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自分事

 錦谷智貴(4年/テクニカルスタッフ/麻布高校) 「張り合いがない。」 引退してから最も強く感じるのはそのことだ。英語の勉強に精を出したり、旅行に出かけたり、はたまた筋トレを始めてみたりと、決して無為に日々を過ごしているわけではない。しかし、毎週末やってきていた公式戦がないというのは、どうにも手持ち無沙汰なものである。 現役の時は、スカウティングやフィードバック、試合運営の業務など、ア式の仕事にむしろ追われているような感覚すら抱いたこともあった。しかし今は、途方もなく多い自由な時間を、どのように割り振っていくかに日々頭を悩ませているイメージだ。それはなんとなく、「何かに全力」「直向き」といった言葉からは遠いものな気がして、やっぱり自分にとってア式は、他の何事にも代え難い充実したものだったのだというのを改めて実感している。 今回の卒部feelingsという機会に便乗して、自分にとって人生で初めて「全力」を傾ける対象となったア式生活について順を追って振り返ってみようと思う。どのような構成にするか、何を書くか悩んだ結果、結局時系列順で振り返った方がよくまとまりそうだ、という結論に落ち着いたからだ。今回は、偉大なる先代実況者の作品にならって、「テクニカル・実況・試合運営」の3本柱で振り返ってみようと思う。 テクニカル 4年間を終えて頭に浮かぶのは、自分は果たしてテクニカルとして何か残すことができたのだろうか、という考えだ。ラストイヤーにスカウティングに関わった7試合で得た勝ち点は僅かに1。数字は嘘をつかないなんて陳腐すぎる表現だが、その勝ち点の数字は、自分がチームの勝利に貢献できなかったことを残酷なまでに教えてくれる。 今までテクニカルからコーチに転身した先輩が多く触れているように、スカウティングがチームにもたらす影響は微々たるものであると言われてきた。正直なところ、コーチとしてチームのレベルアップに与えられる影響の大きさを考えれば、その言説は否定できないと思う。選手へのFBは、試合で起きた個々の現象に対処するものでしかないことが多く、選手の課題の根本に最も的確にアプローチできる手段は、間違いなくトレーニングメニューの設計なのだ。 ある時、当時育成チームのコーチを務めていたこうたに「テクニカルは甘え」と言われたことがある。 本人は覚え...

DFクビ、FW最高

頼経智希(4年/FW/青山高校) 2025 シーズンのリーグ戦最終節。 107 期にとっても集大成と言えるであろう試合。 ア式が苦しんで苦しんでやっと掴んだシーズン初勝利。 その最高の瞬間をピッチで迎えることができた。           2022 年春にア式に入部した。高校まで CB でヘディングとロングキックしかしてこなかった自分にはア式のサッカーに適応していくことは難しかった。他の取り柄は蹴られようが砂まみれになろうが血が出ようが守備してやろうという気迫だけはあったくらいか。とにかくトラップとかパスとか全然できなくてビルドアップなんかできたはずもなく、かといって体が強かったりしたわけでもなくどうすればいいんだろうという状態だった。       というわけで CB としては厳しいプレイヤーだったのだが、なんか急に SB をやってみることになった。ポジションを新しくすると見える世界も変わるしとにかく新しいプレーにチャレンジすることができて楽しかった。そしてサタデーでプレータイムを少しもらうことができた。覚えているのは 7 月ごろのサタデー大東戦だ。スタメンで出たと思っていたが、 1 年生時の feelings を見返したら前半 15 分からの出場だった。まあスタメンみたいなもんでしょう。相手はとにかく強かった。技術も高いし、フィジカルも優れていた。でも自分がやれる全力を出し切って守備をした。後半でできた選手にはあり得ないくらいやられたがなんとか格上相手に勝ち点 1 をもぎ取った。試合後当時の OB コーチである楓さんなど色々な人にめちゃくちゃ褒められた覚えがある。チームの助けになれたという面ではやはり今でも忘れられない試合の1つだ。ただその後、双青戦は怪我で出られなかった。冬オフまでは怪我がちで、復帰してもあまりいいプレーもせずシーズンを終えた。         1 年生での双青戦は自分が双青戦ユニットに加入すること、そして双青戦を最高の舞台にすると決めたきっかけだった。まずプロも使うようなスタジアムで試合をできることにすごく価値を感じていた。またピッチに立つことはできなかったが、スタンドから 3 軍戦での鹿島田さんの劇的同点ゴール、 1 軍戦での...