい嵐に晒され、今にも沈没しそうだった。

シーズン前に掲げた”昇格”の2文字は、”降格”に置き換わっていた。

目を凝らして見ると、「自分たちが沈める訳にはいかない」と命を懸けて舵を取る同期の姿があった。

それを自分は、安全な岸辺から見守るほかなかった。



もう少し目を凝らすと、同じく必死に荒波に立ち向かう高校同期の姿があった。

自分と同様に大学でもサッカーを続けた暁星出身の奴らは、みんな当たり前のようにピッチに立っていた。

一橋戦ともなると、両校合わせて5、6人がピッチに立つことさえあった。

その様子を眺めることしかできない自分が、シンプルに恥ずかしかった。



居ても立ってもいられず、外の世界に飛び出した。

けれど、やっぱり自分の一番のアイデンティティはサッカーだった。

当然の如く、自分に関する話題はア式やサッカーが中心になった。

チームの状況を、どこか他人行儀に話す自分が嫌いだった。



疲れ果てて家に帰ると、母の姿があった。

「自分が試合に出る時は呼ぶ」と告げて以来、一度も招待したことはなかった。

慣れないSNSから情報を得て、育成の試合の配信を見てくれていることは知っていた。

シンプルに情けなかった。



気づけばまた、サッカーを嫌いになっていた。










引退して早4ヶ月、意外にも楽しい毎日を送っている。



アラームをかけずに昼寝するなんて考えられなかった。

土日はサッカーに費やしていたから、テレビに映るコナンやサザエさんが新鮮だった。

これから先を一緒に過ごしていくであろう新しい仲間にも出会えた。



卒部feelingsを書いていると、”この4年間は果たして正解だったのか”という問いを突きつけられている気分になる。



もしこの4年間をもう一度やり直せるとしたら、どうなっていただろう。

今と全く同じ結果になっていた気もするし、もう少しだけ良い景色を見られた気もする。

どちらにせよ、未練が残っていることに変わりはない。



淡々と書き進めてきたが、やっぱり書けば書くほど悔しさが滲んでくる。

現役の時、毎日味わっていたあの何とも言えない劣等感。思い出したくなかった。

だって、”高校までの悔しさを糧に大学サッカーに挑戦したけど、もっと悔しさが増しました”って、そんなbitterな話ある?



どうやら、僕は16年間かけて壮大なコンプレックスを育て上げたようだ。










けどこれだけは言える。



ア式に入ってよかった。あの決断だけは、全く後悔していない。



ア式は、サッカーがどれだけ素晴らしいものか教えてくれた。


“正体する” “辺に立つ”といった言葉は、自身のサッカーに対する見方を変えてくれた。

ロドリがなぜ代えの効かない選手なのか、何度も思い知らされた。

大学に入ってからまだ上手くなれるなんて、思ってもいなかった。



”サッカーを嫌いになった”なんて書いてしまったけど、あれは結果が出てない時の一時的な感情です。

総じてもっと好きになれました。

だから社会人になってもサッカーは続けます。










そして、素晴らしい仲間と出会えた。



先輩たちへ


いつまでも僕の憧れでした。

たくさん奢ってもらいました。
僕もそこそこ奢りましたが、今でも収支はプラスだと思います。

竹さんから譲り受けた背番号2を永久欠番にしてごめんなさい。
未来ある後輩が受け継いでくれて、安心しています。



後輩たちへ


君たちにどう映っていたのかわからないけど、少なくとも僕は物凄く楽しかったです。

ア式にはロマンがあります。そのロマンを追い求めてください。

ただ背負うものが増える分、辛い時間も増えると思います。

どうか自分がサッカーをする原点を忘れないでください。



同期へ


全てを背負って戦う君たちを見て、頼もしく感じました。

欲を言えば、僕もその傍で一緒に戦いたかったです。

一番身近なお手本でした。本当に尊敬しています。

106期でよかった。幸せでした。










最後に、サッカーを通して関わった全ての方々へ


本当にありがとうございました。










ア式に出会えてよかった。



サッカーに出会えてよかった。



青春でした。

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