サンチョとガルナチョのユニなんて買わなきゃよかった

一井駿之介(1年/FW/海城高校)


こんにちは、1年FWの一井駿之介です。
 
先輩方の「Feelings」を拝読していると、サッカー人生の歩みやア式蹴球部に入るきっかけについて書かれているものが多く、おもしろくてつい読み漁ってしまうのですが、僕のサッカー人生はここからがクライマックスであることを信じ、皆さんに紹介するのを現段階では保留した上で、代わりにせっかくいい素材を持っているということで、もう経験することはない、人より長い浪人期間について部分的に抽出しながら軽く文字に起こしてみたいと思います。
 

まず、現役、余裕落ち。合格最低点との差は軽く50点はあった。

悩んだ末の浪人決意ではなく、夏くらいからたぶん浪人するだろうなと感じていた。考え方が田舎い、本当に。中高一貫私立男子校は浪人がそこまで卑下されないのは事実だが、それを当然だと考える人はごくわずかだろう。
 
こんな具合で浪人生活が始まったものだから、駿台お茶の水校舎での勉強姿勢はというと、謂わば現役の延長線上でしかない。たしかに表面上では授業にも出席するし、模試の復習もするし、自習室にも籠っている。けど、なにか決定的に不足していた。後でその重要性に気づかされることになる、物事に対する必死さだったり、後がない緊張感だったり、細部まで突き詰めるこだわりだったりは皆無だった。
 
得たもの言えば、お茶の水周辺のグルメ知識ぐらいだろうか。一浪目は仲の良かった高校同期も一緒だった。僕らは午前コマがなかった毎週木曜正午に校舎玄関前に集合して、周辺で昼飯を食べていた。時に神保町まで足を延ばして。選んだ店の匂い、舌に残るメニューだけが、あの単調な一週間を延々と繰り返す僕らにとって、時間の確かに進んでいくことを文字通り五感で感知できる証であり、先週と今週を分かつ、確かな進軍の記録だった。文字量稼ぎに三か所だけ軽く紹介させてください。
 
まずはおにやんま。チェーン店らしいのだが、お茶の水駅前にあるこの店のコスパ最強のうどんに加えてサイズのあるかしわ天は病みつきで食べた回数で言うとここが最多だ。最近寄ったら店員が外国人になっていてなぜかとてもがっかりした。残念だ。
次にまる香。ここもまたうどんの店で神保町の方にあるのだが、独立店のまる香はうどんとしてはいい値段がする分、今まで食べたうどんの中で一番こだわりを感じる店だった。何より、この店の名物のちくわは僕のちくわへの苦手意識をなくしてくれたので大感謝。店内での写真撮影禁止ってのも他とは一線を画す感じがあっていい。
最後に一番のおすすめ豚野郎。おにやんまの隣に位置するこの店が個人的には僕のお茶の水飯第一位。炭火で焼いた脂ののった豚、うな重で出てくるようないくらあってもいいタレ、ちょっと固いお米、店内の雰囲気。バカ美味かった。自分がグルメになった気分にさせてくれた。お茶の水に寄ることがあったら行ってみてください。
 
話を戻そう。
 
落ちた。数点差。ここで、ようやく、ついに、初めて、さすがに「まずい」と感じた。このままだとくそしょうもない大人になってしまう。「もう1年だけ、どうか」と母に懇願した。この懇願の最中こそが、自分がどれだけ恵まれた環境にいるのかやっと気づけた瞬間だった。先に述べた自分に足りなかったものにもここで気が付いた。改めて気づくのが遅い、遅い、あまりに遅い
 
浪人に限らず「気づくのが遅い」というのは今までの僕の人生を表すのにもっともしっくりくるフレーズだ。言動の後に「今の言わなきゃよかった、やらなきゃよかった」と後悔することは今でも多々ある。私立校の出願日を知ったのが出願日前日だったことは何度かある。出願日を過ぎてから出願が締め切られたことを知ったことも。今のフットボールでの個人の技術的な課題は、ボールに対する準備の遅さ、守備の切り替えの遅さだ。
 
もう一つ思い出した。
高校の部活での練習時、理由はもう覚えていないが、すごくイライラしていた。僕にとってはよくあることだ。そのイライラは八つ当たりという形で表れ、当時後輩だった今は先輩の田島に、アフターでタックル。僕の記憶ではその後さらにキーパーのOに足裏を向けてスライディングし、そこで顔を上げると顧問と目が合ってしまった、、、「しくった」これが今も鮮明に覚えている直後の僕の感想だ。
部停をくらい、直後は同期にも後ろめたさからあまり話せず、つまらない生活を送っていたが、同じクラスの仁が普通に接してくれてたのは割とガチで感謝しているところ。この場を借りて改めて、ありがとう。
そしてずっと言えなかったけど、たじ、きしょいことした、ごめん。
 
少しまじめな話を挟むが、そもそも自分の環境がどれだけ恵まれているのかを理解できていない人間に、物事に対する必死さだったり、後がない緊張感だったり、細部まで突き詰めるこだわりだったりなんて実践できるわけない。恵まれた環境の中では、僕らはどうしても安全地帯にいる感覚に陥ってしまう。もし失敗しても、やり直せる場所がある。もし手を抜いても、誰かが支えてくれる。そうした無意識の安心感が、僕らから物事に真摯に向き合う後がない緊張感を奪ってしまう。一浪は当たり前、という考え方も、その安心感から生まれていました。そういったことが僕には理解できてなかった。一浪は当然だと思ってた。苦労すんのは自分だけだしまぁいいかと。なんで周りの人間が変わらず自分に接してくれると勝手に思っていたのか、幸い今の僕には理解しかねる。
 
この遅すぎる自覚が僕に与えた二浪目という猶予自体はみんなが期待するほど面白いものではない。もう転換点過ぎてるし(ドヤ)
(二浪目は駿台が2年連続での東大受験用のクラスへの参加を受け付けていなかった都合で河合塾本郷校へ完全移籍。)
 
ただ、自分なりに新しい試みはいくつか始めてみた。例えば、世界史の勉強は本だけで勉強する、とか古文は解いた文章すべて逐語訳までやる、とか小説読む、とか日記をつける、とか。全部最後まで続けた。これが果たして正しかったのかは分からないが、今僕が大学に通えてるってことは、そんな的外れなことでもなかったんだろう。
 
勉強以外でひとつ紹介しよう。高校の友達と頑張っていた(?)一浪目と違って一人になった僕は、まず、4月時点で今年は校舎で生徒の誰とも話さないと決意した。決意とは言っても、そうすれば集中できて成績が上がる、誘惑が減る、などとご立派なことを考えていたわけではなく、なんか面白そうだったから。予備校で誰ともしゃべってない奴、ちょうどいい感じにキモそう。そんな具合だったと思う。4月は余裕。周りもそんなしゃべってないし。5月も耐え。6月になるとみんなそれぞれ仲がいい人ができてくる。夏期期間に入った7月、休憩スペースで夏休みの旅行計画を立てている話が聞こえたときは全部放棄したくて仕方なかった。8月もそんな感じが続き、気力が失せていくと日記にも書いてある。けど9・10月に模試が返ってくると、自分がやっていることはそんな間違ってもないんかと思わされ、それだけで以って失せていく気力とシーソーゲームを繰り返しながら2月24日まで放棄せずに済んだ。実際、前述の縛りは達成。Sセメのスポ身でとある人に「本郷校にいたよね」と言われたときはなぜか嬉しかった。こちらも相手の顔は軽く覚えていた。
 
2年間の浪人期間が僕にとって有意義だったかどうかこの口では断言できない。口先ではこの期間についていろいろと根拠のないことを言っているし、いじりに対しては自虐的にツッコむこともある。だけど、僕はこの2年という長い時間を絶対に否定はしたくない。なぜなら、この異質で無駄とも思えてしまう時間こそが、僕の人生の歪みかかった土台を静かに、そして強固に築き上げなおしたものだと信じているからから。結果がどうであれ、この期間を生きたという事実は、誰にも、何にも侵されない刺青にも似た矜持として、これからの僕を支え続ける。
 
最後に少しだけフットボールと繋げよう。東大ア式蹴球部は恵まれている環境のはずだ。フルコートを2つも使える、1人1つロッカーが設けられた部室がある(早く自分のロッカー探さないと)、スポンサーが付いてくれる、etc.。特にプレーヤーである僕はいろんなスタッフのサポートを受けながら自分の一番好きなことに向き合える。間違った言い方かもしれないけど、多くの人に迷惑をかけている。だからこそ僕は、細部にこだわってフットボールに全力で向き合わなきゃいけない。「なぜ大学に入ってまでサッカーをするのか?」なんて「みんなとサッカーをするのが楽しいから」で十分だ。謙虚でありながら傲慢であれ。そんなかっこいい心持が来年以降も、願わくは今後3年間と半年、僕の中にあることを期待しよう。
 
ご精読ありがとうございました。報告とかくそほどもいらないです。まして感想なんて。
 

追記:ラッシュフォードのユニを最後まで買わなかった自分を褒めたい


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