不足

山田龍玖(4年/FW/海城高校)


前置き

僕の4年間はここで振り返りきれるほどの時間は僕にはもうないと思うので,ざっくり最後の1週間で感じたことを備忘録としてここに書き記しておきます.

 

ただ,インスタのストーリーで黒い背景に大量の文字を並べるという俗にいうイタい行為が,feelingsという場ではイタいとは言われないよう(とある友人にはイタいと言われましたが)なので,僕はこの時実はこう思っていて,感謝はこういう人にしていて,っていうのを正直にめっちゃくちゃイタく書きたいと思っています.

 

4年生ですが,滞納に次ぐ滞納によってfeelings初めてで右も左もわからず,憧れの最後の一言伏線回収系feelingsや文豪なろう系feelingsにチャレンジしてみたいものの,卒業論文,単位獲得に必死で工学部2号館に篭りすぎていたためか,圧倒的な文章力,文才が,ただ卒論の文章をかさましする能力に生まれ変わってしまったため,feelings愛読者であった僕が,最も書きやすいタイプだと考えている思い出振り返り系,感謝パートなしfeelingsで書きます!

 

これ一文で書いてるの文才なさすぎるな

 

期待はずれだったらごめんね♡

 

外部の人間にもわかりやすいようにその人となりが一発でわかるニックネームをところどころつけていますが気を悪くしないでください.

 

 

本題

 

 

何が足りなかったと思う?

 

 

大泣きしながら,初めて,自ら人に頼ったのは引退する一週間前.

 

僕が栄誉ある頼る相手に選んだのは,石川が産んだ最強異端児一平,,,,,ではなく,ガン黒足太人力車運転手石丸でもなく,デクの棒(これじゃ一意に定まらないか)の数人でもなく,履修登録忘れで留年したあほコーチ久野でもなく,来年から研究室同期となるマネージャーわこでももちろんなく,あろうことかただの高橋俊哉だった.

 

今考えたらなんてやつに何を頼ってるんだと,当時の自分をぶん殴る必要がありそうだ.

 

彼はプレーヤーではなく,テクニカルやコーチの立場の人間で,昨年度は育成チームのコーチをしていた,もっぱらおもんないとして評判の河合本郷からの大先輩である.

 

 

そもそも僕はサッカーにおいて無駄なプライドで固めたような人間であった.誰にも教えは請わないし,そもそも教えを請いに行くのなんてズルじゃんなんてすら思っていた.媚を売っているようで,ましてやコーチ・監督に聞きに行くなんて出させてと泣きついて弱みを見せているようで嫌だった.だからア式に入ってから一回も誰にも聞いたことはなかった.自分だけで解決するのがカッコいいと勘違いしていたから.さらには自分のプレーに対して助言されても,到底受け入れなかった.今から考えれば言い訳ばかりしていたように思える.

(読み直していて思った.あ,これは嘘だ,って.天才的なドリブラーである高宮さんにだけは何回か自分から聞いていた.どう見ても神の道楽で作ったような人間である和田爽の意見にも耳を傾けていた.一年の頃のOBコーチ陣の言うことも聞いていたような気もする.デカすぎるデクの棒にも一対一を頼んでたな.)

 

 

ともかく,そんなプライドガチガチ人間だった僕が泣きじゃくりながら俊哉に聞きに行ったのは,リーグ戦に出て活躍できないことをやっと確信したその時である.それが育成チームに所属する四年生としてはあまりにも遅すぎる引退一週間前の練習試合後だった.

 

 

それまでは,残り半年なのにAにいながらベンチ入りの気配すら感じなくても,一ヶ月しか残されていないのに育成チームでサッカーをしていようとも,僕は本気で最後までリーグ戦で活躍したいと思ってサッカーをしていた.二週間前ぐらいから,ちょっと怪しいぞとは思っていたけどまだまだここからだと思っていた.9回ツーアウトランナーなし3点差みたいな状況だったけど,自分一人だけで逆転満塁ホームランを打てるはずだと思っていた. 

 

 

偉大なる仲間も俺の火を絶やさないのに一役買っていた.部室でその時サブキーパーの立ち位置だったこだまにまだチャンスあるでしょって話した時に,お前もこんなんじゃ終われねぇだろ,的なことを言われて燃えたりもしていた.大学でよくすれ違う高校同期には,この前の試合勝ってたじゃん,とか俺が出てもいないのに言ってくる奴もいた.そいつは馬鹿なデクの棒だ.知ってて言ってるんだろうから,俺は出てないよとはあえて言わなかった.悔しさを押し殺して,ありがとうって言って,一人モチベーションにしていた.引退一ヶ月前にインフルにかかってしまった時,それでも試合に出たいとわがまま言って,倫理的に問題はないか相談をしたあいつも.センターで倫政が得意だっただけなのに.倫理的には問題があることは分かり切っていたけれど.今は外国に住んでる君もそうだ.ア式の誰よりも速くてうまいドリブラーの君からのたわいもない電話で,プレーをスパイクのせいにして怒られたのも懐かしい.群馬で元気にしてるかな.一応美大の君も.

 

 

 

まあそんなこんなで客観的にみたら絶望的状況,だけど圧倒的に諦めが悪くまだまだ公式戦で活躍することを目指していた僕にとっては引退試合が最後の勝負,,,,,ではなく,引退試合の一週間前の練習試合が最後のチャンスな訳で.ここで圧倒的に活躍しなかったらリーグ戦で活躍する快楽はおろか,出場する緊張感,ベンチ入りする喜び,当落線上でメンバー発表を迎える動悸,ベンチ外になる悔しさを味わうことすらできないことを分かった上で最後の一週間を迎えることはほぼ確定していた.ここでかますしかない.大逆転だ.

 

 

 

迎えた運命の練習試合当日.今までのサッカー人生で最高の準備をして試合に臨んだ.朝早く起きて散歩をしてストレッチして.できることはなんでもやった.多分レッドブルも飲んだだろう.ブチ上がる音楽も聞いたと思う.タケ直伝のサロメチールも塗ったかもしれない.

 

 

アップも最高.天気はすごくいいし,4年の同期も4人もいる.試合前の6vs6+3なんて一番嫌いなメニューだけど,それすら楽しかった.コーチたちはいう.やってこい.

 

 

 

誰よりもドリブルした.苦手と思われていた守備もやり切った.多分めちゃめちゃ走った.

 

 

ドリブルしすぎてる僕に対して,パスもあるぞとか言ってきた久野に,今日ぐらい自由にやらせてよって言ってドリブルした.久野も死ぬほど山田にだせって言ってくれてた.最後の方の試合はずっとそうだったような.コーチとしてはどうボールを届けるのかを指導するべきだとも思うけど,馬鹿の一つ覚えみたいなその言葉が嬉しかったし,もっと言ってくれと思っていた.

 

知ってかしらずか,親も見にきてくれてた.僕がむかしから親が見に来るのを嫌がっていたからか,こっそり木の影から見ているつもりだったらしい.目立ちすぎてて一瞬で気がついた.高校の時とは違って嬉しかった.大学に入ってからろくに活躍もしてない息子の試合はなかなか見る機会がなかっただろうし,むしろ見せたいと思っていた.あまりに多大なるサポート,ありがとうございました.(よく考えたら見にきてたのは違う試合な気もしてきたけど,まぁいいや.)

 

 

 

結果,敗戦,ノーゴールノーアシスト.

 

 

 

明らかな活躍はできなかった.「たかが」育成チームの練習試合ですら目に見える結果は残せなかった.

 

 

 

悔しすぎた.ろくに集合に行かずに泣いた.せめて勝ちたかったし,このレベルのチームを勝たせられないんだなと実力不足を痛感した.この結果じゃあ上がれないよな,って考えたら涙が止まらなかった.

 

 

この試合が自分の運命を,サッカー選手としての価値を,卒部feelingsの方向性すら変えてしまうほどの意味を持っていることを知っていたから,絶対に,どんなに泥臭くてもいいから結果を出したかったのに.勝ってアピールしなきゃいけなかったのに.

 

 

集合の後,育成のサブカテゴリーの試合が始まろうとする中,一人そそくさと帰ろうとしている俊哉が目に入った.

 

 

明らかに何かに急いでいたけど,知ったこっちゃない.人生で初めて自分の思いを誰かにぶちまけた.

 

 

何が足りなかったと思う?

 

 

俊哉がなんて答えてたかなんてこれっぽっちも覚えていない.ただただ誰かに何かをぶつけたかっただけだ.そもそも俊哉に明確な答えなんて期待するのが間違ってる.明らかな人選ミスだ.でもそれでよかった.堰を切って溢れ出す感情に対して,その場しのぎのことを言ってくれただけですごいありがたかった.答えは自分が一番分かってるから.

 

 

 

 

引退した後に,圧倒的暁星魂&閾値低め&一生思春期男の子鹿島田が育成チームの集合で言っていたことは,最後の数ヶ月思いながらプレーしていた,と,今になって思う.

 

「いつか神様が自分にご褒美を与えてくれると信じて,ただただいまを頑張る」的な感じのことだったかなと記憶している.マジで全然違ったらごめん.正直あんまり覚えてない.用賀のデクの棒によるありきたりな「コップから感情の水が溢れる話」をさも自分が思いついたかのように堂々と語っていたのは鮮明に覚えているのに.さもしいとはこのことか.

 

 

 

毎日誰かが怪我しないかなと本気で思っていたし,残ってもいない最後のひと枠を狙っていた.誰かの怪我がご褒美は性格悪すぎだろってのは目を瞑ってね.さもしいのは僕かも.

 

 

だからごめんなさい.本当の本当に心の底から公式戦を応援できたのは最後の一試合だけでした.お世話になった先輩方(いたっけ?)でさえ,一緒に苦しんだ同期でさえ,大好きな後輩(流石に虫唾が走るわ)でさえ,いいプレーをされることは僕にとって邪魔でしかなかった.一平がfeelings で言っていたことはすごく共感できる.僕にとって大学の部活においてプレーヤーとして大事なのは公式戦に出て活躍すること,その一点のみだ.その障害になるんだから純粋な気持ちで応援できるはずがなかった.

 

 

結局,最後の一週間も同じだった.俊哉に吐き出した後だって,分かってはいたけどもう終わりだって受け入れられなくって.オフの月曜に柄にでもなく日向ぼっこして,ボール蹴って.付き合ってくれたひと,ありがとうね.あれはまたやろう.夜は風呂にも行ってもう終わりなはずなのにケアしてストレッチしてるんだからどうしようもなく諦めが悪い.

 

 

Aがキツイトレーニングをする水曜は誰かが肉離れでもすればいいと思っていたし,Aが紅白戦をする木曜は特に気合を入れて待っていた.授業で人数が少なくなりがちな金曜だって,金曜の練習後も夕方まで,来るはずもないA練参加の連絡を待っていた.もちろん来なかったけど.一年の頃なんて,余裕で出れると思っていた公式戦が,4年になってこんなに遠くに見えるとは.

 

 

ほんとにダメだったんだって,終わりなんだって思ったら悔しすぎて,引退試合前日とある部外の友と電話して悔しさをぶつけて号泣したのは墓場まで持ち帰ろうと思っている一生の秘密だ.あの時は泣いてるのバレてないと思ったんですけどね.グジュグジュいってたとか後から言われてクソ恥ずかしかったわ.

 

 

引退した次の日かな.舎弟ケン榎本に言われた言葉がまーた悔しかった.

 

 

 

北川とかぶるのなんて山田さんタイミング悪かったですよね.北川いなかったら,,,.

 

 

 

いやー,俺は北川にも勝てるって本気で思ってたんだけどなぁ. 

 

 

 

来年度卒部feelingsをかくみんなは早めに書いたほうがいいと思います.こんなに遅いとね,記憶も薄れているし,なかなか書くのに苦労しますから.気がする,とか,ような,が多くなってしまって締まらない文章になるので.それに時間に追われて全然書ききれないので.

 

こんなんを書いていたら,恥ずかしながら関西弁のおもんなデクの棒がfeelingsで書いていたみたいに,自分のプレーを見返したくなってしまった.けどどこから観れるのかわからないのでわかる方,ぜひ連絡してください.てかU-Tokyo Slackにするべきだと思います.卒部feelingsを正確に書くためにも.

 

 

水本の狂気すら感じる18000字をはじめとして,錚々たる分量のfeelingsが多くを占める中で,こんなんでいいのかなと悩む時間も与えられないまま,古川さんが早く自分のfeelingsを世間に公表したいようで,怒っているなどと言われてしまったので,古川さんの顔に免じて今回はここまで!次回作乞うご期待!!

古川さん,傑作,期待しています.

 

 

最後に各学年のア式部員に対してどうしても伝えたいことを書きます.

 

一年

せいじろう,リフティングでボッコボコするから待っとけよザコ.

 

二年

星,わりい.

 

三年

特になし.

 

四年

植田,戻ってこい.

 

 

あっぶね,これだけは書こうと思っていたことを忘れていた.僕は部外の友人に恵まれすぎている.僕の友人のことをア式の仲間は何人も知っているだろう.そのせいで,多大なる迷惑をかけたこともあったと思う.ア式という環境を受け入れてくれた友人たちには感謝しかない.笑顔がキラキラしすぎてるばかなデクの棒も,お笑い倫政マシンも,芸術の権化も,年齢詐称人間だってそうだ.清瀬から用賀に送り届けて清瀬に一人で戻るなんて前代未聞だ.用賀のデクの棒は深く反省するべきである.100倍のお礼をしてやれ.こくわで度々八代とあってつまらない話を聞いてくれていただろう.八代に変わって謝る.ごめん.その代わり大谷一平という最強就活メンターをつけたから勘弁して.勉強するはずが有象無象ついてきてしまってごめん.これは僕が悪いか.電話するたびに,潤は?ヤジは?石丸は?八代は?って,お前は知りすぎだ.年上だけど,お前はもうちょい成長しようか.夜行バスの通路で寝るのは論外だよ.他にもいっぱいいます連絡ください.

 

 

まだ物足りない

 

山田龍玖


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