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川上、俺を使ったらええ

泉澤輝(2年/DF/盛岡第一高校) 皆さん、お久しぶりです 最近は韓国ドラマと Mio Yashiro TVにハマっています、泉澤です ※推しは工藤新一と南琉花 https://youtu.be/1qT76riBf3o?feature=shared 割り込んで指名をお願いしたにも関わらず、締め切りまで残り90分になりました でも、この3ヶ月間、毎日頭の片隅で構想は練ってきたので余裕で間に合わせます 最後に(というか最初に)feelingsを書いたのがおよそ1年前なので、そこから今までのことを振り返ります 去年はとにかく怪我しまくりでした 怪我をしては復帰し、1ヶ月ほどプレーしてはまた離脱するというサイクルをひたすら繰り返しました 90分間プレーした記憶はありません 来年こそは怪我をしないようにと、冬オフ中はケアとリハビリに注力しました しかし、シーズン明け最初の試合で再び肉離れを起こし 希望に満ちた新シーズンは早速潰えました これでとうとうサッカーに区切りをつけようか考え たかと思いきやそんなことはなく むしろ怪我でプレーしていない時の方が自分のプレーで悩むことがなくて気が楽でした とは言っても流石に気分は落ち込んだけど この頃から東京都大学サッカー連盟の学生幹事として本格的に活動するようになり 気を紛らわすことができました 都学連の活動の恩恵というものは案外大きくて 年始のFUJIFILM SUPER CUPにスタッフとして参加したり 他の幹事が所属するチームと試合で会うのが楽しみになったり 去年までは存在すら知らなかった都学連のHPで毎週試合の結果をチェックするようになったり リーグ戦の運営にまで目が行き届くようになったりと 楽しいこと、新しいこと尽くしでした みんないつもありがとうございます ということで、興味のある人は是非入ってくださいね!!! そんなこんなで、秋元さんのトレーニングや米さんのリハビリのおかげでフィジカルはだいぶ改善し シーズン初めに怪我して以降はほとんど怪我せずにプレーできました 久しぶりのサッカーあるあるで、この頃は自分がめっちゃ上手くなったように感じました プレミアリーグを見るようになって、正対とか辺に立つってことが少しは理解できるようになったのも大きかったかも Aチームの人に褒めてもらえたのも自信になりました 章さんが復帰してからは「...

ゲームチェンジャー

水野創太(1年/テクニカルスタッフ/鳥取西高校)  練習を撮影しているとき––撮影はテクニカルスタッフの仕事の一環である––選手たちが活き活きとプレーする姿にふと自分を重ねることがある。選手の立場だった高校以前の「自分」、“もし今でもサッカーを続けていたら”という想像上の「自分」。それらの「自分」は理想のプレーをしており、僕は夢中になってその姿を目で追う。                                          しかしカメラから目を離した瞬間「ああそうか、自分はもうプレーする側にいないのだ」と気付かされる。ほんの数秒前までプレーに没入していたのに、今の自分は何をしているのか、このままで良いのか、そんな不安と虚しさが襲ってくる。 ---------------------------------------------------------------------------------------------------    砂丘で有名な鳥取県鳥取市に生まれた僕は、綺麗な空気とのんびりとした時間の流れの中でのびのびと育った。記憶は曖昧だが幼稚園の時にはもう芝生の上でボールと戯れていたような気がする。(プチ情報:ほとんど知られていないが鳥取県は芝生が有名。新国立競技場の芝も甲子園の芝も鳥取県産。まあ土地が余っているからある意味必然と言える。砂より芝である。)    小2の時、周りの友達と同じようにサッカークラブに入った。幸運なことに僕が入ったチームは鳥取では結構強かった。チームの仲間はみんな僕より体が強く、足が速く、サッカーが上手かった。一方の僕は足が遅くタックルでも吹っ飛ばされてばかりで、スタメンとベンチを行き来する選手だった。  当然「なぜ自分にはできないのか」という思いが募り、毎日劣等感と反骨心を抱えながら...

サッカーと向き合う

柏村直登(1年/DF/開成高校)   はじめまして。一年の柏村直登です。     初めてのfeelings…なので、自分のこれまでと入部した経緯を綴ろうと思います。                           サッカーを始めた幼稚園の頃から。       サッカーは一番人気だった。ボールを奪って、ドリブルで相手を抜いて、点を決めて…ただただサッカーが楽しかった。小学校でもボールを蹴ることに夢中だった。自分のサッカー人生において、客観的に見れば、早くもこの頃が全盛期だっただろう。将来の夢はプロサッカー選手だと、意気揚々と語っていた。でも実際そうはいかないのだと段々分かっていく。目の前に立ちはだかったぼんやりとした現実は、その果てしない大きさを徐々に見せ始めていた。     親の勧めで中学受験をした。半ば流されていた。勉強して、塾に行って、いい成績を取って、また勉強する。でもまだサッカーが一番好きだった。中学校見学で一番心を惹かれたのは、グラウンドが人工芝だったことだ。それを決め手に他の中学を蹴って開成を選んだ。そのくせ部活ではなくクラブチームに入団することを決めた。     クラブはちゃんとレベルが高く、戦術やポジション取りも学んだ。何より仲間が上手だった。最初はミスをすることを恐れていたように思う。試合が、少し、怖かった。だけど、試合を重ねるうちに、考えて試行錯誤することが楽しくなっていった。結局、最後の大会、チームが関東大会出場を決めた時、怪我をしていた僕はほぼ出番がなかった。ただただ見ているだけ。悔しくてしょうがなかった。でも同時に吹っ切れることもできた。ミスを恐れずプレーの幅が広がって試合が何倍も面白くなっていた。     しかし、高校で部活に戻ることにした。勉強との両立…というよりも、みんなと同じ姿勢になれないのが理由だった。受験のため途中で退団だとか、模試だから休みますだとか、こいつには勉強があるだとか、そういうのが嫌だった。今思えば変な理由であ...

もう見えない景色

櫻井翔(1年/テクニカルスタッフ/竜ヶ崎第一高校) 初めてのfeelingsであり、そもそもネットに自分の文章を投稿するのも初めて。最初なので、他の新入生と同様に、入部の経緯について書こうと思う。なぜア式に入部したのか、なぜ選手ではなくテクニカルにしたのかについて、自分の生い立ちを振り返りながら書く。     自分は、茨城県の牛久市という、人口8万人ほどの街で生まれた。すぐに宇都宮に引っ越したが、幼稚園の年中になる時にまた戻ってきた。そんな自分がサッカーを始めたのは、小学校に入ってからのことだった。2つ上の兄の影響でサッカーを始めた自分は、別に非凡な才能を見せたわけでもなく、普通にサッカーを楽しんでいた。 そんな普通な自分に異変が起きたのは、確か小2の時だったと思う。学年が始まって最初の視力検査で、左目はAなのに、右目はCになっていた。小1の時はどちらもAだったのに。しかし、当時は自分も親も「ゲームのやりすぎだろ」くらいにしか思っておらず、左目が健康なので日常生活に影響もなかったから、特に深刻に考えていなかったし、病院に行くこともなかった。 小3か小4くらいには、ヘディングの練習が始まった。落下地点を予測して、とコーチに言われ、実践してみる。うまくいかない。それでもかけられる言葉は同じ。落下地点を予測して。もう一回やっても、やっぱりうまくいかない。 落下地点の予測って何だ?ボールはただただ大きくなっていくだけにしか見えないのに、落下地点の予測なんてできるわけなくないか? そんなことを考えながら、それでも練習し続けたが、結局いつまでも上達することはなかった。     なんやかんやで公立中に進学し、サッカー部に入って、高校に進み、またサッカー部に入った。ちなみに自分の高校は全国的な知名度はないが、茨城県では結構優秀な公立高で、隣に流通経済大学があるけど別にグラウンドは使わせてもらえない。高校受験で左目の視力も落ちたので、メガネを作ろうと思い、眼科に行くことにした。 初めての眼科で、よくわからない機材がたくさんあった。最初に度数を測る(度数が何かは今も知らないが)。数秒で左目が終わり、右目を測る。エラーが出る。もう一回やっても、またエラー。何回やってもエラーなので、先生に直接見てもらうことになった。台にあごを乗せて、写真を撮る。あごを...

旭さん、主将になってね

長田夕輝(1年/MF/公文国際学園高等部) ア式に入部し5ヶ月弱、1年目は終盤に差し掛かっている。この5ヶ月弱では既にありとあらゆる経験をさせてもらっているが、何も活躍できていない今振り返るのはなんとなくまだ早い気がするし、他に書くことも無いので、今回はそれ以前のサッカー人生について少し書こうと思う。 2021年7月。2年生の自分が出た選手権1次予選は3回戦で幕を閉じた。相手とは互角ぐらいだと思っていたが、なぜかボコボコにされた。2回戦はいい試合をして格上に勝って盛り上がっていただけに、最悪の終わり方だったかもしれない。先輩たちをひどい終わり方で引退させてしまったことがただただ申し訳なかった。 数日後、自分たちの代に向けた準備が始まった。自分はキャプテンに立候補した。実はこの数ヶ月前から、1個上、2個上のキャプテンに次のキャプテンは自分にやって欲しいと言われていて、さらには1つ前の顧問にも同じように言われていた。中高一貫校のため中学の時も同じメンバーだったが、その時は副キャプテンすらもやらなかったし、自分はキャプテンをやるようなタイプではないと思っていた。ただ考えてみれば、自分の代にはまともにリーダーシップが発揮できそうなやつがいなかったので、推薦されたことにある程度納得した。次第にモチベはあがり、結果的にキャプテンになった。 キャプテンになったはいいものの、結果を出さないと意味がないし、自分たちの代は特にそうだと思っていた。というのも、自分たちの代は中学の時に14年ぶりに神奈川県大会に進むなど、弱小校には変わり無かったもののそれなりに期待されていたのだった。目標は初の選手権2次予選進出。何がなんでもこの代で達成したかった。なんか主人公じみた発想で嫌だが、実際そう思っていた。 というわけで新チームは始動した。予想通り、キャプテンとして行う部活は後輩としてただ自分のサッカーに集中できた頃とは全く違った。練習を仕切りながら、練習がいまいち上手くいかないことにモヤモヤが止まらない。 何回返事しろと言ってもしないやつはしないし、早く次のメニューに移りたくてもだべりながらタラタラ歩いてくる奴もいる。選手間で危機感のバラつきが間違いなくあった。 そんな中とりあえず自分は乏しい知識なりに上手く行くような練習メニューを考え続けた。気づいたらプロの練習動画を観るようになっていた。今思...

ア式の華

金子日和(3年/スタッフ/四ツ葉学園中等教育学校) こんにちは。 マネージャー3年の金子日和です。 今回は、自分について書くことも特にないし、大好きな先輩方の引退が近いため、ア式の華である女子マネージャーの先輩方を紹介していこうと思います。 ①光夏さん どう育てたらこういう素敵な人になれるのか本っっっっ当に知りたいです。 ピッチ上での仕事も、ピッチ外での仕事もバリバリにこなすキャリアウーマンの印象があります。しかも、2023年シーズンのテーマは『傍観しない』、もうかっこいいです。私から見たみつかさんは、常に物事の中心にいて、後輩の私たちにたくさんのことを教えてくれて、傍観してる時なんて一瞬もありませんでした…。 さらに、かっこいいだけでなく、美味しそうにご飯を食べたり、かわいいものが好きだったり、かわいくて優しくて最高の先輩です。後輩のマネージャーも何人もみつかさんのかっこよさや、かわいさに倒れてきました。 今シーズンも残りわずかとなりましたが、1月の始動時から今日まで常に周りを引っ張ってくれたマネージャーのキャプテンです。みつかさん、引退しないでほしいので、OBマネージャーとしてこれからも末長くよろしくお願いします! ②彩伽さん 関西弁の陽気で面白く、褒め上手で仕事が出来すぎる先輩です。あやかさんの言葉の選び方が羨ましいです。 入部したての頃、あやかさんは凄くオーバーに褒めてくれるのでビックリしましたが、それ以来、あやかさんの言葉を真似して積極的に他の人の行動に感謝すると決めています。特にあやかさんらしくて好きな3大褒め言葉は、『神』『天才やな』『完璧』です。ちょっと大袈裟で雑なくらいが大好きです。あと、個人的には、あやかさんの座右の銘『人間万事塞翁が馬』があやかさんらしくて好きです。 トレーナー長としてトレーナー業務を教えてもらったり、相談に乗ってもらったり、部活内から個人的なところまでお世話になりました。ほんとに神です。天才です。完璧です。 あやかさんとはGSSでも関われて本当に楽しかったです!これからも褒めてもらいたいし、関西弁を聞きたいので引退しないでください…。 ③和鼓さん 独特の空気感を持つ、画像作りからYouTube、グッズ作り、グラウンド業務まで完璧なわこさんです。 わこさんは抜群のセンスでかっこいい画像や、双青戦でのステッカーを作り上げてくれます...

憧れとこれから

里見悠成(1年/GK/駒場東邦高校) はじめまして。1年生の里見悠成です。 高校は東京の駒場東邦というところの出身で、ポジションはゴールキーパーです。 同期や先輩方と同じように、なぜサッカーを始めたのか、なぜ大学でも続けるのか、などについて少し書こうと思います。 拙い文章ですが最後までお付き合いしていただければ嬉しいです。 物心がついた頃からサッカーが好きでした。しかし、特段強いチームにいたとか、毎週末に公式戦をやっていたというわけではなく、週に1.2回程度のサッカースクールに通っていただけでした。戦術も何も知らないし、下手くそだったけど、ボールが好きだからサッカーを続けていました。サッカーが好きというよりかは、ボールが好きの方がたぶん強くて、球技全般をやるのがとても楽しかった思い出があります。 そんな自分にとって1番の転機は、経験豊かな指導者がいて、中学から本格的にサッカーを始める部員もいるような駒東のサッカー部に入ったことだと思います。週4で真剣にサッカーをしてみたいからという理由で迷うことなくサッカー部に入部し、その後のミーティングでずっとやってみたかったGKに立候補してみました。今思うと、手でも足でもボールを扱うゴールキーパーは、いろんな球技が好きな自分に合ったポジションだったのかもしれません。当時はそんなこと考えてもいませんでしたが。それからは、毎日のGK練習が楽しく、自分で自分の成長を実感できてとても充実していました。チームとしては都大会2回戦止まりでしたが、勝つためにサッカーをしていたよりかは、楽しいからサッカーをしていたの方が大きかったような気がします。 駒東は中高一貫校なので、そのまま同じメンバーで高校サッカーに臨むことになりました。幸運なことに、自分が高校1年の年から校庭が人工芝なり、また、新たにOBがGKコーチとして週4の練習に来てくれ基礎を叩き込んでくれました。高校1年の1年間はコロナで思うように部活ができませんでしたが、自分でも驚くほど上達し、今までで1番楽しい1年間でした。駒東は多くが高2の冬で引退してしまうため、あっという間に自分たちの代になりました。そして自分は部長になり、チームを引っ張っていく立場になりました。 しかしそこから練習試合でも公式戦でも全く勝てなくなりました。中学の時は、チームメイトの個人技でなんとかなって勝っていたのが...