鹿とア式と銀杏並木と

星歩希(1年/GK/本郷高校)

花粉の飛散しないスギや種のないブドウが作れるのだから、銀杏を落とさないイチョウがあっても良いではないか、なんて考えたくなる季節。まだ夏休み気分でいさせてくれという願いは儚く消え、キャンパスのあらゆる道やグラウンドにまでも届くその独特な匂いと所々黄色くなり始めた葉が、授業の再開とともに秋の訪れを感じさせる。もっと趣味の良い秋の感じ方をしたいものだが、校庭が一面黄色になる小学校に6年通ってしまったのだから仕方がない。三つ子の魂百までとはよく言ったものだ。



どうやらイチョウには雄株と雌株があって雄株は銀杏を作らないらしく、表参道の銀杏並木にはその雄株のみが植えられているという。もちろん東大マーク(校章だと思っていたが違ったらしい)なるものにイチョウの葉を用いる東京大学が、雄株のみに植え替えるなどといったその象徴の繁殖を妨げるようなことはしないだろうから、少なくともあと3回はこの匂いによって秋を感じることとなる。せめて黄色い葉を纏った銀杏並木が綺麗なものであることを願うばかりだ。



さて、入部してもう半年になる。



中学、高校と望まぬ形での引退を迎え、その悔しさや未練を晴らすべく大学サッカーに、このア式に足を踏み入れようと決意したのは昨年9月。部活の引退に伴い、ただの受験生となってしまった日のことだった。



受験一本に絞られたというのにサッカーのことばかり考えていたこの中途半端受験生くんは、「電車の中で勉強しても頭に入らない」という言い訳の下、赤本と一緒にア式前監督の著書『シン・フォーメーション論』を購入し、読み進めた。勉強の息抜きにするつもりで買った本の内容が理解できず、かえって頭を使うことになろうとは思っていなかったが、その複雑な内容がア式では実現されうると思うと楽しみにもなった。



この頃からまだ見ぬ先輩のfeelingsも読み始めた。「東大ってこういう人が行くところなのか。じゃあ自分には無理だな。」と受験を諦めかけるほどの文才に溢れたもの、面識は無い高校の大先輩のもの、深い思考回路が垣間見えるもの。どれも受験のモチベーションにつながった。今は部員としてこのfeelingsを書いていると思うと感慨深いものがある。



そこから約半年。結果はギリッギリの合格。3月の説明会あたりで「フットサル部と迷ってます」なんて言ってみたこともあったが、ア式に入ることはとっくに決めていた。新入生練はほぼ全参加。入部式より先に育成の練習試合にも出た。そこからはわりかし順調で、受験で鈍った身体もだいぶ動くようになり、サタデーリーグにも出た。



ら、怪我した。2ヶ月の離脱、そして人生初の松葉杖生活。なんとか8月の双青戦には間に合わせ、これまた人生で初めて声出し応援の中でプレーできた。夏オフ明けからは二部練もこなし、サタデーのトーナメントに照準を合わせたところでまた怪我。



つまり入部してからの半年のうち3ヶ月近くも離脱している、稼働率50%人間になってしまったわけだ。怪我をしていてもできることはあるし、精神的な成長にもつながるとは思うが、やっぱりプレイヤーはサッカーしてなんぼ。受験生時代に思い描いていたア式での生活と現実との乖離を縮めるべく、早くも来シーズンのテーマが「怪我をしない」に決定したところで今に至る。



中学でサッカーを始めてから約6年半。プレイヤーとして過ごしてきた時間は短い。大学に入ってまでサッカーを続けるような人は、小学生のうちから始めているのが相場だろう。ではなぜそんな自分が大学生になっても熱中していられるのか。その理由は簡潔に言えば「鹿島のおかげ」だ。



そう、僕は19年来の鹿サポなのだ。ここでいう「鹿サポ」とは、人と鹿が共生する景観の保護を目指す奈良県の動物保護団体「鹿サポーターズクラブ」のことではなく、茨城県鹿嶋市を本拠地とするプロサッカークラブ「鹿島アントラーズ」のサポーターのことである。



もっとも奈良公園の鹿は、日本建国・武道の神「武甕槌大神」を御祭神とする、神武天皇元年創建の由緒ある神社であり、アントラーズも毎年必勝祈願に訪れる鹿島神宮から神の遣いとして移動した後に住み着いたものとも言われているのだから、どちらの鹿サポも目指すところは同じなのかもしれない。
埼玉県に暮らしていながら両親ともに鹿島サポという家庭に生まれたため、19歳にして19年来の鹿島サポという経歴を手に入れ、押し入れには#10本山雅志の記憶にない子供服、机には幼稚園にも持って行ったエンブレム付きの筆箱、クローゼットには#27松村優太のユニ、おまけに好きな色は赤というように育ってしまった。



現地観戦もよく行っていて、特に記憶に残っているのは4試合。延長後半終了間際に勝ち越した2010年天皇杯準決勝のFC東京戦、大迫が退場して目の前で広島が優勝した2013年J1最終節、それに2016年Jリーグチャンピオンシップ決勝第2戦。満員の埼スタの端っこで観た歓喜の瞬間は一生忘れないだろう。年間勝ち点1位の浦和が可哀想なシーズンではあったものの、レギュレーションがそうなのだからありがたく星を頂いた。



あと1つは2020年元日の天皇杯決勝。新国立の柿落としとなった神戸戦。新国立のオープニングゴールはまさかのオウンゴール。結果は0-2。決勝で負ける鹿島を観たのは初めてだったんじゃないかと思う。



他にも、小さすぎて記憶はないが10冠達成の瞬間等も現地で観ていたらしい。ともかく、小さい頃に見ていた鹿島は2012年の不振はあれどいつでも強い、まさに「常勝軍団」と呼ばれるに相応しいチームだった。観に行った試合は大体勝っていたし、だからこそここまでサッカーが、そして鹿島が好きになったのだろう。人生の在り方を変えてくれた鹿島に感謝。



と、書いているうちに天皇杯準決勝vs甲府、まさかの敗戦。



大岩剛退任後、ザーゴ、相馬、ヴァイラー、岩政と続く迷走ぶりは見ていられないところもあるが、信じ続けることもサポの役目。気長に復権を待とう。




鹿島に始まり、本郷を挟んでア式へと至るサッカー人生はまだ序章が終わっただけ。ここからが肝心。なんせ6年半しかプレーしていないのだから。伸び代だらけ。ア式で過ごす時間はあと3年。成長に成長を重ね、ここに記した序章の何倍も濃い、単行本になるくらいの3年間にしようと思う。





p.s.「銀杏」と書いて「いちょう」と読むか「ぎんなん」と読むか。そろそろ別の漢字を当てるようになってもいいのでは?

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