2019年11月2日土曜日

自己肯定

「なぜ、4年間、様々な犠牲を払い、サッカーをしているか」

これは、筑波大学蹴球部の部員ブログ内で提起された問いである。そのブログを書いた方は、そのメンバーのほとんどがプロを目指すというトップチームに所属しプレーするも自身は医師になろうという、異色の、まあ俗っぽい言い方をすれば文武両道の極みのような方だ。


先日自分はこのブログを読んで実によく考えさせられた。いや、自分だけでなく、これを読んだ他のア式部員も色々なことを考えさせられたのではないだろうか。というのも、我々ア式部員は、学問において多分野で日本トップクラスの東京大学に身を置きながら、多くの時間と情熱をサッカーに注いでいるという点で、(学問、サッカーそれぞれのレベルはさておき)筑波の彼と共通する部分があるのだ。実際、我々は何度もこれを問われてきているし、それはきっと自分が入部するよりずっと昔から変わらない事なのだろう。


自分は、feelingsでも使い古されたこの問いをテーマに書いていこうと思うが、このテーマの文章は往々にして、「このままサッカー続けてて本当に大丈夫か」という自身に対して非常に懐疑的なものになりがちだ。しかし、今の自分にはサッカーをやることに対して懐疑的な思いはほとんどない。そこで今回は、冒頭で掲げた問いについて、議論を進めていく中で、今のサッカーをやる自分を肯定していこうと思う。



ここでは、この問いの「犠牲」という部分について考える。ここでの犠牲というのは二種類あると考えられる。一つは、今現在サッカー以外のやりたいことをやれないということ、もう一つは、サッカーのせいで将来のためになることができず可能性を狭めてしまうということ、この二つだ。


まず一つ目の犠牲について、これに関しては今の自分にとって疑いようのないことで、本当にたったひとつのシンプルな答えがある。サッカー以上にやりたいことがないのだ。勉強に打ち込んだり、バイトしてお金をためて色々なものを買ったり、友人と遊びまくったり、飲み会しまくったりするより、本気でサッカーする方が楽しいし好きだと自信を持って言える。ただ自分には表現する力がないため、ここではサッカーの魅力については触れないでおく。(サッカーの魅力ってなんだと思った方は、弊部現ヘッドコーチである山口遼さんのfeelings「さようならマドリード」を読んでみると良いと思う。サッカーの魅力について的確かつ端的に記述されている。)まあとにかく、そうである以上、このことについて、議論の余地はない。


ではもうひとつの犠牲について、これがなかなか厄介なのだ。一般的に、東大生というのは、高い能力を持ち、将来に大きな可能性を秘めていると考えられる。(其の実、ただ入試を突破しただけであり、実際そうか微妙なところではあるが)それ故に、大事なモラトリアム期間をサッカーに捧げるのは如何なものかという疑問が湧くのも自然である。しかしそれでもなんとか自らに肯定的に話を進めていこうと思う。


まず、これについての議論をするための準備として、少しこれからの人生について書いていきたいと思う。人生というのは、自分のみのことではなく、自分たちの世代の全員に共通して言える、人が生まれてから死ぬまでの生涯のことである。


現在の常識として、人生というのは、高校や大学までで教育を受け、就職し働き、6065で引退し老後を迎え、そして死ぬ、一般的にこう考えられている。このような教育労働引退という三つの段階を経る人生を3ステージの人生と呼ぶ。


しかし、ある本によると、これからの我々世代の人生は、3ステージでは成立しないらしい。その主な原因は長寿化であるが、他にも、少子高齢化、年金問題、テクノロジーや仕事の変化スピードの上昇などがある。それではこれからどうなるかというと、人生の中で経る段階が増えるのである。最初に教育を受け仕事に就いたら引退まで同じ会社でなんてことはほとんどなく、自らの状況ややりたいことなどに合わせて、キャリアの中で何度も転職し、時には、テクノロジーやビジネスの変化に対応するため、大学などに通い、もしくは海外に留学し、新たに必要な知識やスキルを身につけ、それまでとは全く別の業界で働くこともあるだろう。そして、このような人生にはロールモデルというものはなく、それぞれの考えや状況によって、実に多様なものとなる。本によるとこのような人生は、マルチステージの人生と呼ぶらしい。


もちろん、未来のことなので、完全にこの通りになる保証は全くないが、この文章では、少なくともこれに近い、今より流動性の高い世の中になるものとして話を進めていく。


では話を戻す。ここで、可能性を狭めるということの具体例を考えてみる、弁護士や公認会計士等の資格を取るための勉強ができない、であったり、ボランティアや海外留学といった経験ができない、ということ辺りだろう。これらと先述のマルチステージの人生を合わせて考えた時、これらは本当にサッカーの犠牲になっているだろうか。


答えは否である。


マルチステージの人生ならばこれらのことは、その先の人生で十分にやることが可能だ。


では翻って、サッカーについてはどうだろう。これからの人生で、これほど恵まれた環境で、同じ熱量を持った仲間と本気でサッカーをすることができるのだろうか。


答えは書くまでもない。




ここまで、気持ち悪いほど長々と、恐ろしいほど自己中心的に、サッカーをやる自分を肯定してきたが、こんなことを書ける自分はなんて幸せ者なんだろうと思う。


これほど自らを肯定できるのは、ひとえに、ア式で本気でサッカーができることに満足しているからである。


この状況は本当に全く当たり前ではない。


綺麗な人工芝のグランドに部室、そして部そのものを100年以上に渡って残してくださった偉大な先輩方、遼さんを中心に、勝つための方法、上手くなる方法、サッカーの深みを教えてくださるOBコーチ、わからないなりにもプレーヤーの思いを理解しようとし、身を粉にして働いてくれるスタッフ、思いを共にし、支え合いながら切磋琢磨できるプレーヤーの仲間たち、その他これまでの自分を育て支えてくださった多くの方々、そして、自分を生み、育て、どんな時も支え励まし応援してくれる両親、これらすべての人の想いと行動のおかげで、この今が成り立っている。


本当に感謝しかない。


そして、これから自分はア式の中心を担っていくと思うが、先輩方が作り残してくださった素晴らしい環境を維持し、さらに発展させ、未来のア式部員が最高だと思えるような部を残していきたい。これは責任があるだとかやらなきゃいけないということではなくて、純粋に、内発的に生まれた想いである。


最後に、この恐ろしく冗長な文章をどれだけの人が読んでくれるかはわからないが、未来の自分を含め、本気でサッカーをやることに迷いが生まれた人が読んで、もし少しでも勇気を与えることができたら、それは本当に幸せなことだ。



4年生の皆さん、本当にありがとうございました
1年 松波亮佑

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