空虚な本音

 こんなにfeelingsを書いていて、今の自分の空虚さに気づかされると思っていなかった。

 

 

feelingsは、部員がその時々の自分の思いを、部の内外に発信することは勿論の事、同時にその思いを自分なりに消化する場でもあると思っているが、いつもならば自然と消化したい気持ち、発信したい内容がいくつか思い浮かはずなのに、今回ばかりは、心の底から描きたい文章が一切見つからないまま、ペンを走らせている。本来ならば春先に投稿するはずだった自分のfeelingsも、その時の自分と真正面から向き合い、感情を整理して、ある程度の納得がいくものは書きまとめることができたが、新型コロナウイルスの感染拡大によって強いられた、自粛期間という未曾有の空白期間の間に、自分自身の考え方も当然その時とは変化していたため、改めてその文章を表に出すことに強い違和感を覚えた。そこで、改めてテーマを設定して、今の自分と向き合い直そうと努力してみたものの、やはりそれは「努力」の域を超えることはなかった。何を書いても、表面ばかりを取り繕って、下手に美化した、歯切れの悪い文章ばかり。何度もゼロから書き直したが、結局は本当に書き起こしたい自分自身の内なる感情が何一つ見つからなかった。

 

 

「感情で物事を片付けるような人生は歩みたくない」といつしか考えるようになったが、今はそれすらも綺麗事のように聞こえてしまう。「感情」には必ず、それが生じるきっかけとなる出来事が存在するもので、自分自身の「行動」という何かしらのアクション無くしては、「感情」というリアクションは生まれない。それゆえ、先に「行動」を起こすことこそが何よりも重要で、「感情」は後からついてくる副産物のようなものと考える。「感情論」は、リアクションという従属変数で物事を語っているという点において、人生における成功や失敗の本質から目を遠ざけたまま、根本的な自己分析と自己変革から現実逃避し、他人ごととして自分を傍観しているようなもので、いわば、プロ野球の試合を見て、ネット上で選手の文句ばかり言う醜い輩と何ら変わらない。しかし、このような議論さえも、どこか表面的で薄っぺらく感じてしまうのは、やはり自分自身に問題があるのか。

 

 

今年も、あっという間に夏が過ぎ、心地よい秋風が吹く季節になった。「長崎」という地で生まれ育った人間にとって、特別な意味を持つ「8月9日」は、毎年、自分自身に多くの事を考えさせる時間をくれる。思えば、昨年のその日は、静岡の時の栖で合宿の真只中だった。その場所に初めて訪れたのは、かつて自分が12歳の頃、全国大会の時だった。九州という遠く離れた場所から出て来た一人の田舎者が、「サッカー」という当時と共通の目的のために、大学進学後に再び、(三度、)この地を訪れるとは、12歳の自分は微塵も思わなかっただろう。当時の記憶を辿りながら、一人懐かしく思っていたことを覚えている。

 

 

1945年8月9日、長崎の地は、米軍に投下された一発の原子爆弾によって、瞬く間に焦土と化した。真夏の蒼空に突如として放たれた閃光は、灼熱の爆風とともに、先人たちが築き上げて来たその地の長い歴史と文明を、一瞬にして奪い去っていった。長崎の人間は、この日の112分を迎えると、黙祷を捧げ、犠牲になられた方々への御霊に弔意を示す。地元にいた頃、被爆者の方々から当時の体験を伺う機会が沢山あった。高齢になられた今もなお、その記憶を風化させまいと、若い世代に対して、戦争の恐ろしさを直接伝えて下さる。そんな被爆者の方々の話の中で特に印象に残っているのは、75年前の当時には、未だ成人すらしていなかった多くの若者が、自分のやりたいように勉学に勤しむこともできず、学徒動員や徴兵制の対象となったこと、罪のない前途有望な若者達が、戦争という冷酷で残忍な人間の愚かさによって、その未来を無差別に断ち切られ、生きることでさえ許されなかったこと。この話を聞く度に、自分は見失っていた大切なものに気づかされ続けて来た。

 

 

「何不自由なく、やりたいことがやりたいようにできること。一見当たり前のようで、その有り難さに気づかない。」この言葉を聞く度に、今、自分は、自分ができることに全力で向き合えているか、目の前の一瞬一瞬を大切に歩めているか、明確な目標を持って、未来に向かって直向きに努力できているか、何度も自分自身に問いかけるようにと、背中を押され続けて来た。

 

 

突如として、万人の当たり前だった自由で平穏な生活を奪い去っていった戦争の教訓から、今を生きる自分は多くのことを考えさせられて来たが、果たして本当に「行動」に起こせていただろうか、「感情」で片付けていなかっただろうか、今年の未曾有の空白期間は、その答えを現実のものとして、自分に突きつけて来た。戦時中の苦しみと、新型コロナウイルスによる世界危機とを、並列的に比較する事は出来ないが、当たり前だった何不自由ない生活が奪われるという経験を、現代に生きる人々の多くが、初めて現実に経験したことに変わりはない。被爆者の方々の苦しみのほんの一部にすぎないが、その一部を現実に経験し、彼らの言葉の重みを痛感させられると同時に、その言葉の意味を本気で考え、行動に変えられていない自分の甘さや弱さに、今更ながら気づかされた。政府、関係省庁、自治体、そして、医療の最前線で自らの命を危険に晒して懸命に働いて下さっている関係者の皆様のお陰で、徐々に日常が戻りつつある今、その空白期間に何が出来たか、また、空白期間に至るまでの

長い時間の中で、本気で向き合えたものがどれほどあるのかを考えると、その答えに詰まる自分がいる。「感情で物事を片付けるような人生は歩みたくない」という考えが綺麗事のように聞こえてしまうのも当然で、「行動」なくしては「感情」が生まれるはずもなく、「感情」さえも沸かない空虚さからは、感情論の「か」の字も出てこない。

 

 

 人生における成功や失敗の本質から目を遠ざけたまま、根本的な自己分析と自己変革から現実逃避し、他人ごととして自分を傍観しているような自分で良いのか、感情論がどうこうとかいう前にやるべき事はないのか、もう無駄にして良い時間など無いはず。自粛期間での経験を無駄にしないために、できることに日々向き合う努力を惜しまない事を、ここで自分自身に誓いたい。またfeelingsが自分に回ってくる頃には、書きたいことが自然と浮かぶ、本音のままにペンが走る、胸を張って投稿できるように。

 

 

 最後に、戦後75年が経った今年、改めて、原爆の犠牲になられた方々のご冥福を心よりお祈り申し上げます。

 

また、医療関係者を始めとする多くの方々のご支援に心から感謝申し上げると共に、新型コロナウイルス感染症の世界的な拡大が一刻も早く収束し、平穏な世の中が取り戻せる事を心よりお祈り申し上げます。

 

 

 

鮎瀬英郎

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