帰るべき場所、失くしてはいけないもの

 4年 東将太


選手として最後の試合が終わった後、ひと息つく暇もなく、忙しい研究生活を送るようになった。
今まで部活を言い訳にして、色々と後回しにしていたツケが回ってきたのだろう。土日を返上して実験しても時間が足りない。
 
このfeelingsを書くにあたって、ア式での4年間を振り返る必要があった。時間がない中で昔を振り返って、それを文章に起こすのは難しい。ただ幸いなことに、分子生物学の実験は、反応の待ち時間が多いのである。
 
私は遠心機のタイマーをいつもより長めにセットして、居室に戻る。
紅茶を淹れて、PCを開く。画面は何か適当に、プログラムでも表示しておく。デバッグで悩む哀れな大学生の図が出来上がったら、話しかけられることはないだろう。
そうして準備ができたら、自分の中の深いところへ下っていく。
 
 
 
 
 
 
ア式の最初の2年、正確には1年半程度であるが、正直この時の事を思い出したくはない。
この頃の自分は、今思うと、サッカーに本気で取り組む事が出来ていなかったからだ。
 
「本気でやるからこそ、サッカーは楽しい」とよく言われる。
その通りであると思う。ただ正確に言えば、「本気で何かに向き合う事」は、恐らくそれを「高い次元で楽しむ」ための必要条件にすぎない。
 
本気で取り組んでいたって、上手く行かない事もざらにある。上手く行かなければ、楽しくはないだろう。
やりたいプレーが出来なければ、目の前の相手に勝てなければ、チームとして上手く戦えなければ、試合に勝てなければ。
捧げるものが多いほど、これは大きな苦しみである。勿論、それすら楽しめる強靭な精神の持ち主もいるかもしれないが。
 
あの頃の私は、たまに良いプレーが出来る程度で満足をして、より多くのものを捧げようとしていなかった。当然、高い次元でサッカーを楽しむ事なんて出来ていなかった。その資格がなかった。
 
 
ア式において、何となく戦術を理解して、少し筋トレや自主練をして、練習や試合を普通にこなす程度のことは、「本気でサッカーに向き合う」ことにはならないと思っている。
二年生までの私は、その中途半端な向き合い方に甘んじていた。当時はそれで精一杯やっていると思っていた。
 
ア式での一番の後悔は、二年生の頃にもっと、あらゆる面でもう一段努力出来たのに、しなかった事だ。
 
教えてくれるコーチがいたのに、変なプライドを持って聞きに行かなかった事。
明らかに下手なプレーがあるのに、目を背けて、克服しなかった事。
フィジカル面が課題なのは明白だったのに、長期的なトレーニングを続けられなかった事。
プレーのお手本となるような人が沢山いたのに、真似するだけで上手くなれたのに、そうしなかった事。
 
些細な、しょうもないことを気にして、本当に大切な事に気付かなかった。あの頃の自分のような選手には、誰にもなってほしくない。
 
 
もし、上手くなりたい人がいて、自分では精一杯やっているつもりでも、うまくいかない人がいるならば、そばにいる他人をもっと利用するべきだと思う。
そして周囲の人間は喜んで、時に自ら進んで、自分という資源を差し出さなければいけない。
これは選手だけではない。スタッフもそうだし、我々OBコーチもそうだ。
 
決して、自分の殻に籠ってはいけない。
上手くいっていない人間を、見捨ててはいけない。
 
 
新シーズン始動合宿で、当時一年生だった我々が集められて、皆で遼さんに説教されたことを思い出す。
殻を破れと散々言われたあの意味は、少なくともそのうちの一つは、きっとそういう事なんだと今は思う。
 
殻を破る事、そして手を差し伸べること。
 
自分は殻を破れたか。仲間を見捨てなかったか。
 
今のア式はどうだろうか。
 
 
 
 
話は変わるが、私のア式での4年間には、大きな転機が2回あったと思っている。
 
1回目の大きな転機は、二年生の秋である。
リーグ戦期間が終わって、新チームが発足した時。
それまで中途半端に頑張って、うまくいかず、ア式に居づらさまで感じていた私だったが、ここから明らかに、色々な事が変わり始めた。
 
新チームで最初の1,2週間の練習で、当時のOBコーチのなかしん(注 ここでは敬意をもって呼び捨てにさせて頂く)に嫌なところを沢山指摘され、心底うざかった事は忘れもしない。
なぜ嫌だったのかは単純で、いままでそれに目を瞑ってきたから。厳しい言葉をかけてくれる人がいなかったから。ミスするごとに、「下手」と言われたことで、自分は下手だという事を認めざるを得なかった。完全にそれが刷り込まれた今では、下手なことを受け入れた上であらゆるプレー選択をしているくらいである。
 
嫌だとか悔しいとか、そういう気持ちがあったから、新人戦前には狂ったように筋トレをした。練習にいけば大抵上手くいかなくて、なかしんに下手とか弱いとか言われて、悔しかった。だから当時は、練習を終えて帰宅してから、毎日1時間はトレーニングをしていた。それくらい、情熱を持って取り組むようになっていた。
 
新人戦はすぐに負けてしまったが、その毎日のトレーニングのおかげか、自分がその短期間でかなり成長した手応えがあった。
そこで初めて、「本気で取り組んだ結果としての楽しさ」の一端が見えたのかもしれない。
 
 
実は新人戦でア式を辞めようかと考えていたのだが、結局辞めなかった。辞める決意を固められなかっただけかもしれない。だが結果的に、これは人生で5本の指に入るほどの英断であると思っている。
 
 
 
コロナ禍での中断があって、自分のフィジカル面に向き合う十分な時間が取れた。難しい時期ではあったが、私はむしろ、自信をつけてグラウンドへ帰って来れた。
 
大事な部内の役職をもらい、責任を負うことにもなった。
これは結果的に、このア式というクラブをより好きになって、 良くしたいと思ったり、恩返ししたいと思うようになったきっかけであったと思う。
 
ピッチ内では、伸び伸びプレーできる環境が整っていた。
ずっと調子が良かったわけでは全くないが、当時のOBコーチのサポートは、贅沢すぎるほどだった。隼さんも、槇さんも、ともひさんも、そしてなかしんも。4人それぞれ違う色があって好きだった。
上手くいかなかった時、コーチにアドバイスを求めれば、4人のうち誰かしらから納得いく答えがもらえた。練習後にコーチと喋る時間は、とても楽しかった。
 
 
 
2回目の転機は、四年生になる前のプレシーズン、陵平さんの体制に変わったこと。またそのタイミングで、Aチームに入ったことである。
 
実際はその後にも色々あったけれど、三年生までの期間で色々経験してきたから、何とか乗り越えることができたと思う。
 
高いレベルの中での練習を楽しめるようになって、
自分の体が思うように動く感覚が分かって、
言葉をあまり掛け合わなくとも、ピッチ上でボールを介して分かり合えて、
 
大変な思いをした分、より高い次元でサッカーを楽しめる事が分かった時期は、自分にとって宝物である。
 
 
そこで知ったサッカーの楽しさがあるから、怪我をしたってもう一度やろうと思える。上手くいかない時も、冷静に見つめなおして、どうすればあの時のように楽しめるか考えられる。
 
自分が「本当に楽しい」と思えるレベルまでコンディションを上げるには、あとどのくらいで、何をすれば良いか。今からどんな技術を身につけられるか。今できる範囲で最善なプレーはどんなものか。
 
最後の数ヶ月はそんな事ばかり考えていた。純粋に楽しみたくて、サッカーをやっていた。そのためになら苦しさを乗り越えられた。
なかなか難しいけれど、自分の中では、これがあるべき姿だと思っている。4年間かけて導いた、私の解答である。
 
 
 
 
こうして思い返してみると、辛い思い出は死ぬほどあるけれども、同時に、無数の楽しかった思い出が蘇る。
 
ア式でサッカーをして、高校までとは全く違うサッカーを体験して、私はかなり遠くまで歩いてきた気がする。時にサッカーを嫌いになり、辞めたくなることもあった。
 
しかし、その先で、4年間かけてようやくたどり着いたのは、
小学校や中学校、高校の頃、特に何も考えず、ただただサッカーを楽しんでいた時に近い感覚である。
 
ある意味での原点回帰。
少し遠くまで行って、帰ってきて、そして昔の場所を見下ろせるようになった感覚。
螺旋階段を上がってきたようなイメージといえば分かりやすいだろうか。
 
もっと上まで、行けるのかもしれない。
 
 
それはコーチとして、よりサッカーを理解して、うまく伝えられるようになって、成長することでも可能なのだろうか。
 
願わくば、来年のちょうどこの頃、コーチとしての務めを果たした頃に、より高い場所から、現在地を見下ろしてみたい。より高い場所からの景色を見てみたい。
 
想像するだけで、とても楽しみだ。
 
立場は違えど、これからも、みんなと一緒に上手くなりたいと思う。
一緒に頑張ろう。
 
 
 
 
 
 
遠心機のタイマーが鳴って、私は現実に引き戻される。そろそろ実験に戻らないといけない。
 
 
年が開け、厳しい寒さにも慣れてきた頃、我々の新たなシーズンが始まる。
ある者はそれを心待ちにして、ある者はオフを名残惜しみ、そしてある者は、試験に身を削られながら、来たる日常へ備えることだろう。
 
 
そして、練習の時間がやって来る。
 
 
上手くなるために、試合で勝つために。
誰かを支えるために。チームを勝たせるために。
 
そして何より、自分自身が楽しむ為に。
 
 
今日もグラウンドへと向かおう。

コメント