楽しければ良いのか

大学生になると、高校までとは異なり、行動範囲や自由時間も増え、人それぞれ全く違った過ごし方で楽しんでいる。ある人は旅行をして、また違う人はゲームをして。結局、人それぞれ楽しいと思う事は異なるのだが、果たしてその様々な「楽しい」ということには何か共通点があるのだろうか。そして、ア式でサッカーをして「楽しい」ということはどういうことなのか。その「楽しい」は他の「楽しい」を捨てて追い求める価値のあるものだろうか。ア式に入った頃からこのことを考えていた。

とはいうものの、様々な「楽しい」ことの共通点としては、それによって自分が幸せになることができるという点だと思うし、みんなもそうだと分かるだろう。問題にしたいのはこのことではない。

少し話が逸れるが、9月30日に行われたRIZINの試合の1つに、堀口恭司vs那須川天心の試合があった。二人とも世代を代表する格闘家であり、注目度も高く、互いに絶対に負けられない試合だった。しかし、その極度の緊張状態の中で試合を二人とも楽しんでいるように見えた。それに対して、その日自分はその放送までの間Netflixでずっと海外ドラマを見ていた。確かに、見ている時間はまあ楽しい。しかし、RIZINの試合における格闘家二人の楽しさに比べると圧倒的に虚しい楽しさであった。この2つの「楽しい」は全く同じものではないことは明らかだろう。では、何が違うのか。

それは「密度の濃さ」だと思う。緊張や不安、期待や負けん気など様々な感情がある中で目の前のことに集中して取り組み、自分の世界に入り込む。一つ一つの瞬間を大事にし、その瞬間に意味を持たせる。そうやって密度の濃い時間を過ごし、それが「楽しい」と感じるのが前者の「楽しい」であろう。このような意味で今シーズンのア式のサッカーはその「楽しい」を体現していたと思う。真剣勝負の中で良いプレーをして勝ちきる。僕が言うのもおこがましいが、とても魅力的なサッカーをしているな、と思った。

また、この密度が濃い「楽しい」は練習中であっても、真剣に取り組み、上手くいった時に感じることができる。これこそが真剣にサッカーに取り組む面白さなんだろうなと最近良く実感する。

ただ、Netflixとか旅行とかゲームとか娯楽的な楽しみには価値がないと言っているわけではない。結局人生楽しければ良いわけで、インスタントな「楽しい」は非常にコスパが良く、人生に充実をもたらすとても重要なものである。

でも僕は密度の濃い「楽しい」をア式で味わいたい。これがア式でサッカーをする理由の内の大きな一つである。真剣勝負を楽しみ、その中で自分も驚くような良いプレーをする。その時今まで味わったことの無い程「楽しい」と実感するために、自分と向き合い、サッカーを楽しみながら、努力し続けたい。

1年 吉本遼平

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