未だ見ぬ思い出 期待だけはさせてね

長田夕輝(3年/MF/公文国際学園高等部)


12月某日。



室内履きをロッカーにしまい、部室を後にする。年内のチームの活動は終了したが、御殿下ジムには変わらず通っている。むしろ、週末の試合を気にする必要がないため、深く考えずに追い込めている。


東大前駅に着き、いつものように階段とエスカレーターを降りる。そして日吉行きの電車に乗る。ほとんどのア式部員が溜池山王までで降りるのに対して、僕は普段45分ほどかけて一気に終点まで南下して、次の電車に乗り換える。長いが、高確率で座れるので、悪いことのみではない。


今日は座れなかった。まあそんなことは別にどうでもいい。


本日の乗車時間はたったの3分。1駅隣の後楽園駅で降車。






とにかくソワソワする。






地下深すぎる南北線のホームから脱出し、改札の外へ。するとすぐ目の前に今日のお目当ての会場が。




人の群衆がその白いドームに吸い寄せられる。僕もその一部になる。






Mrs. GREEN APPLE初の東京ドーム公演。





僕よりも強く、また長い間愛している人たちが世に山ほどいるなか、今やチャート上位を独占する彼らを好むミーハーな奴と思われるのはどこか癪である。


なので、あまりペラペラと口外していないが、僕はとにかく彼らの楽曲を愛している。


暇になったコロナ禍初期、彼らが活動を休止したらへんから、Apple Musicを漁るうちに一気にハマり、高校3年間は全曲を1つのプレイリストにまとめて、狂ったように聴いていた。彼らの楽曲を聞けば、高1以降のあらゆるシーンを呼び起こすことができる。





僕はいつも、何かにハマっても数ヶ月もすれば熱はおさまってしまうことが多い。めっちゃいいな、と思って聴き始めた楽曲も、しばらくすればプレイリストから消えている。長い間気に入っているものであっても、それを僕よりも追っかけている人たちはいくらでもいるし、彼らと同じように好きと言えるか自信はないことが多い。例外は、物心がついた頃から兄の影響で見ていたリヴァプールくらいだと思う。奴らは死ぬまで愛している。


だからこそずっと、お金をかけてファンクラブ会員になることに抵抗があったが、いくら聴いても熱が冷めず、一般募集だとLIVEのチケットが当たりそうになかったため、1年前、加入を決意。そしたら会員になって初めての応募で当選。なんかあっさりいけたな。




会員限定募集は、複数人で応募する時も全員が会員でないといけない。


ただ、僕は普段から人を誘って断られることを恐れてしまうタイプだ。


逆に誘われれば、基本は嬉しくて飛びついて行く。僕の大学生活を彩ってくれた恵まれた人間関係は、この異常なフッ軽のおかげで構築できたものだと言える。



とにかく、典型的な誘われ待ちなので、初めてにしてソロ参戦となった。






ドーム前で記念の自撮りを試みたが、人が溢れかえるなか1人ではあまりに心が落ち着かない。迅速な撮影に集中しすぎて半開きの口から前方に緩んできた舌に気づくこともなく、どこに載せることもできない記念写真が完成。



先が思いやられる。



自席があるアリーナへ。端の方だったが、前から15列目でステージから結構近い。


ナイス席運。気分は高揚する。


ただ話す相手もいないので、イヤホンで自分の世界に入り、開始まで曲を聴いて待つ。





開演。





気づいたら終わっていた。




最初出てきて歌い出した時はマジで嘘かと思った。




演出えぐかった。さすがに歌上手かった。表現力バグすぎる。



浅すぎる感想しか出ないが、あまりに圧倒されたのでこれ以上は求めないでほしい。てかそもそもその語彙力がない。






必ずまた見に来る。そう誓って一目散に後楽園駅に向かい、電車に乗る。そして次の予定のために、車を借りて、友達を迎えに行く。





深夜ドライブとは、あまりにも大学生すぎるが、オフにしかできないこんな遊びもとても楽しい。





道中、ミセスを流しながら先程の記憶が蘇ってくる。良かったシーンを1つ選ぶことは困難すぎるくらい、全ての曲が素晴らしかった。



今年の出来事を順位づけるとしたら間違いなくトップに食い込んでくる。まあ夏オフにエジプトでピラミッドと対面した時にはさすがに勝てないか。けどリヴァプールのプレミア優勝とはちょっと張るかもな。




今年心が動かされた瞬間と言ったらこんなとこか。









ん、自分のサッカーはどこいった?








小さい頃、負けてすぐ号泣していたサッカー。


勝った時の何とも代え難いあの瞬間のために日々頑張っているサッカー。


多くの時は上手くいかず、負ける悔しさを味わえるサッカー。


大学生にもなって、週6でやっているサッカー。




僕の大学生活のほとんどはこの部活が占めている。


しかし今年を振り返った時、シーンとして浮かび上がってこない。どこか忘れたい自分がいるのだろうか。






年々、現状に対して自分の努力が足りないことを少しずつ実感し、サッカーに捧げる時間は増えてきている。周りに自分よりも努力している人はいるだろうから大きい声では言えないが、今年は去年や一昨年に比べたらより一層本気に近づけたと思う。














ただ、簡潔に言ってしまうと今年は散々だった。



原因は実力不足にすぎない。




けど、こんなはずじゃなかった。





チームも今まで見たことがないくらい苦しんでいたが、それ以前の問題だった。







来年は出られるよ。去年の末、皆にそう言われた。たしかに当時、代替わり後で主力がごっそり抜けたこともあり、東京カップでは全試合フル出場。相手がリーグ戦よりは劣るとはいえ、練習で積み上げたものが発揮できている気がしたし、単純だが自信がついた。まだ都リーグで通用する気はしなかったが、何も貢献できなかった1・2年に比べたら、戦力になれると思っていた。





しかし蓋を開けてみると、リーグ戦は途中出場のみの4試合。5年目にして体調不良で情けなくスタメンを辞退した歌さんの代わりとして出たアミノ以降、代替わり後の東京カップまでスタメンはなし。アミノも東京カップも90分フルで出場したが、いずれも1回戦で敗退。




そんな1年。何か感情が大きく動く瞬間はあったか?




強いて挙げるとするならば、3月後半、リーグ戦開幕直前に育成に落とされた時だろう。




東京カップ敗退後、冬オフを挟み迎えたプレシーズン、練習試合の半分はスタメンだった。特段プレーが良かったわけではなかったし2月末から調子は下降気味だったが、まさかこのタイミングでかと思い、呆然とした。



突然戦力外通告を受けた気がした。大袈裟に言えば、捨てられたように思えた。




また育成からやり直しか。俺はリーグ戦に出れないのか。



ふざけんなよ。



イライラした。悔しかった。



当時、頼れる後輩中田の家でア式の人たちと遊んでいたあの時のことは忘れない。あの時、みんながいたおかげで、メンタルは保てなかったけどなんとか思い出には昇華できました。迷惑かけました、ごめんなさい。本当にありがとう。




そこからはどうだろうか。




育成でも調子が上がらず一度スタメンを外れた時。


前期が終盤に差し掛かる時、怪我人が続出してヌルッとAチームに昇格したが、何度もスタメン未遂に終わって結局毎回ベンチだった時。


別に調子が悪くなってたわけでもないのにスタメン奪取の気配がどんどん薄れていくのを感じた時。


双青戦の2軍戦、ミスで試合を崩壊させた時。


次の日、嫌な勘が的中して育成に落ちた時。夏中断明け直前にして2度目の戦力外通告を受けた時。


育成のサタデーチャンピオンシップ進出に貢献できた時。


リーグ戦が残り4試合となってから、今更かよと思うタイミングでまたAチームに上げられた時。


案の定、毎週ベンチにすら入れなかった時。


最終節、明らかに練習のパフォーマンスが良かったのに結局ベンチ外だった時。










どれも、どこか冷めている自分がいた。



確かに、自分が試合に出られないことへのムカつきはあった。育成のサタデーチャンピオンシップ進出は3年ぶりだったし、ちょっとは嬉しかった。けれども、心から悔しかったり、喜べたかと言われると、全くだった。




まあ俺はこんなもんだしな、上手くいかんくてもしゃーない。




育成に貢献できても、Aの試合はどうせ出れん。





この文章だとどこかで諦めたようにみえるな。でも毎日、前日より成長できるよう、向き合ってはいた。けれども、このような結果を突きつけられた時に、頭の中で焦りや悔しさ、喜びを認識しつつも、心から込み上がってくるものはなかった。



双青戦の2軍戦。開始50秒で失点に絡んだ時。


とにかく早く試合が終わってほしかった。


とりあえず自分が出来るベストのプレーは頑張る。トライもする。


でも今日こんなとこでいくらもがいても意味ないかもしれない。そう思う自分がどこかにいた。




この1年を通じて、感情が無になってしまうというか、あらぬタイミングで我に返ってしまうというか、僕の語彙力では言語化しがたいが、サッカーへの熱が冷めてしまう瞬間を何度か経験した。これは、1・2年よりもサッカーに時間をかけていたのにも関わらず、上手くいかないことによる結果なのかもしれないが、これサッカーに大学生活を捧げるうえであってはいけないよな。








小さい頃は、文字通り無我夢中にボールを追いかけていた。



どんな遊びの試合でも負ければ泣いた。



小学校の時、休み時間の試合で負けたのを次の授業まで引きずって泣いていたら先生を困らせた。親との三者面談でも言われた。いい子ちゃんとして生きてきたつもりの僕が小中高通じて面談でネガティブなことを言われたのはこの時以外あまりなかった気がする。




けれども、それくらいサッカーは僕の全てだった。


だった。はず。





小学生時代のクラブチームで負けた時や早く交代させられた時。


中学の最後の市総体。


高2の選手権予選。


高3の部活を引退した時。



よく泣いたなあ。


主将として挑んだ高3のインハイ予選に至っては、まだ選手県予選を控えてるのにも関わらず、全てが終わったかのように泣き崩れた。部室で1人で泣いている時、荷物をしまいにきた後輩が気まずそうに部室に入ってきたあの時の自分の情けなさは、一生忘れない。









そのままの気持ちで入部したつもりのア式だが、入ってからは1度も涙を流したことがない。



1年生早々にAチームに昇格しても実力不足で毎日劣等感を感じていた時。


コロナ感染や登録ミスなどでリーグ戦デビューを何度か逃した時。


2年生のシーズン、Aチームと育成チームを行き来し、リーグ戦にほぼ絡めなかった時。


理科大との練習試合、75分で10失点した時。


そういえば3年生の時、アミノ敗退と育成降格の短い間で一回明海との練習試合で叩きのめされたな。



どれも、悔しかった。



けど高校以前の僕のような、思わず涙が止まらなくなることは全く経験していない。



ちょいと大人になっただけか?



いや、そんなはずはない。







3つ上の先輩である竹さんの卒部feelingsにはたしか、日々の生活では覚えることのできない感情が、サッカーでは多く味わえるというようなことが書いてあった。数ある先輩方の卒部feelingsの中でもとりわけ好きな作品だ。


これほど心が動かされるサッカーと出会えて、本当に恵まれている。







入部して2年半以上の月日が経った。もっと頑張れたんかな。いや、ダサいこと言うな。たとえ当時、今ほどひとつひとつのプレーにこだわれてなかったとしても、今ほど体のこと考えて筋トレやリカバリーができてなかったとしても、それは自分が当時努力できた最大値であったし、その努力する力までが自分の実力であると個人的には思う。


悔しいが、この事実は認めないといけない。これがきっと1番難しい。


今年は気持ちはぐちゃぐちゃになることが多々あったが、代替わりを経て、今年の出来事を文章にできるくらいには少し気持ちが整理できた。シーズン中盤よりは自信を持ってプレーもできていると思う。引退まで残り10ヶ月。もう、ああだこうだ言ってられないなあ。幸いあと1シーズンあるので、過去なんて忘れてこのラストシーズンを満足のいくものにできることだけ考えてやろう。




悔しくて号泣すること、嬉し涙を流すことが正義では全くない。でも泣けるくらい熱中できたと思える瞬間があればいいな。








またいつものように1人で考え込んでしまった。



そう、今僕は嫌になる程道が複雑な都内を1人で運転しているのだ。


最近、ア式の人たちを乗せている時に違反を犯して9000円の罰金を喰らったので、運転に集中しよう。



喰らったのでってのもおかしいか。






集中しつつも、耳に入り続ける歌声。




ロマンスの香りに誘われて出会って
恋をまた知って 愛に怒られて
優しさを食べて 田んぼ道も走って
未だ見ぬ思い出 期待だけはさせてね

Mrs. GREEN APPLE / ニュー・マイ・ノーマル




これまで何度も救われた歌声。



今日も明日も、僕のことを支えてくれる。

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