捲土重来

福島惇太(1年/MF/水戸第一高校)


 現在818042分。Feelingsの提出期限は817日。まずい。初めてのfeelingsのテーマを何にしようかと悩んでいましたが、自己紹介も兼ねて今までの人生を振り返っていこうと思います。
 
 20061029日、神奈川県で生まれました。生後数ヶ月まで神奈川県で過ごした後、東京に引っ越し1~2歳前半の間は家の近くの保育園に通っていました。当時の記憶は少ししか残っていないので特に書くことはありません。そして、2歳後半ごろになると茨城県に引っ越し、そこの保育園、幼稚園に通うことになります。その幼稚園にサッカークラブがあったので、年中の頃、つまり4,5歳の頃にサッカーを始めました。今まで13,4年間サッカーをやっていることになるわけです。
 
 ここで僕の人生の第1タームポイントとなる小学校編に入ります。無事卒園し、国立の小学校に受験をして(受験と言っても勉強ではなくコミュニケーション能力のチェック)入学しました。家から徒歩5分ほどの距離に別の小学校があったのですが、わざわざバス通学で30分ほどかかるこの小学校を選んだのは親でした。親のこの決断にはいくら感謝してもしきれません。1年生の間は特に何事もなく時が過ぎていったのですが、2年生になり異変が起きました。起きるたびに頭が痛く、なかなか学校に行くことができなくなったのです。当時は週に3日学校に行くようなペースだったと思います。この調子が3年生まで続きましたが、原因は不明でした。4年生になった頃、Nintendo Switchを買ってもらったことをきっかけに卒業までほとんど学校に行かなくなりました。この時は朝10時に起きて、家から出ずにゲームをし続け夜10時に寝るという生活をずっとしていました。この期間は頭痛もそれほどひどくなくとても楽しかったのですが、今振り返ると当時の親はかなり不安な気持ちだったと思います。ごめん。実はこの少し長すぎるように感じる睡眠時間が後々の伏線となってきます。ちなみに小学生時代は地元のサッカー少年団に入っており、週1くらいで行っていました。
 
 人生第2タームポイントの中学校編です。中学校は倍率が3倍ほどの地元の頭のいい人がこぞって受ける中学校に小学校からのエスカレーターで入りました。一応受験はしたのですが、ほとんど白紙提出だった気がします。中学でも相変わらずサッカーを続けており、サッカー部に入部しましたが結局あまり学校には行かず不登校フレンズと朝から晩までゲームをしていました。少年団、中学サッカー部どちらでも10番だったのであまり行かなかったことを申し訳なく思っています。状況が変わったのが中学3年生になった時、周りが徐々に受験を意識し始めていきました。先述した通り、中学から受験で入ってきた人たちは倍率3倍の壁を突破してきた人たちなので頭が良く、それに引っ張られて内部進学の人たちも頑張っていたので県内一の進学校や都内難関高校を志望する人がかなりいました。仲の良かったサッカー部の人たちも例外ではなく、その県内一の進学校を目指していました。そんな中、小2から勉強を放棄していた僕は進路をどうしようか悩んでいました。ここで僕を勉強へと向かわせる出来事が起こります。ついに父親にSwitchをぶっ壊されました。当時はかなり怒りましたが、今は心の底から感謝しています。これを機に勉強をして県内一の進学校を受験することを決意。7月ごろから怒涛の勢いで小学校・中学校範囲の勉強を終わらせ、10月の実力テストでは学年1位を取ることができました。この成功体験から勉強にハマり、受験も無事第1志望に合格することができました。その高校は学年最下位レベルの内申点でも人より高い点数を取れば合格できる仕組みがあったのでとてもラッキーでした。この時点ではまだ、頭痛の原因は不明のままです。
 
 最後に高校編です。中学で仲の良かったサッカー部の人たちがほとんど同じ高校に進学したので、そのまま高校でもサッカー部に入部しました。小、中学生の頃のように緩く適当にサッカーをしていこうと軽い気持ちで入ったのですが、そう甘くはありませんでした。顧問がとても厳しく、社会と人生を舐め腐っていた僕の歪んだ性根を真正面から叩き潰してきました。僕が今、辛うじて人間社会に溶け込めているのはこの顧問のおかげに他なりません。今のところ高校サッカー部の友達が一生の友達になる気がしています。話は変わって高校2年生、謎の頭痛の原因が判明します。保健室の先生が以前同じような病状の生徒を見たことがあり、その生徒は睡眠が原因だったということで睡眠外来を紹介してくれました。そこで色々と検査を受けた結果、特発性過眠症という診断を受けました。簡単に言えば人よりたくさん寝ないと活動出来ない病気で、無理に睡眠時間を削って動くと頭痛が起こるそうです。よく考えたら、112時間以上寝ているのにどうして睡眠に何か異常があるという考えに思い至らなかったのだろうと思います。そんなこんなで薬を飲みつつ、(若干の不正も挟みつつ)なんとか高校を一度も留年せずに卒業することができました。受験に関しては特に何もなかったので書くことはありません。
 当時、中2で不登校のゲーム依存症が現役で東大に行くと想像できた人がいたでしょうか。このように人は自分でも驚くくらい変化することができます。このfeelingsを読んで何かに挑戦しようと思ってくれた方がいれば嬉しいです。
 
 現在818226分。眠すぎて回らない頭で書いた文章ですが、ここまで読んでいただきありがとうございます。

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