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咀嚼・嚥下、その繰り返し

御明竜蔵(3年?/FW/ 渋谷教育学園幕張高校 ) 近年のア式研究の最前線において”御明竜蔵は何年生なのか?”という疑問は常に俎上に載 せられている。 通説によると御明は3年生(2024年10月時点)に混じる実年齢22歳の4年生 であるとされるが、つい最近配布された最終節後の打ち上げ案内には名だたる他の4年生 を押し退け、投げキッスをする御明が採用されている。このことは、依然御明が2024シー ズンを以って引退するのではないかという風潮が部内に存在し、御明が何者なのか未だ理 解していない部員が存在することを示している。よって当feelingsでは、御明は結局何年生 なのか、2024シーズンをもって引退するのか、などの疑問について回答することを目的と する。 はい、お堅い文章を書くのに疲れました。御明です。今回、入部以来二度目のfeelingsを書 くことになりました。おそらく次は卒部feelingsになるのでしょう。たった3回しかない feelingsですから、この1回を大切に書かなければなりません。ちなみに最初のfeelingsは自 分なりに痛快な文章を書いたつもりが、恐怖の匿名コメントが自分の高校3年間を否定し にくるというとんでもない呪物になってしまいました。今回は誰も不幸にならない、そん なfeelingsを目指したいと思います。 最初に自分が卒部するのかどうかわからないと思われているという話をしました。ただ、 このfeelingsを書いている時は既に代替わりが終わり、僕の残留が白日の下に晒されてしま った後になります。 まあこの前も高口さんに「お前4年なん?」って聞かれたばっかりなんですけどね。学年 は4年です。でも気持ちは3年です。許してください。 ともあれ、僕は来年までいます。つまりは来年がラストシーズンな訳で、普段なら来年の 目標とか意気込みとかをこれからつらつらと書き並べるのでしょう。期限が代替わり直後 なのも相まって、「来年も頑張る」とか「有終の美を飾る」とかありきたりな結論に着地 すること間違いなし。こういったことは、最近のfeelingsの激しい催促で余裕の無くなった 他の部員が精一杯書いてくれることでしょう。催促スレッドの様はまるで年貢を取り立て られる農民のようです。きっと八公二民くらいなんでしょう。 さて、いい感じに文字数を稼いだところ...

Life is a Journey

野原瑛真   (1年/MF/Newport High School) Hi, I’m Eishin Nohara.  なんで英語で書き始めたかって?それは、僕が中高ずっとアメリカで暮らしてたっていうのを、ちょっとアピールしたかったからだ(笑)。これから書く僕の話は、他のア式のプレーヤーや普通の受験生とはちょっと違うと思う。だから、「受験勉強のハウツー」とか「サッカーで成功する秘訣」を期待してる人には、あんまり参考にならないかも。でも、帰国子女ってこんな感じで人生を歩んでるんだよ、っていう一例として読んでくれたら嬉しいな。 だからちょっとだけ肩の力を抜いて、この旅に付き合ってほしい。 Chapter 1:  ニューヨーク ―― 初めての挑戦 僕は東京で生まれたけど、 1 歳くらいのときに父の転勤で急にアメリカのニューヨークに行くことになった。正直そのときの記憶はほとんどないけど、幼少期の断片的な思い出は今でも鮮やかに残っている。 ニューヨークでの生活は、僕にとっていろんな初体験の連続だった。その中でも忘れられないのが、教会に併設されたプリスクールでのエピソード。英語が全く話せなかった僕は、ある日トイレに行きたくなった。でも、どう言えばいいのかわからない。頭の中で「 I’m pee pee (僕はおしっこ)」とか浮かんだけど、「いや、絶対違うでしょ!」とプライドが邪魔をして結局何も言えず … 。最終的に失敗してしまった。これは僕の「人生最初の大恥」だったけど、同時に「次はちゃんと伝える!」と決意した瞬間でもあった。 こんな爪痕を残した プリスクール だが、 日本人の子どもが多く、クラスの 8 割は駐在員の家庭だった。さらに近所のコミュニティも日本人だらけ。親たちは東大卒がほとんどで、「浪人したの?それともストレート?」みたいな会話が日常的に飛び交ってた。当時の僕には「ストレート?曲がるってこと?」と意味不明だったけど、その空気感だけは何となく感じ取ってたよね。 学校が終わった後は「習い事」に通ってたけど、英会話や KUMON みたいな勉強系じゃなくて、野球、水泳、空手、サッカーといったスポーツばかりだった。特にサッカーは、父が「一回やってみろ」と押して始めたもので、当初は他のスポーツの「おまけ」みたいな存在だった。 でも、初めてボールを蹴った...

サッカーの地平線を広げる -23日目〜26日目-

岡部惇貴(3年/MF/武蔵高校)   23日目 起床。バイト。この流れは久々だ。ただ一瞬で終わる。昨日の日記を書く。最近書くことが多すぎて、全然書き終わらない。充実していると思おう。シャワーを浴びて、爪を切る。髭と違って爪は伸ばすわけにはいかない。そういや最近髭伸びないな。今日も勉強。ポジショナルプレーとは?監督のタイプなど。そのあと気づいたら人気曲をオルゴールの音で聴くコンテンツに見入っていた。気づいたら試合に行く時間だった。乗り換えがありえない速度で行われるGoogleマップのことだから、これは遅れるのだろう。さすが自分だ。もう誇って生きていくべきだろうか。今日の最初の観戦試合は初めていく場所だった。電車の乗り換えで死ぬほど長いエスカレーターに乗った。ずっと妙な匂いがすると思っていたら、前にいたカップルが2人でタバコを吸っていた。気づいたのはエスカレーターが終わる直前。日本のタバコと匂いが少し違ったので気づかなかった。自動受動喫煙再びである。その先にある電車は途中で2つの路線に分かれる電車だった。ホームに停車している電車はどちらに向かうのだろうか、ホームには何も書いていない。不親切すぎるでしょ。とりあえず乗車中を観察していると、違う方向に行く電車であった。半端ないって。観光客泣かせすぎるて。とりま乗ってみる性格なので、この表示を見つけられなかったら小遅刻が大遅刻になるところであった。下車して次の電車を待つ。到着した駅はすごい近未来的なかっこいい駅だった。複数のエレベーターがホール状の場所に会し、薄暗い灯りで照らされていた。どれに乗ればいいのかやシンプルに使い方がわからないので、写真を撮っているふりをして人を待った。救世主は青年。写真を確認して満足したフリをしてついていく(写真は本当に撮りました)。彼が乗って行き先ボタンを押しても何も起こらない。携帯を見ているフリをしながら彼の様子を伺う。彼はさも当然のように携帯を見ている。数秒後ドアが急に閉まる。タイミングを見て待ってくれる仕組みなんだ。日本にはない。これは楽しい。苦労して駅を出ると目の前にスタジアム。狭い入り口を3人のおじさんが塞いでいた。バリ入りにくいやん。え、どうしよ。まあ知らんぷりして入ろう。意を決して突入。待ち構えていたように、ウェイと言われ、チケットを提示された。待ち構えていたようにというか待...

楽しむ

松尾仁之介(2年/DF/海城高校)  みなさんこんにちは。新2年のプレイヤー松尾仁之介です。まず、締切期間をめちゃくちゃ過ぎてしまい、星さん本当にすみませんでした。次からは期日をしっかり守ります。   ちょっと前ぐらいに、誰かに『なんでサッカーを続けるん?』と言われたことがあった。大学生になってまで部活でサッカーをするのは確かに珍しいし、しかもわざわざ東大に入ってまでサッカーをするのか、と疑問に思う人もいるかもしれない。   でも、僕の中には一つ明確な答えがある。それは『楽しい』から。人に質問されて『楽しいからです!』って答えるとなんかすごい陳腐で幼稚な答えに聞こえるかもしれないが、僕はこの『楽しい』という感情を侮ってはいけないと思う。この感情は人を動かす何かを秘めている。友達と遊ぶのも楽しいから。ゲームをするのも楽しいから。サッカーにはその『楽しい』が大量に詰まっている。勝ったら楽しい。点を決めると楽しい。相手を止められたら楽しい。自分の思い通りにプレーができたら楽しい。自分自身サッカーを楽しいと思えてる時が、一番いいプレーができてる気がする。もちろんずっとサッカーが楽しいわけではない。1試合を通して楽しく無い時のほうが多いこともある。でもその先にある強烈な『楽しい』のために僕はサッカーしてるんだ、と強く感じる。   僕のサッカー人生も『楽しい』からスタートした。お兄ちゃんのサッカーチームの練習をよく見に行ってはその横でボールを蹴っていた。結局お兄ちゃんと同じチームに入ってサッカーに没頭した。めちゃくちゃ楽しかったのを今でも鮮明に覚えてる。その熱意のまま、中高でもサッカー部に所属する。少し怪我がちではあったが、依然としてサッカーはぼくの一番の『楽しい』だった。   大学でも迷わずア式蹴球部に入った。新歓期は一応サッカーサークルに一回だけ行ったけど、その一回きりでずっとア式の体験練習に参加した。本気でやる部活だからこそ最大の『楽しい』を享受できる。部活でサッカーを続けることに躊躇しなかった。   入部すると新入生練習が始まる。僕は男女問わず初対面が少々苦手なのでかなり緊張はしたが、サッカーをしてるとなんかその緊張も忘れて、久しぶりに本格的な練習ができることをただ楽しんでいた。新しいサッカー用語もどんどん出てきて、なんか部活も知的で東大ってすげぇなぁと感じたの...

オフィシャルウェブマガジン vol.1

森川かの子(1年/テクニカル/湘南高校)   「 まずは今シーズンここまでを振り返って率直な感想はいかがですか ?」 A: ななすりっぷはちげらっぷ、といったところでしょうか。 「やはり新天地での経験というのは得るものが大きい?」 B: 実際は七転びと言えるほどまだ経験を積んでないので、 字義通りの紆余曲折はしてないかもしれません。 ただ高3の時にばったり出会ったこのキャッチーな言い回しをかな り気に入っていて、たぶん言いたかっただけだと思います。 A: 図星です。 「入部に至るまではたくさんの選択肢があったかと思いますが?」 A: そうかもしれないし、そうじゃないかもしれないです。 実際めっちゃ迷ったし、違う道も容易に想像できます。 ただ私って初志貫徹が大好きなので、 受験期になんとなく思い描いていた未来を手にした感じです。 フォゥ!なんかかっこいい! B: ちなみにア式じゃなかったらオシャンな音楽系サークルでオシャン な女になってたと思います。それはそれで見てみたいでしょ。ね。 「受験生時代には入部を決めていた?」 A: 決めていたって程ではないですね。 とはいえモチベーションではありました。 大学生になったらやりたいこと、みたいなのを受験期に書いてて、 それの結構上の方にア式の文字は刻まれてます。 きゃわちいですね! 〜回想録〜 きっかけに憶えはない。 ただ私はベールに包まれて直視できない事実にそこそこの愛着があ る。想像、妄想、回想、予想。何れの手段を以てしても掴めない、 されど現実には存在していたはずのア式と出会った瞬間が、 煩わしく脳内の引き出しに閉じこもったまま姿を見せない。 それが能動的なものだったか受動的なものだったかさえも。 テクニカルスタッフ。 響きがいいとかなんだとか、 過去の自分はそんなことを言いそうである。 だとしたらだいぶ無責任だが、一つ確かなことは「 本気でサッカーを勉強したい」という欲望によく似た希望、 即ち現在まで続くモチベーションなるものは、 記憶の彼方から既に始まっていたということだった。 「なぜテクニカルに?」 B: 大学生になったら本気でサッカーを勉強したかったからですね。 これよく聞かれるんですけど、 世話はウェルダンまで焼かれる派なのでマネさんの優しさはいつ何 時も憧れの対象・客体であって、 今までサッカー部に...

革命の余波

岡田詠(1年/MF/日比谷高校)  2024 年 6 月 23 日の試合。 ア式が上智に勝った試合。 同期の池澤が、試合終了間際に途中出場した試合。 彼の初出場が応援していた同期を大いに沸かせたが、彼はノータッチのまま終わった試合。 勝利を手にしたトップチームの選手が私たち応援組に挨拶をしに来た時、御殿下ではぱらつく雨がライトの光を反射し、激闘を制した彼らを神々しく照らしていた試合。 選手も、テクも、マネも、コーチも、皆にとって楽しくて嬉しくて、特に同期にとっては勇気づけられ、だけど彼がノータッチだったことが面白くもおもえた試合。   その後、 数人の同期と池澤をご飯に誘った。皆、話したいことは山ほどあって、聞きたいことはその倍はあった。再度、注文方法を変更してきた挑発的なサイゼリヤで飯を食い、くだらない話をしていた時に育成に落ちたことを知った。どうやら電波がわるいサイゼリヤは悪い報せだけを伝えるようだ。 私はその時そんな陰気な話をしたいわけではなかった。   そもそも自分がどういう評価を受けて A チームに上がったのかということは皆目検討もつかなかった。しかし、練習や試合でのプレーを考えれば、近いうちに育成に落ちることは火を見るよりも明らかだと思っていた。   同時期に上がった同期の他の三人が、そのサッカー人生の中で身につけた技術や能力を一段一段、階段にして積み上げ、それを登っていき A チームにステップアップしたとするならば、私は精一杯のジャンプをしただけであると感じていた。 大天才ニュートンが見つける前からこの世に存在する万有引力に引き寄せられるようにして、私は当然の帰結として落ちたのだった。それだけの差があった。 この大きな惑星で、小さな私たち人間はどれほど踏ん張って高く跳んだとしても、いずれ落ちる。     なにもできないまま落ちたことを悔い、目の前で美味しそうにニコニコとドリアを食べる池澤との彼我の差にひどく落ち込みながら、私は SLACK のタブを、抱えた負の感情をものせるようにしておもいきり消した。笑い飛ばして慰めてくれた同期には「 feelings に書くネタができたわ」と冗談めかしたのだった。あの日の私を知る人は、「岡田はきっと愚痴や不満を長々と feelings で書くのだろう」と期待し...

月の満ち欠け

松尾遼(1年/MF/甲陽学院)   東京の夜空には都市の明るさで星は見えず、見えるのは月だけである。僕は幼い頃から、空を見上げる。上を見ることで、気持ちは晴れやかになり、視野が広まる感覚があるからだ。月の話をすると、急にどうした?なんかあった?と多くの友達はいうし、この文章を読んでいるあなたもそう思うだろう。でも、僕にとっての日常である。    7 月 18 日木曜日 20 時頃。夜空には、まだ満月になりきっていない月があった。月はいつも自分を鼓舞してくれていたが、その日の月の不完全さは自分をいらだたせ、むしゃくしゃさせた。吹き出る汗に、少し生ぬるいボトルに入った水、そして今にもこぼれ出そうな涙。あらゆる水分がうっとうしかった。そう感じさせたのは、強い痛みのせいだと思う。そう、その日僕は大きな怪我をした。    季節は春に戻る。3月 25 日月曜日 9 時頃。僕はまだ関西にいた。この日、母校で一つ下の代の卒業試合が行われ、人数あわせとして参加することになった。浪人した僕にとって、一年ぶりのサッカーで、引退からも一年半以上経っていた。久しぶりのサッカーは当然全く動けず、20 分でへたばり、交代。感想は怪我しなくてよかったということと、やっぱサッカー楽しいーっていうことだけだった。大学でサッカーするのもありだけど、体力的にしんどいからいいかな。この時、ア式でサッカーする気はなかった。  4 月 10 日水曜日 19 時頃。この日、ア式の新歓に参加した。参加の理由はサッカーがしたくなったというだけだった。正直、漠然と皆うまいなと思ったくらいであまり印象は強くないが、とにかくサッカーが楽しく、もっとしたいという思いが強まった。でも、大学生のうちしかできないことは他にもたくさんある。やはりア式に入るつもりはなかった。  4 月中、もう一度くらい新歓に参加したはずが、これまたいつ行ったかさえも忘れた。この頃、サッカーのサークルの新歓にも参加したが、あまり楽しいとは思えなかった。やはり、僕は何かに熱中することで得られる楽しさを求めていた。部活でしかそれは得られない。自分の中では、アメフト部とア式が候補だった。そして、その二択からかなり迷った。様々な人に相談し、葛藤した。(その際思ったこともぜひ記したいが、長くなるので省略。一部だけ記すと、シティズンの僕にとって、4 月 1...