足りていないとしても

いきなり関係ない話で申し訳無いのですが、先月高校のテニス部を引退した妹の話をします。

やめる直前にテニスの上手い同期に努力が足りていないと言われ
自分なりに頑張って来たのに、と家で泣いているのを見ました。

ア式と妹のテニス部を同列に語るのが適切かはわかりませんが
それでも
似ているな、と思ってしまいました。

努力が足りていなくて、
足りていないとしても自分なりにもがき苦しみ頑張ってはいるつもりで、
それでもなかなか評価されたり結果に繋がることがなくて




今度は僕自身の話をします。
後輩のみんなには馴染みもないでしょうが、自分は選手として試合に出るつもりで入部しました。

色々な事情があって、自分自身色々なものが足りなくて、一年の秋にスタッフという立場を選びました。

 LBでサッカーを続けていました。選手として芽が出ないよりは部に対して出来ることがありました。

それでも

選手としてもっと出来た努力があったのではないか、あるいは本当に自分がやりたいことをしているのだろうかという葛藤がなくなることはありませんでした。
(一応言っておきますが、ア式に入ったことも、プレーヤーでなくなったことも、その選択自体に後悔はしていません)




スタッフとしてチームのために何かを出来たかという視点で自分を振り返っても、素直に自分を褒められることもあるし、もっと出来たと思うこともあります。

自分がチームにもたらせた価値は何かしらあったと思っているし、ここまで苦しく感情をぐちゃぐちゃにかき乱されながら、それでも四年間続けられたことに幾ばくかの達成感はあります。

一方で、自分の力不足でうまくいかなかったあの企画、苦しんでいるのを知っていながらもただそれを見ていることしか出来なかったあの人、
もっとこう出来たらと考え始めるときりが無いほどです。




最後に書くfeelingsだし、筋の通った話を書きたいと思っていたのですが、なかなか話を一つにまとめることが出来そうにないです。

全く試合に出れない立場から這い上がって公式戦で点を決めるしょうぶや佐俣を見るたびに本当に嬉しかったのも
佐俣のfeelingsを読んで自分もこんなことが書けたらと思ってしまったのも

毎日の練習に妥協しない仲間の姿を見て力をもらっていたのも
毎日当たり前に練習ができるみんなに嫉妬していたのも

どれも紛れも無い自分自身の感情で、一つの文章にまとめようとするには多すぎて複雑すぎるのかもしれません。





なので、少しありふれた話になってしまうのですが、三年半を振り返って自信を持って言えることを一つだけ
後輩のみんなへ送る言葉として、そして未来の自分への戒めとして記したいと思います。

きっとみんな考えて努力をしていて、時には苦しいことや上手くいかないこともあって、でもそれは決して間違っていることでは無いと思います。
ただ、もしかしたらもっともっと出来ること、上手いやり方もあるかもしれない。だからあともう少しだけ、前を見て知恵を絞って頑張ってみてはどうでしょうか。

ふらっと試合を見に御殿下に帰った時、1人でも多くの後輩が輝いている姿を見るのを楽しみにしています。



ア式での時間の中で関わりのあった全ての人に感謝しています。三年と半年、本当にありがとうございました。

森本和人

コメント