後悔未満

真鍋公介(4年/DF/海陽中等教育学校)

とうとう卒部feelingsを書かなければいけないときが来た。引退して、早くも3カ月ほどが経つ。引退してからもOBコーチとして練習に行っているから、生活や部活にかける時間がそこまで変わったわけじゃない。それでも、選手でなくなって感じたのは、誤解を生むような表現だが、「あー部活ない生活ってこんなに楽なんだな」ということだった。圧倒的に気楽。というより、腑抜けてる。毎日の練習のために身体と心の準備をする必要がない。食事に気を使う必要もないし、睡眠が多少短くなっても別に問題ない。日中ダラダラしてても夕方の練習に支障はないし、好きだと思っていた筋トレもしなくなった。おかげで大学生活を通してなんとか膨らました身体はみるみる間に萎んでしまい、練習に入っても死ぬほどしんどい。流石にもったいないので、そろそろ身体を動かそうと思っています。

とまぁ何とも言えないぬるっとした入りになってしまったが、卒部feelingsということで、ア式での4年間を振り返ってみる。この作業は正直、自分にとって、苦しいものでしかない。

ア式での4年間を振り返りまず思うのは、ピッチ内外でア式に対して貢献することができなかったという懺悔。貢献できていないという思いが頑張らなきゃという思いにつながって、頑張れるというタイプでなく、むしろその後ろめたさが積極性を奪って、さらに上手くいかなくて、という悪いサイクルの中にずっといた気がする。プレーで、ピッチ外でしっかりと責任と役割を果たしていた同期と比べて申し訳なく、ふがいなく、苦しい気持ちになる。もっと頑張ることはできなかったなかったのか。もっと積極的に行動すべきだったのでは。

とまぁ振り返れば振り返るほどどんどんネガティブな沼にはまっていくのだが、とは言ってもそんなもの読まされたところで誰も面白くないし、結局それをやり続けて良いことがなかったので、このfeelingsでは、とりあえずここで真鍋公介はア式での4年間、責任を果たせなかったことへの懺悔があるとだけ宣言しておいて、ちょっと自己肯定感高めに進めていこうと思います。

もう昔のことはちゃんと覚えていないけど、1・2年生の時は、ひたすら圧倒されて萎縮していた。それまでレベルの低いところでしかサッカーをしていなかった自分は、同期との、先輩との差に萎縮してしまって、積極性がなくなって、多分周りから見れば何をやりたい選手か分からなかっただろう。

3年生、それでも自分のやれることを少しずつ見つけて、2年間もいたこともありア式のやりたいサッカーが分かってきて、ちょっとずつよくなっていた。少なくとも自分ではそう思う。 

育成の中ではスタートで使われることも増え、ここからだという思いで頑張っていた記憶がある。ただ、3年の夏に病気で練習から抜けることになる。3ヶ月くらい家で安静にして復帰した後、1ヶ月足らずですぐに怪我をしてしまう。久しぶりにしたサッカーが楽しくて、身体を動かすのが、思いっきり走るのがこの上ない快感で、早く目標としてたAチーム昇格を達成するために焦って、一気に上げすぎたせいの怪我だったと思う。いったん休んで少しマシになって、1個上の最後の練習試合には45分くらいでた。しかし冬オフの後、同じ怪我をする。シンプルに治りきっていなかったのと、冬オフ中の身体のケアが甘かった。結局きちんと戻れたのが4年の5月、正直ここからコンディション上げて、目標である公式戦出場までたどり着くには時間がなさすぎる。でも、怪我でサッカーができない期間、ずっと練習や試合を外から見ていてとにかくサッカーがしたいという思いで、とりあえずはなんでもよかった。復帰してからは、コンディションは上がらないながらも、楽しく思い切りサッカーできていた気がする。

まぁでも、結局1年生の時から何も変わってはいなかった。サタデーリーグ第1戦帝京大学戦、振り返ってみるとあの試合に、自分の良くないとこがすべて出て、その後の半年を決めてしまった。復帰して1ヶ月ちょっと、育成チームのみんなが目標にしていたサタデー。陵平さんも見に来ていて、最高のアピールの場所。できることを全部やろうと思った。身体の状態は普通にめちゃめちゃ良かった。でも、心の準備が全くできていなかった。勝手に相手の帝京に対してビビっていた。一人だけ、戦うメンタルが、サッカーを楽しむメンタルが整っていなかった。てんぱって、信じられないミスをして、前半で交代。

正直、そこから引退まで最後の半年は全てがうまくいかなかった。双青戦の素晴らしい舞台も、全く楽しめなかった。もう時間がない、のにこんな調子。育成ですら悪いプレー。どうにかしないと、と思う。でも、もう残された時間に焦って、同期がAチームの中心としてチームのために戦っている状況が惨めで、なんとか挽回したくて。でも何も冷静に考えられてないから、ただ思いつめるだけの人になって、コンディションは上がらないわ、ガチガチの状態でプレーするわ。上手くいくはずもなかった。

引退の試合。タダの練習試合だけど、多くの部員が応援しに来てくれていた。変なアドレナリンがでた。もう、○○しなきゃだめだ、とかはなかった。楽だった。多分人生で一番うまくいった。間違いなく、人生で一番楽しかった。あーこんなもんか。と思った。失敗にビビらないでプレーしたのは、初めてだったのかもしれない。もっと早く気が付いてたら、って思った。いやまあ真鍋じゃ無理かとも思った。

圧倒的に下手だった自分は、他の人に比べて圧倒的に成長しなきゃいけなかった。でも結局、ずっと自分の成長を妨げていて、変えなきゃいけない、変わろう、と思い続けて変えられなかったのが、メンタルだった。

引退して、振り返って引きで見てみると、気づくことがある。全く通用せずアドバイスをもらうことにすら萎縮していた過去の自分に、言いたいこともある。コミュニケーションを避けていた自分にも、伝えたいことがある。ピッチ外に積極的にならなかった自分にも、言いたいことがある。それらは結局、今も大きくは変わっていないのかもしれないけど、それでも今の真鍋だったら多少は上手くやれると思う。

でも、やっているときはそれに気がつけなかった。気が付くためのヒントとかアドバイスとかは、無数にあった。でも変われなかった。殻にこもったままだった。前監督の遼さんは、殻を破れという話をよくしていた。陵平さんも陰キャはサッカー上手くならないと言っていた気がする。そんなことはよく分かっていたつもりだったけど、結局わかっていないかった。引退して、ガチガチになって自分のことしか見えていなかったところから離れて、OBコーチとしてチームを見て、やっと腑に落ちてきた。

サッカー以前に、生きるのが下手すぎるなって思うし、それは今後ずっとついてくる。

結局、サッカーの話というより自分の精神的自慰行為みたいな話になってしまった。が、自分にとって一番超えるべき壁はそこだったと思うし、僕ほどじゃないにしても、気持ちの在り方はそれぞれみんなにとって課題で、難しい問題だ思う(少なくともそう信じたい)。謙虚さと・不遜さと、素直さと・自分の意志と、ちょうどいい塩梅を持つことが、成長にとって絶対に必要な条件で、でも意外と難しいことな気もする。

歳をとって、中学生・高校生の時の世間知らずで調子乗りな真鍋がいなくなって、過剰なほど考えすぎて、結局何もできない真鍋公介が生まれてしまった。もちろんそれで得られたことも多い。自分のいいところだとも思う。でもそれで行動しないんじゃ考えていないのと一緒で、いい塩梅を見つける作業は今後ずっと続いていくんだろう。

4年間で変えることはできなかった。それは本当に悔しいしもったいなかったと思う。この思いは、他の同期のそれとは違って、後悔なんて呼んでいいものじゃないと思う。でも、勝手だけどア式での4年間は間違いなく素晴らしい時間で、今後の人生にとって重要なもので、良い思い出ではないことも多いけれど、自分の糧になっていくと思う。

最後の feelingsも自分のことばかりになってしまった。チーム・部活のことを考え、行動していた同期達には遠く及ばない。

とにかく、全く部活に貢献できなかった自分を、4年間素晴らしい環境でサッカーさせてくれたア式蹴球部には感謝しかありません。ア式を作って、引き継いで運営してきた先輩・同期・後輩の皆にも頭が上がらないです。

OBコーチとして、何ができるかわからないけど、少しでもチームのためになればと思っています。というより、ここで恩返しするしか方法が思いつきません。

 

金銭的にも、何不自由することなく部活をさせてくれた両親にも感謝しています。

最後に、引退して、部活がなくなって楽になった、と冒頭で書きました。でも今思うのは、もう一度サッカーをしたい。いや、サッカーじゃなくてもいい。何か戦って、思いっきり感情を出して、非日常を味わいたい。今まだ時間がある後輩のみんなには、こんな生き霊みたいなfeelings書かなくて済むように、今を大事にしてほしいと思います。

とにかく、ア式蹴球部への圧倒的感謝を伝えて、feelingsを終わりたいと思います。

ありがとうございました。

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