行き当たりばったり男、行き当たる。
行き当たりばったり…計画を立てないで、その場の成り行きにまかせること。
Iは無計画で気分屋で行き当たりばったりな奴であり、これまで行き当たりばったりな人生を送ってきた。先のことなどほとんど考えたこともなかった。予定を立ててそれ通りに動く、というのが非常に苦手なのである。今日は何かうまいものを食べよう、と思い立ち、えせ関西人と池袋に行くにしても、なんかあるやろ精神でリサーチなしで行くから結局しょぼい店に行きつくことになる(たいてい松〇やかロッ〇リアである)。
Iが東大に入学することになったのも行き当たりばったりの産物である。統一テストの成績では金沢市ワースト1位を争う某公立中学校を卒業し、晴れて高校に入学したIの頭に「東大入学」などというパワーワードが浮かぶはずもない。1年の進路希望調査ではサッカーが強いという理由で筑波大学を志望した。天皇杯で勝ち進んでいた筑波大学はサッカーバカからすればあこがれの的であったし、Iの定期試験の成績的にも妥当な選択であった。しかし、時が過ぎるにつれ、何故か成績が上がってきた。そしてIは京大にかすかなあこがれを抱くようになった。「京大」という響きがなんとなくIにとって心地よかったし、変人が多く生息しているという噂もIの背中を押した。そして2年になるころにはIはすっかり京大信者になっていた。しかし、成績の向上は止まることを知らず、3年になるとついに担任に東大をゴリ押しされることとなる。東京と言えば満員電車のイメージしかなかったIは志望変更を渋った。そして判断を保留にした(Iの得意技である)。しかし、放課後補習が始まるころになると志望校を確定させなければならなくなった。ただ、そのころ、無垢なIの中に都会に対する淡い憧れが芽生えていた。
東京タワー、かっこいい。
そしてついにIは東大を志すこととなったのである。このようにIの行き当たりばったりエピソードなど挙げればきりがない。自粛期間中には思いつきで21時に自転車で江の島に向かう、という奇行に走り(これに付き合ったえせ関西人は気の毒なものである)、天気も確認しなかったため、帰りには(江の島には無事午前2時に到着し、カップ焼きそばを食べながら日の出でも見て帰ろうと思ったが、方向を間違え、ただ単にじわじわ明るくなっていく水平線付近を眺めて迎えた翌朝のことである)道路が冠水するほどの大雨に遭い、睡魔もあいまって地獄を見ることとなった(翌日、Iは無事寝坊を果たし、記念すべき第一回内部練習で無断欠席をかますこととなる)。進路だって未だに全くと言っていいほど決まっていないし、将来の夢など言うまでもない。ただ、ネガティブにとらえられがちな「行き当たりばったり」な性格だがIは何かとうまくやってきた(?)。先のことなど考えないから、何かについて思い悩むこともほとんどないし(今悩んでいることはと言えば、某山田がどうやって東大に入ったのか、ということくらいである)、そのときの気分を最優先するからストレスも全くたまらない(それに付き合わされる周りはストレスが溜まって仕方ないかもしれないが)。計画的に問題を回避するようなことはせず、問題に行き当たる度に何となく対処する、Iはそんな人生を送ってきた(これからもそうだろう)。
そして今、新しい問題に行き当たった。
Iの行き当たりばったりな性格はサッカーにおいても貫かれてしまっていたのだ。とりあえずボールをもらおう、ヘイ。よしパスが来た、さてどこにパスを出そうかしら、、、。
育成チームではそれでもある程度は通用した。パスコースを素早く見つけるのには自信があるし、ボールの扱いだって下手ではない。ただ、サッカーにおいて行き当たりばったりには限界があった。Aチームで練習するとなると顔を上げたときにはもう相手が目の前まで来ている(例えるならば、気づいたときにはもう履修登録期間は終わってしまっていた、というようなものだろう)。これではどれだけ判断スピードを上げたとしてもどうしようもない(どうあがいたところで降年は避けられない)。そうしてミスを重ねるうちにIのプレーはどんどんしょうもないものになっていった。
サッカーにおいては「行き当たりばったり」をやめる必要がある。
当たり前のことだが、ボールを受ける前に周りの状況を把握しておく、次のプレーを考えておく、次に何が起こるか予測する。それをプレー中、常に継続する。これが無意識にできるようになればIは新たな一歩を踏み出すことができる。
がんばれ、I。
ただ、Iの行き当たりばったりライフはこれからも続く。それがIだからだ。そんなIのお世話をこれからもお願いしたい。
てゆーか、関東リーグ行こーや。
行き当たりばったり問題に行き当たる行き当たりばったり男
1年 大谷一平
トイレしたあと手洗わないのやめて欲しいです。
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