大切なことはすべてサッカーが教えてくれた


必ず成し遂げたい目標がある。
目標を達成するために成長する必要性を感じる。
そして、人は努力をする。



僕は、努力には2種類あると思っています。


努力しているのに、結果が出ない。
努力しているのに、成長が感じられない。
努力しているのに、もっと努力しろと言われる。
生きていれば誰でもこのような経験があるのではないでしょうか。
こんな時はきっと、
1つ目の努力はできていても、
2つ目の努力ができていないのだと思います。
僕はそのことを、サッカーから学びました。
人生で最も悔しい思いをした日から今までの日々の中で、身をもって実感したのです。




去年の秋、リーグ降格という厳しい現実が東大ア式蹴球部に突きつけられました。
全身全霊を傾けて挑んだ後期リーグ戦。ありったけの情熱を捧げました。
しかし、降格から逃れることはおろか、最下位から脱出することさえできませんでした。
勝ちたいという強い思いは、同じ強さの悔しさへと姿を変えました。
もう二度と、こんな思いはしたくない。
「来年リーグ昇格を果たして東京都1部に復帰する。」
降格が決まった日からの、僕の必ず成し遂げたい目標です。
何よりも勝利を第一に考えて新たなシーズンを歩き出しました。
この目標をどんな時も見失わないようにと肝に銘じて。



目標を達成するためには、今の自分たちでは力が足りなすぎる。
大きく成長しなければならない。
ならばどうやって成長する?
去年の前期リーグを終えた時点で最下位。
自分たちの甘さを知ったはずのチームは、覚悟を決めて練習に励んだ。
全力を振り絞っていた。
しかし、後期リーグは前期にもまして苦戦を強いられた。
他のチームと比較して、成長のスピードも量も全く足りていなかった。
なぜだろう。


考えて考えて、行きついた答えはシンプルでした。
「基準の低さ」です。
人それぞれ、自分の中に「基準」があります。
サッカーで勝つためには何が、どのくらい重要なのか。どこまでこだわるべきなのか。
各々が頭の中で理解しているこれらの情報が、その人の「基準」です。
僕たちは、サッカーで勝つために必要な「基準」をまだまだ知りませんでした。
思い返せば、前期リーグを終えて僕たちが決めた覚悟は、
自分たちの基準そのものを高めたのではなく、
自分たちの今の基準をどれほど満たせるか、その割合を高めたに過ぎなかったのです。
成長とは、自分たちの中の基準を高めていくことに他ならないと感じました。
そして、基準を高めようと意識して努力しなければ、
「今の基準の中で頑張るだけ」という袋小路に陥りがちだということも身をもって知りました。



1つ目の努力とは、基準を満たそうとする努力。
2つ目の努力とは、基準を高めようとする努力。
ここでいう「基準を高める」とは、
今ある基準をさらに高めることのほか、
今まで自分になかった基準を取り入れることも含みます。
2種類とも欠かせない努力です。
ただ、人の心は2つ目の努力を見失いやすいようにできていると思います。
基準は、意識せずとも自然に高まってくれるとは限りません。



2つ目の努力の本質は、「知ること」だと思います。
知ることは、時につらく感じるものです。
30回やれば良い(と思っている)腹筋メニューを29回まで終えたとします。
1つ目の努力をここでするのは簡単なことです。
あと1回腹筋をするということです。
30回という基準を満たし、自分の中の「頑張ってる感」は
29/30から30/30=1へと増加します。
2つ目の努力は、感情に全く異なる作用をします。
「これってホントに30回でいいんだっけ?」
隣の奴にこう聞いたら、なんと50回やらなければならないメニューでした。
自分の中の「頑張ってる感」は、
29/30から29/50へと減少しました。
本質からずれた満足感を心に与えるために、人は1つ目の努力にばかり気を取られ、
2つ目の努力を見失ってしまいがちだと思います。



悔しかったあの日から、僕は2つ目の努力からも目をそらさないように意識しています。
サッカーについて、自分の基準の低さを知る毎日です。
この日々を乗り越えるには、根性が必要です。
根性とは、目標を見失わない力のことだと思っています。
嫌なことを我慢する力ではありません。
何のために努力しているのか、それを見失わなければよいのです。
自分の基準の低さを知ることは、過去の自分、今までの自分を否定されることでもあります。
これを辛いと感じてしまうのは、過去にプライドをかけているからでしょう。
本当に大切なのは、目標を達成する未来にプライドをかけて行動していくことです。


こんな日々がしばらく続くと、僕の心にも変化がありました。
サッカーが、前よりももっと楽しいと思えるようになったのです。
この日々の先に、サッカーの本当の楽しさがあると信じています。
物事の価値が根性で乗り越えて初めて見えてくる場合もあるということが、身に沁みました。



この後の人生でも、基準が高まる瞬間を、
そして自分の基準を高めてくれる存在を大切にしていきたいと思いました。
その存在とは誰か?
周りにいる全ての人です。
どれほど試合中に頭を使い続けられるか
どれほどミスなくプレーできるか
どれほど粘り強くいられるか
どれほどサッカーについて考えられるか
どれほどこだわれるか
どれほど自分を追い込めるか
どれほど情熱を捧げられるか
どれほどチームの未来を考えられるか
どれほど勝ちたいと思えるか
……
チームを強くするための「基準」はいくつもあります。
目を凝らして、耳を澄ませば、
周りにいる誰だって基準を高めてくれる存在かもしれません。
チームはこうやって互いに基準を高め合いながら強くなれるはずです。


ただ、ここで1つ気をつけなければなりません。
チームを1つの個人のように扱うならば、
チーム内で高め合うことは1つ目の努力にあたると思います。
そして、2つ目の努力にあたるのが、
チームから見て外の世界にいる存在にアンテナを張り、基準を高めていくことです。
チームも個人も、
1つ目の努力に終始せず、2つ目の努力に向き合い続けることで
成長できると強く感じました。









今までの人生で、僕はサッカーに色々なことを教わりました。
情熱を捧げ、真剣にサッカーに向き合い続けてきたからこそ、
深く考え、多くを学ぶことができたと思います。
大学サッカーには特に考えさせられることが多く、その分多くを教えてもらいました。
もしかしたら、書店を歩けば同じようなことを学べる自己啓発本に出くわすかもしれません。
しかし、サッカーを通じた実体験から学んだのとそうでないのとでは、
僕の人生にとっての重みがまるで違います。
それは、僕にとって最も大きな情熱を捧げられるのがサッカーだからです。


確かに、大学で部活に入ってサッカーをすることで他の何かの機会を失っているかもしれません。
しかし、その代わりに、僕の人生にとって大きな意味を持つ“学び”に出会える、
かけがえのない機会を手にしています。
人生で一番大切なことは、一番アツくなれるものが教えてくれます。
僕にとって、その“一番アツくなれるもの”がサッカーであり、
このチームで勝つことだからこそ、
今日も僕らはサッカーをするのです。





長々と偉そうなことを書きましたが、読んでくださった方々に感謝申し上げます。
新4年 副将
工藤 航

コメント

  1. 読ませていただきました。たいへん感じ入るものがありました。覚悟と希望が大きくなってきているんですね。
    今シーズンも楽しみにしています。

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    1. コメントを頂きましてありがとうございます。引き続き応援よろしくお願い致します。

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