2018年12月30日日曜日

先般、弊部部員が弊部ブログ内で考えを述べましたが、ブログという形で一方的に発信する内容ではありませんでしたので、公開をとりやめることとしました。ご心配をお掛けした方々には深くお詫び申し上げます。

来季、関東昇格という目標に向け、新主将を中心に話し合って活動していきます。今後とも東大ア式蹴球部へのご支援、ご指導のほど、何卒よろしくお願い致します。


主将 松坂大和

2018年12月28日金曜日

さようならマドリード

「僕は今、マドリードの太陽を浴びている」

これは僕が小学校の卒業文集で書いた文章の書き出しである。

ファンデルファールトにめっちゃ憧れてた影響でレアルが大好きだった当時の僕は、慎ましく謙虚な現在の自分から見ると幾分か自信家であったようで、18歳くらいにはレアルマドリードのトップチームでチームメイトのジョン君だか誰だかとコンビで得点を量産している予定だったらしい。

23歳の誕生日を迎えた今、当初の目標には全く手が届かなかったわけだが、あまりにも生意気かつ見通しの甘い書き出しに、当時の担任の先生の苦笑いが目に浮かぶ。



今年はチャレンジを伴い、中々に困難なシーズンであったが、指導者として迎えた最初のシーズンを優勝という最高の結果で締めくくれたことはもちろん、選手一人一人が本当に見違えるように成長し、楽しそうにプレーしてくれたことが本当に嬉しい1年だった。

最初に指導したチームだから、自分の同期を指導したから、という要因は当然ながらあるが、中沖の強烈なキャプテンシーを中心に据え、サッカーを楽しみながらも堂々と捲土重来を果たして行くみんなの姿は眩しく映り、このチームは、自分がこれからどんなキャリアを重ねたとしても記憶に残っていく、そう感じた。

特に同期の4年生、いきなり帰ってきて指導者をやると言い出した自分の言葉に、しっかり耳を傾けてくれて、結果が出なかった時期にも信頼してついてきてくれた君たちがいたから残せた結果です。本当にありがとう、感謝してます。



さて、指導者をやるようになって改めて実感したことだが、サッカーというスポーツは本当に美しい。

僕がサッカーをここまで愛している理由は、サッカーは僕が知る限り唯一の、「芸術」あるいは「哲学」と結びつけて語られるスポーツだからだ。(フィギアスケートなどの表現種目は別として)

実際、野球やバスケ、アメフトなどの他のスポーツを考えてみても、試合の中で「芸術的なプレー」が単発で生まれ、称賛されることはあっても、サッカーのように選手や監督のスタイルそれ自体を讃える言葉として、「ミケランジェロ」やら「オーケストラの指揮者」やらといったように評されることは少ないように思う。

楕円球ではなく球状のボールは、不確実性を残しながらもコントロールがより容易で、
手よりも細かい操作が難しい足を使ってコントロールすることで、技術それ自体が差別化要因となり、それでいてよりスピーディーかつパワフルなゲーム展開が可能で、
空中ではなく地面に接しているゴールと広いピッチは、小柄な選手や身体能力の劣る選手にも活躍の余地を残している。

サッカーのルールが形成されてきた歴史からは、このような競技性を意図していたとは全く思えないが、結果的に見ればこのような絶妙なルール設定のおかげで、身体能力だけではなく、ビジョンや、発想や、技術や、哲学や、勇気や、そのような「美しさ」を武器にすることが出来るスポーツとして進化してきた。

身体能力を突き詰めても良い、技術を突き詰めても良い、ビジョンを極限まで深めても良い、優れた個人を活かしても良いし、個人技に劣る選手のハードワークでアップセットを起こしても良い。そこには「哲学」があり、「スタイル」がある。



指導者として勉強を重ねていくほど、サッカーの魅力が増していく。もっと魅力的なプレーができる、もっと楽しくプレーができる、そういう可能性が無限に湧いてくるようだ。

たまに練習に入って一緒にプレーしても、プレイヤーだったときよりも楽しくて仕方がない。あの頃はラインコントロールも、ポジショニングも、ずっとあやふやで感覚的だった。チームとして1つのサッカーを追求することはこうも楽しいものなのかと思った。

サッカーを知り、その楽しさを知り、どんどん成長していくみんなを見ていると、正直言って羨ましくなる。
でも一方で、指導者として、サッカーを好きになっていく選手や、成長していく選手を見ると、本当に嬉しくなる。



先日行われた100周年記念式典や納会で、試合を見にきてくださったOBやそれ以外の方々から何人も声をかけて頂いた。
結果は当然だが、それ以上に今年のサッカーの内容を「楽しかった」、「ワクワクした」と言っていただけた。



選手だけではない。指導者だけではない。スタッフも、観客も、OBも、Twitterで結果だけ見る人も、心に「熱さ」を求めている。
それは、友情でも、団結でも、努力でもない、他の「サッカーを通して得られる何か」なんかでは決して無くて、ピッチ上で描かれる「プレー」、またはそこに関わる全ての「事象」を通して、サッカーはそれ自体がもう150年も、世界中の人々の心をあらゆるスケールで揺り動かしてきた。
そして、今シーズンを通じて、自分たちのサッカーが、我々にできる範囲で、しかし確かに、見ている人たちを奮い立たせる試合が出来た。実際、自分もみんなのパフォーマンスに心を揺さぶられた一人だ。

これだからサッカーは辞められない。
やっぱりサッカーは最高に楽しかった、思ってた通り。

選手として、かつて夢見た「マドリード」にたどり着くことはもう出来ないし、それはもう諦めた。
それでも、サッカーはまだまだその楽しさを僕に見せてくれる。
こんな最高なものは僕にとって他にない。サッカーこそが人生だ。
選手も、スタッフも、審判も、観客も、自分も、全員ひっくるめて成り立つあの最高の空間を、もっと熱い、もっと楽しい、そんな空間にできるように、どこまでも論理的に、自分はこれからも自分のフットボールを突き詰めていこうと思う。



さようなら、そしてありがとう、マドリード
そしてまた、ここから
山口 遼

2018年12月26日水曜日

ツラクテモ

お久しぶりです。あれから、3年も経つのですね。時の流れは早いものです。
とうとう、逃げ続けてきたフィーリングスを書かなければならない時が訪れました。


正直、めっちゃ嫌だ。まじめなこと書くのも恥ずかしいし、かといって面白いネタもない。だから、みんなのフィーリングス読んで、うわーおもしれ―なとか、文才あるなとか感心することの方が多い。で、ここまで逃げ続けてきたが、卒業文集という最後の関門が目の前に現れてしまった。初めは、みんな引退してから書くとか言ってるけど、どうせ書かないだろ笑、ぐらいの気持ちだった。案の定、初めはまじめな3人しか提出しなかった。ほっとした。のも束の間、さすがに集まり悪すぎて、グループ単位で締め切りが打ち出された。うわ、やべー。でも、最初にしょーぶいるし、こいつが締め切り守んなかったら逃げられるだろう、と余裕こいていた。そしたら、出した。え、出す感じか。そのあとはみんな立派なことを書いていた。さすがに腹をくくった。でも、思い返せば、ア式にはお世話になったし、恩返しの1つもしていない。このなめた態度を改めてまじめに書くことにした。



改めて、時の流れは早いものだ。今思い返すと、入部したのが昨日のことのようにはっきりと思い出される。でも、部活やっているときは、本当に時間の流れはゆっくりだった。当時、何回、早く引退できねえかな、とかマジで練習行きたくねえな、って思ったことか。いくら思っても、早まることはないと分かっているのに。



2015年(1年) 都2部 位 勝ち点31
2016年(2年) 都110 位 勝ち点8
2017年(3年) 都2  6 位 勝ち点22
2018年(4年) 都2部    勝ち点42



本当に、信じられない。あれだけのタレントを要しながらも、リーグ戦という舞台ではなかなか結果を残すことが難しかった先輩方の背中を間近で見ている分余計に信じられない。
大学に入ってまで、本気で競技サッカーを続ける以上、結果を残してこそ評価されるというのは当たり前だ。もちろん、結果を残さなければ評価されないのは至極まっとうなことである。

あれだけ才能集まった代が2部で3位にとどまり、
あれだけサッカーに真摯に向き合っていた代が1部で勝ち点8しか取れず、
あれだけ才能と個性を結集して団結力あった代が2部で昇格を成し遂げることが出来ずに、

引退していった姿を見ると、正直このまま続ければ、人数も、タレントもそろっていない俺らの代は2部で中途半端な成績を残して、特に印象に残らなかった代になるのかなって思ったりもしていた。結果でこそ評価される競技サッカーにおいて、始まる前から自分の4年間に努力賞を与えようとしている自分がいた。戦う前からあきらめている奴がいるのは論外だが、そういうことじゃない。現実としっかり向き合い、最後の1年をイメージした時に、自信もって昇格できると心の底から言える同期は少なかったはずだ。
 

2018年(4年) 都2部    勝ち点42


しかし、いざ蓋を開けてみたら、この結果。開幕前の大方の予想を裏切る結果だ。もちろん、たまたま、こんなに勝てたわけではない。今年に関しては、必然的な勝利だったといえる。今まで、自分が経験したどのチームよりも成長したし、この4年間を振り返っても練習体系やチームの体制もうまく作用したこともあり、成長速度は異次元だった。あんなに下手だった後輩も、頼りなかった同期も、みんな成長した。そして、自信がついた。ほんとに謎の自信があった。先制された試合でなかなか盛り返すことが難しかった東大が、今年は先制されても不思議と負ける気はしなかった。前期は、帝京と首都、後期は、武蔵、玉川、首都、成城と計6試合先制されているが、その中で負けたのは1試合しかない。それが、今年のチームを物語っている。
その中で、迷惑をかけることも多かったが、俺も多少うまくなって、たくさんの試合に出場して、都2部の優勝に多少なりとも貢献できたのは、素直にめちゃくちゃうれしい。長くにわたって、下手なりに続けてきた最後のサッカー人生で、ここまで素敵なプレゼントを与えてくれたサッカーの神様にはなんとお礼を言っていいか分からない。プロサッカー選手として活躍することを目標にしていたわけじゃないから、サッカーから離れようとしている自分がたくさんいた。その中で、こうして学生サッカーを最後まで続けることが出来たのは、やはり、サッカーを通して出会った先輩、後輩、同期、そして自分が関わらせていただいた全ての方々のおかげでしかない。本当に感謝しています。





 一年目は本当に何もわかっていなかった。サッカーの厳しさ、勝負へのこだわり、練習に取り組む姿勢、敗北の悔しさ、勝利する喜び、サッカーとは何か。どういったものなのか。全部、リーグ戦を本気で戦う先輩の背中が教えてくれた。

めちゃくちゃうまいのに派手なプレーは少なく、誰よりもチームのことを考え、献身的なプレーに終始するかっこいい選手の背中を、

ここで点が欲しいって時にスーパーゴールを決められるア式のエースの気迫を

ボディコンタクトをものともしない、強靭なフィジカルを持つ主将を

母校を共にする、憧れの先輩のスーパーディフェンスを

目の当たりにして、確実に自分の中で動かされるものがあった。そんな憧れの先輩たちと最後の一試合だけだが、出場して、点を取れたのは、一生の宝物になった。と、同時に東経を倒したい、そして悔しいと本気で感じた。そんな一年だった。


舞台を一部に移し、臨んだ二年目。うまくいかないことの方が多かった。やめることも何度も考えたし、本気で練習行きたくないって何回も思った。多分最悪の年。その中でも、いろいろ経験した分得るものも多かったと思っている。

前期、全然試合に出れない

家の近くで、練習試合してんのに、それには呼ばれず、夜の7時から始まる謎の大人たちと練習して、挙句の果てに途中で帰らされるし、
あと必要以上にその話をみんなにしたがる大人がいるし、
練習しているはずの時間に、タッチラインに並んでトップの練習を見てる時間もなげーし、
帰って、飯食ったら日付変わってるし、
退部者続出するし、
謎の大人たちめっちゃうまいからすげー委縮している自分がいるし、
一橋昇格してるし、
まじでウザかった。本当にサッカーが嫌だった。

この年の収穫といえば、1部のレベルを肌で感じられたことぐらいだ。
この年の最終節、自分のこの一年の姿勢を大きく悔いる出来事が起こった。今でもはっきり覚えている。
右サイドからクロスが上がった。絶妙なボールで、目の前の相手の頭を超えた。左ゴールエリア角あたりで胸トラップして、サイドネットにシュートをぶち込む。イメージはできていた。ここで、決めれば・・。そう強く思って足を強く振りぬいた。盛大にふかした。目の前が真っ白になった。仲間のため息、乾いた「ノッサマキナ」、俄然やる気を出す相手の応援、全部が「どれだけはずせば気が済むんだよ」といわれているようで心に重くのしかかった。その中で、後ろにいる同期のやさしい言葉が全身に染みた。そして、前半で交代させられた。
自分を信頼してくれた仲間を裏切ったことが何よりもつらかった。
でも、思い返せば、これがそのシーズンを物語っている。ずっと何かにおびえながらサッカーしていた。怒られないように、交代させられないように、悪目立ちしないように、そんなんで1部相手にゴールを決められるわけがない。帝京相手にリベンジを誓った。


そして、降格。再び、舞台は二部。お世話になった先輩が多く、うまい選手も多い。本当に、このチームで昇格を手にしたいと思った。しかし、何かかみ合わなかった。怪我にも苦しんだし、不完全燃焼だった。
プレシーズン、仕上がりは上々。
でも、これから開幕というときに肉離れをやった。
つかみかけたチャンスを手放すことほどつらいもんはない。
前期は自分もチームもほぼ機能不全。
勝てていないチームに出られてない悔しさ、同期の成長による焦り、メンタルは比較的不安定だった。
前期の成績のために1敗でもすれば昇格は危うい。そんな中、始まる後期。開幕5戦で負けなし。滑り出しは上々。
しかし、上智に負けた。学習に負けた。日生に負けた。成城に負けた。終わった。
こんなもんじゃない感がすごかった。このメンツでもっと上を目指したかった。

いつも、きもい格好で後ろから汚い声を張り上げてくれるキーパー、

タッチライン沿いで一緒によく紅白戦を眺めた口の悪い長身ボランチ、

切り替えに魂を注ぐ、境遇を共にすることが多かったリトルサイドハーフ、

圧倒的存在感を放つ副将、

やさしい主将、

一緒にサッカー出来ることが幸せだった、憧れの絶対的ストライカー

全員に感謝している。1個上に1個上がいてくれてよかった。お世話になりました。

そして、今年。
結構楽しかった。1部でもう一回やりたかったし、東経倒したかった。やり残したことは多いけど、今年が最後でよかったのかなとも思える。

まじで、最初はどうなるかと思った。電通にも、日生にも負けた。最初は去年の公式戦連続敗戦記録を断ち切れなかった。

でも、同期もめちゃくちゃ試合で活躍したし、
一橋には二連勝したし、
五月の試合全部勝ったし、
帝京にもゴールを決めて、リベンジできたし、
おまけに優勝。
割と充実した一年だった。現役で入れてよかった。
一癖も二癖もあるやつ多くて、最初めっちゃ疲れたけど、結局良い代にまとまったんじゃないかな。

いろいろあって、選手は少なくてスタッフが多いレアな代だけど、
選手、スタッフ問わず各々が自立してこのクラブに貢献している姿を見て、改めてこのメンツで最後までできたのは本当に良かったって思う。みんなには感謝しかない。
ありがとうございました。


最後に後輩。
本当にうまい奴が多い。キーパーとか、インサイドハーフとか、アンカーのやつとかべらぼうにうまいし、そのほかにもいろんな後輩に今期はメッチャ助けられた。でも、全員が最初っからうまかったわけではないと思う。
うまくなるって、すごい大事なことだし、うまくなるってすごい難しいんだなって思った。自分も同期の中でうまくなるのがうまい方だとは思わない。でも、それなりにいろんな人を見てきていくつか思ったことがある。
うまくなるということに近道はない。
正直、コツをつかめば、とか思うかもしれないが、コツをつかむのにもトライアンドエラーの繰り返しだ。頭で理解することとそれが出来るようになることは違う。試行錯誤の繰り返しの中で、ようやく他人が言っていることを体で理解できるようになる。だから、練習に対して受け身の姿勢でいるのは論外。怒られないようにとかビビッてやるのは、一番時間の無駄。これは俺も経験しているから、自信持って言える。どんだけ、練習でボール失ってもいいからリョウとかが言っていることを実践しようとしたらいい。その先に見える景色はいつもと違うはず。

ア式にいると、「なんであいつが試合に出てるんだよ」とか、「あいつより絶対俺の方がうまいだろ」とかいう声はちらほら聞こえてくる。別に文句を言うことが問題だと思わないし、むしろ俺は自分の能力にそこまで自信ないから、文句言えるやつはすごいと思う。それはそれでいい。ただ、もっと具体的に言った方がお互いにとって効き目があると思う。実際、俺も「なんでお前が試合出てんだよ」って言われるよりも、「右後ろから敵が来ているときのターン苦手だよね」、とか「ゴール前で慌てるよね」とか、言われる方がよっぽど悔しいし、改善しようと思う。言う方もそれなりの覚悟を必要とするから、文句を言うなら絶対具体的な方がいい。こういった具体的な文句であれば、全然ウェルカムだし、なんならこれを言いあえる環境の方が課題を認知しやすい。そして、成長しやすいと思う。

こんなもんだ。歴代の先輩方みたいに深く考えているわけじゃないから新たな発見って感じじゃないけど、体で理解したといえるのはこれぐらいのことである。

えらそうに言ったけど、要はうまくなって、勝ちまくってほしい。そして、ア式のブランドを高めてほしい。

幸い、あと一年ア式のそばで後輩の活躍を見守ることが出来るので、応援してます。

長くて、読みづらい文章だけど、俺の限界がこんなもんなんでここら辺で許して下さい。

4年間本当にお世話になりました。

そこまでつらくもなく、楽しいア式人生でした
4年 無職 寺山 怜志

2018年12月23日日曜日

偶然の出会い

20031129J1リーグ
横浜Fマリノスは3位で迎えた最終節、首位ジュビロ磐田との直接対決を後半ロスタイムの逆転ゴールで勝利した。2位の鹿島アントラーズが後半ロスタイムに失点して追い付かれたため、マリノスの逆転優勝が決まり、スタンドとピッチが歓喜に沸いた。当時はこれがどれほど奇跡的なことかもわからなかったし、ロスタイムをたまたまテレビで観ていただけだけど、自分をサッカーに引き込むのには十分でした。久保竜彦選手の逆転ゴールのシーンは今でも鮮明に覚えています。





この時以来、自分はずっとサッカーに取りつかれています。なぜなのでしょうか。たぶん最初に真剣に取り組み、成長を実感させてくれたのがサッカーだったからです。他のものでもよかったのかもしれない。それでも、サッカーだったからこそ、プロになるわけでもない自分が大学まで続けてきたのだと思います。
サッカーは最高です。勝利のとき、チームメートが点を取ったとき。今年は前者に13回、後者に50回も立ち会うことができました。頼もしい同期、後輩に感謝です。他にも失点を防いだとき、球際で勝ったとき、駆け引きで相手を出し抜いたとき、ポジショニングで相手の陣形を破壊した時。あげていけばキリがありませんが、サッカーは多くの喜びを味わわせてくれました。



しかし、自分にとっての大学サッカーはそのほとんどが苦しい時間でした。1年の10月にすねの骨を折りました。2回の手術で右足の感覚は弱くなり、復帰までに8カ月以上かかりました。2年の11月、ようやくスタメンをつかんだ矢先に、左膝の後十字靭帯を損傷しました。3年の前期、開幕戦のスタメンに自分の名はありませんでした。そして3年時はチームの体制が本当によくなかった。不必要なストレスにさらされてサッカーをし続けた結果、サッカーを嫌いになりかけました。あんなにサッカーをみるのが大好きだった自分が、この年はほとんどサッカーをみることができませんでした。入院時のフラッシュバックが再発し、何回か練習を休んでチームに迷惑を掛けました。そんな自分がたまらなく嫌でした。
3年のシーズンが終わったとき、自分の中を占めていたのは少しの満足感と多くの虚無感でした。リーグ戦に何試合かスタメンとして出ることができた一方で、今年の結果は自分がいなくても変わらなかったな、と感じていたのを覚えています。何のためにやっているのか見失いかけていて、泥沼にはまっている感覚でした。



こんな状況を救ってくれたのは、サッカーとの偶然の出会いが導いてくれた仲間たちでした。

主将の中沖隼。彼はそんな状況に見かねて自分を怒りました。彼はチームの体制を変えようと誰よりも動いて、体制を変えてくれました。そんな男がまだ自分のことを必要としてくれている。それは消えかかっていた火を灯すのに十分でした。
冬オフにグラウンドに行ってもジムに行っても、いつでも誰かしら同期のプレイヤーがいました。彼らのラストイヤーにかける意気込みに心を動かされたことは言うまでもありません。
それと学生コーチの山口遼。3年時、私はフィジカル的な部分を評価されて試合に出てはいましたが、そこにおいて私は凡庸な選手で、大した活躍はできませんでした。彼はしっかりとしたプレーモデル、戦術をチームに導入し、戦術理解度という評価軸ができました。彼はその部分において自分に絶大な信頼を置いてくれました。
頭を使うサッカーの楽しさ。進学校で自由な環境だったからこそ、自分なりに考えてやってきたサッカーの楽しさを彼はもう一度思い出させてくれました。
みんな、本当にありがとう。



今シーズン、遼が与えてくれた役割は自分には大きすぎるものだった気がします。偽サイドバック、守備固め時のセンターバック。戦術の肝となる部分を任せてもらえ、役割が自分を成長させてくれた部分もあったと思います。おかげでとても充実したシーズンでした。マリノスと同じ戦術を採用していたのも個人的には感慨深かったです。


前期の間はとにかく必死で、しんどかったです。去年大した活躍もしてない自分が周りの選手からどれだけ評価されているかわからない。それでもDFとして声を出して、チームを引っ張らないといけない。サッカーについてよく知っている小椿と遼からの賛辞が心を支えていた気がします。そんな中で中沖が出場停止になったとき、ゲームキャプテンを任されたのはめちゃくちゃ嬉しかった。テクニカルの作ってくれた前期総括が自分に自信をつけさせてくれました。
中断期間には都1部のチームとトップチーム同士で試合をして、31敗でした。自分自身のプレーもかなりの部分が通用したし、駆け引きのレベルが2部より上がって楽しかった。
後期は自信を持って当たり前のことを当たり前にしていたら優勝していた。そんな感覚です。


サッカーの神様には何度も裏切られてきたけど、この半年間、とりわけ帝京戦のゴールの時には微笑んでくれたと思います。昇格を決めた首位攻防戦での決勝点。なかなか貴重な経験をさせてもらいました。昇格が決まった時の景色、今でも鮮明に覚えています。




ほとんど成長しなかった3年間、かなり成長できた9か月でした。
この経験から、大事だと思うこと、みんなに意識してほしいと思うことを、自分の3年間への戒めの意味も込めて少しだけ述べさせてください。

   自分を箱の中に閉じ込めない
これは以前遼がfeelingsにも書いていましたが、かなり大事なことだと思います。自分は足が遅いから、パスが下手だから。このような思考は思っている以上に成長を阻害している可能性があります。自分のできるプレーの範囲を無意識化に決めてしまっているかもしれないし、ミスをそのせいにして思考停止してしまう可能性があるからです。自分は大学1年生の時によく下手くそと言われました。ボールを回すのには技術よりも頭のほうが大事だと頭ではわかってはいたけど、3年生の時までボールを受けることを怖がり、全然チャレンジしなかったことをとても後悔しています。みんなには箱に閉じこもらず、どんどんチャレンジしてほしいです。

   ミスを深く突き詰める
ア式の選手をみていると、パスミスをよくする→壁当てをする程度の思考でとまってしまっている人をよく見ます。サッカーにおいて100%技術によるミスって思っているより少ないと思います。サッカーの複雑性、スピードに脳が追い付かなくなって判断をミスしていることのほうが多いです。首を振れていなかったから、ポジショニングや体の向きが悪かったから、選択肢を複数持たなかったからミスをしたのかもしれない。何気ないパスやトラップのミスでも突き詰めていけば本当の課題が見えてくると思います。そのためにも練習の90分を本当に大事にして、頭を動かし続けてください。プレーを言語化してみてください。映像を1回だけでなく何回も見直してみてください。きっと新しい発見があるはずです。

   当たり前を深堀りする
自分が今まで当たり前と思っていたプレーは本当に戦術上、正しいのか疑ってみてください。チームが変われば適切なプレーも変わります。ゾーンじゃなくてマンマークの感覚が強い選手、思っているより多いです。他には一般的に当たり前とされているプレー、縦パスを入れたほうがいいとか、DFラインを上げたほうがいいなどについてもそれがなぜなのか考えてみると、判断のミスが減ると思います。佐俣はサッカーオタクになれと言っていましたがまさにその通りです。付け加えるならば、同じ戦術を採用しているチームの試合はみたほうがいいと思います。

   87分にこだわる
サッカーで1人の選手がボールを持っているのは3分と言われています。87分のほうのスキルも意識的に伸ばそうとするといいと思います。筋トレ、ステップワーク、首を振る、DF理論や正しいポジショニングを理解することなど。これらはボールを持っている3分の助けにもなるはずです。特にDFはステップワーク、状況に応じたポジショニング、カバーリングにこだわるといいと思います。



さいごに後輩たちへ
うまくいかなくてもがいている人も多くいると思います。きついとは思いますが、絶対にあきらめないでもがき続けてください。困難を乗り越える過程で得た自信、その先に見える景色は自分の財産になるはずです。
関東昇格の景色はどんなものなのでしょうか。それにチャレンジできるみんなが本当にうらやましいです。
自分もOBコーチとしてできる限りの協力をします。一緒に頑張りましょう。




サッカー人生で出会ったすべての人々に感謝、いつも応援してくれていたすべての人々に感謝、大好きなサッカーを大好きなまま終われたことに感謝
4年 DF 日野雅奈

2018年12月21日金曜日

サッカーが好きだから

まともにステップすら踏めないくらい運動音痴だった自分が、偶然近所にスクールがあったという理由で始めたサッカーを15年以上も続けるなんて本当に奇跡のようなものだと思っています。本当に多くの経験をしました。多くの感情がありました。多くの人に出会いました。



自分はどうしてこんなにもサッカーを続けてたのだろうと考えたことがあります。プロになるわけでもないのに、どうして自分はサッカーを第一優先してやっているのだろうと。ア式に入ってから何度かサッカーを辞める選択肢を考える機会がありました。しかし、その度にサッカーを続けようという選択肢をとりました。そういう決断をし続けた理由は1つしかないです。




本当に、サッカーをするのが好きでした。



ただ、サッカーをしたかったし、上手くなりたかった。自分に才能があろうと無かろうと、そんなのは関係ありませんでした。



東大に入って、農グラで試合をしているア式の先輩方の姿を見て、たまらなくサッカーがしたくなりました。そのときすぐにア式に入ることを決断しました。



ア式では良い経験を沢山させてもらいました。社会人リーグの東蹴倶楽部戦で決めたゴールは今でも忘れられないし、Iリーグで応援の中勝利した日体大戦とか、サッカーを続けていたからこそ得られる快感というか喜びはやはり他では感じることができないものです。昔できなかったプレーができた瞬間の快感も何度も感じました。LBセカンド自体や、上武大まで行ってボコボコにされた試合だとか苦い記憶も沢山あるけれど、総合的に考えれば決して無駄ではなかったと思います。




それでも最後の1年間は、自分の中でも後悔が多いです。

それはやはり、サッカーをする、うまくなるために楽しむという部分がすっぽり抜けてしまったからです。遼に導かれてうまくなる仲間をよそ目に、自分は「うまくやろう」と考えてしまっていたのだと思います。映像を見たり、メモして復習したり、自分なりに工夫したつもりでしたが、おそらくその深みが足りず、大きく変わることはできませんでした。そのような日々が続き、気付いたときには「自分は引退までにこれ以上上手くなれない」と考えるところまで来ていました。月並みではありますが、初心を忘れて「うまくやろう」としたことで何もうまくいかなかった結果です。そんなときに話を聞いてくれたり声をかけてくれた同期や先輩には助けられました。




最後の3ヶ月、少しですが、今までサッカーを続けてきた理由を思い出せました。




やっぱり、サッカーをするのが好きでした。その気持ちがあるからこそ、上手くなれるのです。こんな重要なことを忘れてしまっていたのが、僕の一番の後悔です。後輩たちには是非そのことをどんなときも忘れないでほしいです。サッカーをやりたいという気持ちを常に胸に留めながら正しい努力ができれば、必ず上手くなれます。




急に失敗談から当たり前な内容の教訓じみたことを書きましたが、心の底からそう思っているので書かせてもらいました。来年もコーチとして関わるので一緒にうまくなりましょう。




チームは二部優勝を成し遂げましたが、自分は満足のいく貢献ができませんでした。「終わりよければ」というfeelingsの直後ですが、個人的には決して終わりが良かったといえる自信はありません。




それでも、本当にア式に入部して良かったと思っています。サッカーの面白さを改めて教えてもらいました。自分の強みも弱みも全て教えてくれました。練習以外でもいつでも頼りがいのある先輩方や、生意気ながらも頼もしい後輩に出会えました。そして、一生信頼していきたい素晴らしい同期に出会えました。



なによりも、こんなにも楽しいサッカーを大学生になってまですることができて幸せでした。より一層、サッカーが好きになれました。入学当初にア式に入るという選択をした自分を褒めたいです。



大学に入る前までも僕はチーム、仲間、指導者に恵まれていたと思います。自分の選択や偶然が重なり、結果的に15年以上も続けるほどサッカーというスポーツが好きになれました。本当に幸せなことだと思っています。



長く拙い文章になってしまいましたが、最後に、サッカーを続けてきた中で関わってきた全ての人や環境に感謝の意を伝えたいです。ありがとうございました。



将来の夢はリバプール対シティをアンフィールドで見ること

4年MF  藤山晃太郎

2018年12月19日水曜日

足りていないとしても

いきなり関係ない話で申し訳無いのですが、先月高校のテニス部を引退した妹の話をします。

やめる直前にテニスの上手い同期に努力が足りていないと言われ
自分なりに頑張って来たのに、と家で泣いているのを見ました。

ア式と妹のテニス部を同列に語るのが適切かはわかりませんが
それでも
似ているな、と思ってしまいました。

努力が足りていなくて、
足りていないとしても自分なりにもがき苦しみ頑張ってはいるつもりで、
それでもなかなか評価されたり結果に繋がることがなくて




今度は僕自身の話をします。
後輩のみんなには馴染みもないでしょうが、自分は選手として試合に出るつもりで入部しました。

色々な事情があって、自分自身色々なものが足りなくて、一年の秋にスタッフという立場を選びました。

 LBでサッカーを続けていました。選手として芽が出ないよりは部に対して出来ることがありました。

それでも

選手としてもっと出来た努力があったのではないか、あるいは本当に自分がやりたいことをしているのだろうかという葛藤がなくなることはありませんでした。
(一応言っておきますが、ア式に入ったことも、プレーヤーでなくなったことも、その選択自体に後悔はしていません)




スタッフとしてチームのために何かを出来たかという視点で自分を振り返っても、素直に自分を褒められることもあるし、もっと出来たと思うこともあります。

自分がチームにもたらせた価値は何かしらあったと思っているし、ここまで苦しく感情をぐちゃぐちゃにかき乱されながら、それでも四年間続けられたことに幾ばくかの達成感はあります。

一方で、自分の力不足でうまくいかなかったあの企画、苦しんでいるのを知っていながらもただそれを見ていることしか出来なかったあの人、
もっとこう出来たらと考え始めるときりが無いほどです。




最後に書くfeelingsだし、筋の通った話を書きたいと思っていたのですが、なかなか話を一つにまとめることが出来そうにないです。

全く試合に出れない立場から這い上がって公式戦で点を決めるしょうぶや佐俣を見るたびに本当に嬉しかったのも
佐俣のfeelingsを読んで自分もこんなことが書けたらと思ってしまったのも

毎日の練習に妥協しない仲間の姿を見て力をもらっていたのも
毎日当たり前に練習ができるみんなに嫉妬していたのも

どれも紛れも無い自分自身の感情で、一つの文章にまとめようとするには多すぎて複雑すぎるのかもしれません。





なので、少しありふれた話になってしまうのですが、三年半を振り返って自信を持って言えることを一つだけ
後輩のみんなへ送る言葉として、そして未来の自分への戒めとして記したいと思います。

きっとみんな考えて努力をしていて、時には苦しいことや上手くいかないこともあって、でもそれは決して間違っていることでは無いと思います。
ただ、もしかしたらもっともっと出来ること、上手いやり方もあるかもしれない。だからあともう少しだけ、前を見て知恵を絞って頑張ってみてはどうでしょうか。

ふらっと試合を見に御殿下に帰った時、1人でも多くの後輩が輝いている姿を見るのを楽しみにしています。



ア式での時間の中で関わりのあった全ての人に感謝しています。三年と半年、本当にありがとうございました。

森本和人

2018年12月17日月曜日

終わりよければ

923日、勝てば昇格決定の重要な帝京戦。スコアは3-12点リードで残すところ数分の場面での出場。自分の裏に来たボールをクリアでなくより良い状態で触ろうと欲張った結果自陣エリア付近での不用意なファール。結果的には難を逃れそのまま試合終了。ライバルを破り昇格決定。涙、歓声、感動、歓喜、歓喜、歓喜。


直前の監督交代などで物議を醸したW杯日本代表、途中主人公を裏切るも最終的に友情をみせ力を合わせて苦難を乗り越える出てきがちな映画のサブキャラ、散々苦しめられたけど結局単位はとれた法学部の単位。本当に良いかどうかはさておき、大体のことは最後が良ければ、なんだかんだ良い感じの印象を持って終われる。


無事勝利した安心感、自分のプレーへの不甲斐なさ、自分がミスをしてもダントツで昇格を決めるチーム。自分のア式人生、真剣に取り組むサッカー人生の最後は、記念撮影、喜びの抱擁の中、ぎこちない笑顔をみせながら、なんともいえない情けなさでいっぱいだった。


個人的には悔しさ、熱い思い、過去の過程は結果に結実した人が書けば良いと思うし、過去の苦労も自分以上に書くに値する人が数多くいると思うので、ここでは完結に感謝を。


ただ入部のタイミングが悪かっただけで自分たちの代が主に対象になった戦力外制度の対象になることもなく、代替わりのたびにAチームでアピールする機会を与えてもらえ、良い指導者にも恵まれ、学年が上がるにつれ、特に最後の一年は加速度的に、サッカーが本当により好きになれた。

大きな怪我をすることもなく、実家で栄養と睡眠を十分にとれ、日々過ごしても一切飽きることのない先輩、同期、後輩に恵まれた。心身ともに何一つ言い訳のない、だからこそ自分のサッカー的、精神的な数多くの弱みと、ちょっとの強みを知ることのできた四年間。


何一つ結果に対して言い訳のしようもない四年間を過ごせたこと、一年生の時に憧れたサックスブルーのユニフォームを着て公式戦のピッチに立つ喜びを味わえたこと、悔しさ、虚しさなど色んな感情を与えてくれたこと、最後にみんなで昇格の喜びを味わえたこと。何よりこの四年間、ずっと楽しかったと思わせてくれた仲間に会えたこと。
自分の弱さ、至らなさを最後まで示し続けてくれたこと。ア式蹴球部を選んだこと。
全てが自分にとってプラスでした。本当にありがとうございました。


あとは満を持してドヤ顔で語れる人生にするだけ。
自分の将来への決意と、関わってくださった人全てへの感謝をこめて
4MF 保坂拓人

2018年12月15日土曜日

身に余る幸運

こういった形でア式の人に何かを発信することは稀なので非常に書き出しに悩みます。ここまで同期たちのfeelingsを読んできて、引退した身で読んでも胸を熱くさせられるもの、「卒業文集」とか言って後の人間がちょっと書きづらい空気を作るもの、昔存在した制度についてフラットな視点から論評を加えるもの、と方向性がバラバラすぎて、実に「らしいな」と感じるばかりです。ということで僕も僕なりに考えたことを書こうと思います。

 自分が体験してきたこと以上のことに触れられるだけの器ではないので、狭い世界観の話になってしまいますが、今後ア式を創っていく選手の皆さんに、いちテクニカルスタッフだった者としてひとつお願いしたいことは、「スタッフ陣に出来る限りの信頼を置いてほしい」ということです。理由はシンプルで、そうすることでお互いに一番速く成長できるからです。スタッフは選手たちの(場合によっては潜在的な)需要に応えることで己の存在価値を見出していくものだと思うし、選手にとってスタッフは「資源」のようなもので、上手く利用できる者はそれだけ効率よく成長できる者であるとも思います。

 僕はそういったことを一つ下のテクニカルの後輩を通して強く実感しました。前期の一橋戦、彼がスカウティングを担当し、勝利したあの試合からの成長速度はすさまじかったと思います。試合後の姿を見て、多分あの試合から彼も「選手からの信頼・期待」を感じられるようになったのではないか、と勝手に考えています。思い返せば、僕にとって一番タメになったのは、3年の夏に育成チームのサッカーについて同期達とああでもないこうでもないと話し合った経験で、それもつまるところ「選手に求められた」からこそのことなのかなと思うわけです。

 最後になりますが、今になって色々と振り返ると、ただただ幸運なア式人生でした。入部するタイミングで既にテクニカルスタッフという役職が存在していたこと、下手っぴもいいところな人間がピッチ上の事象に意見することが許されていること、何の実績もない状態であっても大事な大事な公式戦のスカウティングを任せてくれること、分析資料を作ったら感想や改善点を伝えてくれること、長い話にもきちんと耳を傾けてくれたこと、最後の1年まで日々成長できる環境で過ごせたこと。

どれをとってもただただ周囲の人たちに感謝するばかりです。正直なところ僕はア式を辞めたいとか思ったことがほとんどなかったです。みんなそれぞれ色んなところでめっちゃ悩んでたのに、なんか浅い感じもしますが、ア式辞めても結局サッカー観るだけなので、辞める選択肢がなかった。それくらい僕にとって幸運な環境でした。前の日にあった海外とかJリーグとかの試合の感想について、ある程度誰とでも盛り上がれるのはまじで最高でした。この環境から離れなければならないのかと思うと寂しい気持ちでいっぱいです。

ひとつくらいシンプルにア式良かった!って感じのfeelingsがあってもいいと思うので、ここらへんで終わりにします。今まで色々と関わってくれた皆さん、本当にありがとうございました。関東昇格の日を心待ちにしています。



日野と佐俣と山口いつもテク部屋来てくれてありがとう。

4年 テクニカルスタッフ 小椿 直輝