脱エリート病宣言
石丸泰大(4年/FW/麻布高校)
ア式は僕にとって他の何物にも変えがたい特別な場所だった。
4年間のア式生活を終えて、
この卒部feelingsという場を借りて感謝を伝えたい人はたくさんいるが、
何よりもまずこの部活に入ることを決めた4年前の自分に何よりも大きな感謝を伝えたい。
ありがとう。
ア式に入って過ごした日々は格別で、
間違いなく今までの人生で一番サッカーを楽しむことができた時間だった。
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少し時を遡る。
大学受験を終えた僕はサッカーを続けるつもりがなかった。
高校までのサッカー生活で僕はそれをやりきったと思っていた。
長いようで限られた大学生活を少しでも有意義に過ごすために、
これ以上サッカーを続けるよりもこれまで触れてこなかった新しい世界に触れて社会に出るための準備をした方がよいと思っていた。
そして自分にはもうサッカーは限界だと思っていた。
小学校1年生から始めて12年間付き合ってきたサッカーだが、
その歳月を重ねるごとに敵わない相手がいる現実を知るようになった。
「どんな相手にも負けない」と根拠のない自信に溢れ、
「どこまでも上手くなれる」と信じて疑っていなかった少年時代の幻想はどこか遠く彼方へ消え去っていた。
大学生活を前にした僕は、もうこれ以上サッカーが上手くなることはないと思っていた。
そして何よりサッカーの楽しさを忘れかけていた。
いつしか僕の中ではピッチの上というのは息苦しい場所となっていた。
仲間と力を合わせて勝利を追い求めるというチームスポーツの勝負事としての魅力こそ忘れてはいなかったが、
少年の頃に魅せられたような「自由で楽しいサッカーそのものの魅力」というものを感じることはできなくなっていた。
気付いた時には僕にとって
「サッカーは不自由でつまらないスポーツ」となっていた。
こう考えると僕は、
「これ以上サッカーが上手くなることはない」と思っていたというよりも
「サッカーをこれ以上上手くなりたいと思えなくなっていた」のだろう。
けれどこんな想いを抱えていた僕だったからこそ、
ア式に入って得た喜びは相当に大きかった。
ア式に入ったからこそ
「サッカーは自由で楽しいスポーツだ」と
もう一度気が付くことができた。
16年目のサッカー生活で
人生のどの瞬間よりも真っ直ぐにサッカーを上手くなりたいと
心の底から望めるようになるだなんて思ってもいなかった。
22歳にもなって
人生のどの瞬間よりもピッチの上でボールを必死に追いかけ回し勝利を目指す楽しさを
純粋に味わえるだなんて思ってもいなかった。
大好きなサッカーの素晴らしさに最後の最後にもう一度出会うことができて本当によかった。
尊敬する2個上のキャプテンが引退際にこんな言葉を残していた。
「サッカーをやっていると上手くいかないこともある。でもそれは俺らがサッカーに見捨てられたわけじゃない。サッカーが俺らから離れていくのは俺らがそれに向き合えなくなったときだ。サッカーが俺らを見捨てるんじゃなくて、俺らがサッカーを見捨ててるんじゃないか?だからどうか最後までサッカーを諦めないで欲しい。」
チームを引っ張る立場にありながらも出場機会に恵まれないラストシーズンを送ったその人がどんな想いを抱きながら1年を過ごしてきたかは想像も付かない。
きっと苦しい思いもたくさんしてきただろう。
それでも最後の試合で出場機会を掴んだその人がピッチの上で魅せた振る舞いは誰の目にも明らかなほどに輝いていた。
そんな彼が残した言葉だったからこそ僕の胸には深く刻み込まれていた。
もう遠い昔の出来事だから記憶はかなり曖昧だ。
もしかしたら全然違う言葉を残していたかもしれない。
けれど僕が受け取ったメッセージはこうだった。
そして、
「何があってもサッカーを諦めることなく最後まで向き合い続けよう」
と思えたのだ。
大学に入った頃はサッカーに対して決して前向きではない僕だった。
だからどうしてア式に入ったのかはよくわからない。
「なぜ」と聞かれれば「成り行きだ」と答えてきた。
けれど本当はそんないい加減なものではなかっただろう。
僕は心の底ではサッカーが大好きだった。
サッカーを諦めきることができなかった。
だからもう一度大学でサッカーを選んだのだろう。
ア式に入っていなかったら、
僕は「自由で楽しい」はずの大好きなサッカーを
「不自由でつまらないもの」と捉え違えたまま終わっていただろう。
そんな悲しい結末でサッカー人生を終えずによかった。
だからこそ今強く思う、
「サッカーを諦めなくて本当に良かった」と。
「ア式に入って本当に良かった」と。
そしてサッカーを続けることにした自分の決断に深く感謝するし誇りに思う。
ありがとう。
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「サッカーは自由なスポーツだろうか?」
僕がサッカーをしながらこの問いに向き合ってきたのは、
そして今またこうして問い直しているのは、
僕にとってピッチが息苦しい場所となり、
僕にとってのサッカーから自由が奪われ、
ボールを扱う瞬間が怖いとすら思うようになり、
サッカーから離れることまで考えさせられたからだろう。
そして同時に、それを否定したいからだ。
「サッカーはもっと自由で楽しいものだ。」
ア式は僕にこれを教えてくれた。
真っ暗闇の深海の中でもがき苦しみ
呼吸ができずにいた僕のことを
息のできる水面まで救い上げてくれ、
それまで見たことのない景色をピッチの上で見せてくれた。
そしてサッカーが楽しくなった。
今まで以上に好きになった。
それまで知ることのなかった感情を抱くことができるようになった。
この感動を少しでも多くの人に分かち合いたい。
だからこそこの問いに向き合うのだ。
本題に戻ろう。
経験者であればサッカーにおける不自由に心当たりがある者も少なくないのではないだろうか。
試合を振り返ってみると、
「自分で選んだプレーよりも、選ぶしかなかったプレー、選ばされてしまったプレーの方が圧倒的に多かった」
なんていうこともざらである。
これは当然のことである。
なぜならばサッカーをする以上そこには敵と味方が存在するからだ。
競技としてゴールの数を競い合うからこそ、
敵は僕たちに制限をかけて自由を奪いにくる。
チームとして勝利の可能性を高めようとするからこそ、
味方同士で組織としての全体性を発揮するために秩序という制限を作り互いに縛り合う。
サッカーをする上で「プレイヤーはいくつもの制限から逃れられない運命にある」ということだ。
したがって、サッカーにおいて自由とは
「与えられているものではなく勝ち取るべきもの」
なのである。
だとすれば、
それを勝ち取ることができる者には
「サッカーは自由なスポーツ」
となるのであり
そうでない者には
「サッカーは不自由なスポーツ」
となってしまうのだ。
そして逆説的に、
「サッカーが不自由なスポーツ」
だった高校生の頃の僕は
それを勝ち取ることができない者だったと言える。
なぜだろうか?
―知らなかったからだ。
なにを?
―ピッチ上で自由を獲得するための方法を。
ア式はこれを僕に教えてくれた。
マクロな視点で、サッカーがどういうスポーツなのかを。
ピッチの上でプレイヤーはなぜ制限を受けるのか、それはどのような制限なのか。
ミクロな視点で、相手の制限を食らわないための技術を。
ボールの持ち方から身体の向き、ほんのわずかなポジション取りまで。
これらを知りピッチの上で表現できるようになったからこそ、
僕にとってのサッカーはまた「自由なスポーツ」になったのだ。
ア式に入って僕のプレーが決定的に変わったのは、
「たった1つの“正解”の選択肢にこだわるのをやめた」ことだろう。
全ての元凶は選択肢を持てていないことだった。
ピッチの上で相手がどのようにプレスの網の目を張っていて、
味方がどこでサポートしてくれているかを把握できず、
その中で自分がどこに位置しているかを客観視することができていなかった僕は
ピッチの上で十分な選択肢を持てていなかった。
だからこそピッチの上で恐怖を抱いていた。
迫ってきた敵を躱すことばかり考えたり、
見えている仲間に責任転嫁のダイレクトパスを試みたりと、
目の前にあるわかりやすい選択肢に飛び付き、
そのわずかな選択肢を絶対的な“正解”として盲目的に信じてすがるようになっていた。
サッカーに正解の選択肢など存在していないというのに、だ。
このサッカーへの態度を変えることができたとき、
初めて僕は「自由にサッカーができている」と感じるようになった。
数少ない選択肢しか持てていなかったものを、
準備段階での情報収集とポジション修正にこだわることで多くの選択肢を持てるようになり、
複数個手にした選択肢の中から決断する際にも、
自分の選択を実行する最後の最後まで味方と相手の状況を見て、ギリギリまで判断を変えられるようになった。
「もともとある“正解”の選択肢を選ぶ」という信条を捨て、
「自分の選択を正解にする」ための行動を取り続けられるようになった。
責任なく選ばされていたプレーをするのではなく、
自分のプレーを責任持って自分で選べるようになった。
そして僕はピッチの上で自由になった。
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これができるようになるまではそう簡単な道のりではなかった。
実際に僕がサッカーの上達を感じられプレーが楽しくなってきたのは3年の終わりからだった。
ここに来るまでものすごく長い時間がかかったものだ。
苦しい時間ももちろんあった。
というかその時間の方が長かった。
トライが10でエラーが8くらいのア式生活であった。
それでもここに辿り着けたことでその苦労は報われた。
「自由で楽しいサッカー」を最後の最後で取り戻すことができた。
その事実だけでどんな時間をも肯定することができた。
今サッカーをしていてうまくいかずに悩んでいる人へ
どうかもう少しだけサッカーを諦めないでください。
「絶対にそこに道が開ける」と保証することはできない。
でも、道が開けた時そこから見える景色は何よりも素晴らしいからだ。
それを本気で見たいと思うなら、
まだまだやれることはたくさんあると思う。
諦めてしまってはもったいない。
ア式でサッカーをしていると
「あ、あいつモノにしたな」と思える人を近くで見ることができる。
1年間休学して帰ってきた時に見た同期の成長ぶりには驚かされた。
特にマッツとオガのプレーの変わりように強い衝撃を受けたのを鮮明に覚えている。
拓也さんや西さんによしおくん、(喜んでくれそうだから)赤木さんも、
多くの先輩たちが、成長していく姿をその背中で示してくれた。
それは時に後輩に教えられることもあった。
昨季後半のマシロの成長ぶりはとても頼もしかった。
ポジションの近いミライや章がいつも居残り練習をしているのに刺激を受けたりもした。
何かしらのきっかけを掴んで成長していく、
そんな仲間の姿をア式ではよく見ることができた。
これは特別なことであり、
少なくとも僕が所属してきた他のどのチームでも
人の成長をこんなに感じられたことはなかった。
僕がこの4年間で成長することができたのは間違いなくア式のおかげだ。
そしてそれを支えているのはその指導体制だ。
僕が最後の1年成長することができたのは間違いなく監督のおかげだった。
トッププロの世界を経験してきた監督は、
それまでのア式になかったエッセンスをもたらしてくれた。
それは勝負の世界の厳しさを知るからこその「勝ちへのこだわり」だった。
監督には「勝つこと」とはどういうことなのかを教えてもらった。
そんな監督の志向したサッカーは結果から逆算された堅実なものだった。
選手と同じように、
時には選手以上に熱く結果にこだわる監督だったからこそ、
勝負を左右するような局面でのディテールには厳しく
選手のことをよく見ていた。
気の抜いたプレーや守備でのミスやサボりはすぐに指摘された。
例えそれが攻撃の選手であってもだ。
僕がサッカーに真っ直ぐ向き合えなくなっていたことは簡単に見透かされていたのだろう。
3年の夏に育成チームに落とされた。
けれどその裏返しで這い上がるところも見てくれていた、
育成チームで調子を取り戻すとシーズン末にはAチームに引き上げてくれた。
そしてそれまでとは違うFWで使われた。
このコンバートが成長のきっかけとなった。
普段と違うポジションでわからないことだらけであった。
そして、それは監督が現役時代に主戦場としていたポジションであった。
そうとなればもうとるべき行動は決まっている。
最高の手本が身近にいるのだ。
「俺はいつでもオープンだから」
何度か耳にしたその監督の言葉を頼りに、
積極的にアドバイスをもらいにいくようになった。
そして話を聞きに行くたびに、選手のことをよく見ていることを感じさせられた。
ピッチの上の選手の1つ1つの試行に対して、
ピッチ外から簡単には目に見て取れないところまで見てくれていることがわかった。
たとえある試行が失敗していたとしても、
その選手が何を狙っていて、どうしてそれが失敗に終わったのかを
当事者以上に見ていて言語化してくれた。
そしてその選手に今何ができて何はまだできないのか、
ということも見てくれていた。
だからできることが増えた時にはそれにも気が付いてくれていた。
そうやって毎回期待していた以上のフィードバックと頑張る動機をもらえた。
特に「相手CBとの駆け引き」や「出し手に合わせた動き出し」など
ミクロな場面での個人戦術を事細かく教えてもらえたのは本当に貴重な経験だった。
「この駆け引きができてくるようになると次はもっとまた別のことが考えられるようになって、そしたらまたどんどんサッカーは楽しくなってくから」
満面の笑みで語る監督のその言葉の通りに、
次から次へとできることが増えていって、
FWとしての駆け引きもサッカーも楽しくなっていった。
「この先の景色が見たい」
「陵平さんにもっと教えてもらいたい」
という気持ちが僕のラストイヤーの原動力になっていました。
結果的には最後までチームを助けることのできるようなストライカーにはなれなかったけど、CFとして陵平さんのもとで指導を受けられて幸せでした。
良いところも悪いところも全部見ていてくれているという安心感があったから頑張れました、ありがとうございました。
これからもア式でサッカーを続けるFWのみんなはもっと話を聞きにいってください。
そして偉大なるヘッドコーチ。
どうしてあなたたちは自分がプレーをするわけでもないピッチの上にそうも大きな熱を捧げられるのでしょうか?
吉くんが初めて就いたヘッドコーチの座をオカピがしっかりと引き継いで、
Aチームの選手の成長スピードは格段に上がったと思っています。
選手目線でかなり頼りにしていました。
今やア式のAチームになくてはならない存在です。
この新しい良き伝統をどうかこれからも引き継いでいってください。
フィジカルを武器にして最前線で力を発揮できたのはタディトレのおかげだった。
のかな?どう思います??
そのトレーニング効果を定量的に測りにくいからこその難しさや苦しみがあったことも知っているけど、
タディトレをやってきた人ならその効果がどれほどのものかは身をもって体感しているはず、
とタディトレの第一人者(自称)として言っておきます。
一緒に文化浴泉に入った相手ランキング第1位、おめでとうございます。
新家にも色々相談に乗ってもらったね。
おかげさまでラストイヤーは最低限の離脱で済みました、ありがとう。
フィジコは思っている以上に選手1人1人とチームの結果に影響を与えられる存在だと思っています。もっと大きな野望を剥き出しに活躍してください。
他にもOBコーチやテクニカル、スタッフそして選手、とたくさんの人が支えてくれたおかげでサッカーに専念することができ、成長でき、最高な気持ちでア式生活を終えることができました。本当にありがとうございました。
都立戦で決めた公式戦初ゴールは試合直前にきのけいさんにもらったオフザボール集のイメージ動画通りでした。人生で一番嬉しかったゴール、ありがとう。
テクニカルの皆さん、ジャンクスポーツでは長尺をありがとうございました。
前監督の遼さん。
遼さんの残したDNAは今のア式にもなんとか受け継がれています。
近年のア式のサッカーの礎を作ってくれたのは間違いなく遼さんで、
僕が大学でサッカーを捉え直すことができたのは遼さんがボールを扱うことを楽しむサッカーの基盤を作ってくれたからこそだと思っています。
残念ながら遼さんのもとで指導を受けていた頃は、その意味を理解できていないことがほとんどでしたが、
後になって「ああ、あの時言ってたのはこういうことだったのか」と気が付くことだらけでした。
今の自分なら少しは認めてもらえる選手になれた気がしています、
ありがとうございました。
そしてスポンサー企業の皆様。
大学のサッカー部への協賛という前例の少ない取り組みにもかかわらず、
弊部の理念に賛同くださりご支援いただいていること心の底より感謝申し上げます。
おかげさまで部員全員がサッカーをより深く楽しむことができ、東京都1部への昇格も達成することができました。
今後とも双方にとってより良い関係性を築いていけるよう尽力してまいります。
引き続きどうぞよろしくお願いいたします。
そして何よりア式の歴史と伝統を築き上げてくださったLB会の皆さん。
皆さんの現役時代の努力と、引退後のご支援があるからこそ今のア式がありその環境の恩恵を享受できていると存じています。
都内中心部に人工芝2面のグラウンドと設備の整った部室があること。
引退した今その環境がいかに恵まれていたことか、痛感しています。
人生で最高のサッカー経験ができました。
ありがとうございました。
スポンサー獲得活動を進めるにあたって、個人的に相談をさせていただきお力添えをいただいたLB会の方々にもこの場を借りて感謝申し上げます。ありがとうございました。
これからは自分が支える側として現役の活躍を陰ながらサポートしていきたいと思います。
そして現役のみんなは、これまで先代が築いてきた環境に甘んじることなく、
良き伝統を引き継ぎ、悪しき慣習は取っ払い、新たな時代を築き上げていってください。
そうすることで東大ア式蹴球部は組織として成長していくことができます。
“サッカーエリート”ではない僕たちだからこそ、
絶えず組織をアップデートしていかなければいけません。
そうすることできっと
“サッカーエリート”にも打ち勝てるようになるはずです。
そして切り拓いていってください。新たな歴史を。
“日本一価値のあるサッカークラブ”へ
応援しています。
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第14回石丸サッカー放浪記
さあさあ皆さんお待たせしました。
実に3年ぶりの更新になる石丸サッカー放浪記です。
もともと書くつもりもなかったけど、誰にも求められていないけど、なんだか真面目な文章を書いていたらムズムズしてきて衝動を抑えきれずに書き始めてしまいました。
読んでくれている皆さん、あらかじめ言っておきます、
離脱するなら今です。
ここから先は自分のためだけに書いている文章です。
でもその分想いの詰まったパートにもなっているかもしれません。
過去のことは十分に振り返ったのでこれから先の未来の話を少し。
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僕はア式を巣立った。
そして今次のステージに向け歩みを進めている。
ここで思い知る、
「たった1つの“正解”の選択肢へのこだわり」
僕がこの罠にハマっていたのはサッカーにおいてだけではなく、
人生においてもだったことを。
僕はそれを「エリート病」と名付けてみることにした。
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「石丸サッカー放浪記」
これは僕が東大入学直後に1年間の休学をして、
「サッカーを通して世界の人々や文化と交流する」をテーマに
世界一周をしていたときに書いていたブログだ。
「はじめて」だらけの刺激的な1年だった。
外国での暮らしを経験したのもはじめてだった。
トゥクトゥクに乗るのもはじめてだった。
カンボジアで現地人に見間違えられるのもはじめてだった。
インド人にぼったくられるのも、
ヒッチハイクで拾ってもらった中国人の車でアウトバーンを180kmで駆け抜けるのも、
ルワンダからタンザニアまでの30時間バス移動の休憩中にバスに置き去りにされるのも、
全部が全部はじめてだった。
サッカーとの付き合いは13年目だった。
ずっと一途にひたむきに想いを寄せてきた、
そんな愛しいあなたのことは全て知っていると思っていた。
けれど一緒に海の外へ飛び出た時、
あなたは今まで見せたことのない素敵な表情を僕にいくつも見せてくれた。
サッカーにおいても「はじめて」だらけだった。
「サッカーが“言語”であること」を知った。
英語が不自由な僕だったからこそ、
ピッチの上でボールを介してお互いの心を通じさせる喜びを知った。
互いの国の選手の名前を言い合うだけで楽しめることを知った。
「プレーする以外のサッカーの魅力」を知った。
ヨーロッパのビッグクラブの1試合でどれだけのお金が動いていることか、その経済的価値を知った。
ケニアのスラムの中にある1サッカークラブがどれだけの子どもたちの暮らしを支えていることか、その社会的価値を知った。
世界中のどれだけの場所にスタジアムがあり、そこにはどれだけの人々の生活が結び付いており、彼らの暮らしをどれほど豊かにしていることか、その文化的価値を知った。
Assosiation Football
「ア式」の由来であるその語が示す通り、
サッカーは人と人との関わり合いの中にあるスポーツだった。
それはピッチの中だけでなくピッチの外でもだ。
サッカーは極めて社会的なものであるようだ。
そしてその価値と可能性が果てしなく大きいものであることを知った。
この時点で僕の心は決まっていた。
「サッカーを仕事にしたい」と。
サッカーを含む日本のスポーツビジネスがまだまだ問題を抱えていて発展途上にあることも知った。
だからこそその発展に寄与したいと考えるようにった。
しかし、公言はできなかった。
最終回だった第13回の「石丸サッカー放浪記」ではそれをしないまま幕を閉めた。
なぜか?
周囲の視線を気にしていたからだ。
自分の力への自信と確固たる意志がなかったからだ。
「せっかく東大を出てまでサッカーを仕事にするの?」
と周囲に止められるような気がしていた。
そして自分自身もまたこれに自信を持って答えられそうになかった。
「変えなければいけないことがあるからこそ貢献したい」
という気持ちが僕をサッカー界に向かわせているのに
「変えないといけないことが山積みの世界に飛び込んでも良いものか」
という気持ちがサッカー界に向かう僕に歯止めをかける
そんなジレンマがあった。
もし僕に実力に裏付けられた自信や確固たる意志があれば迷うこともなかったのだろう。
でも僕にはそれがなかった。何をすれば良いのか、何ができるのか、自分の暮らしがどうなるのか、何一つとしてイメージができなかった。
だから宣言できなかった。
意思決定において他者や社会に用意された“正解”を選ぶことに慣れ過ぎていた僕にはそうでない選択をすることが難しかった。
そして自分の価値を確かめたりアイデンティティを守ったりするための手段を自身の内部に見出すことができず、外部に頼っていた僕は、組織や肩書きに頼らずに自分の力で勝負する勇気を持てなかった。
これが僕の考える「エリート病」だ。
答えのある問いを解くのに秀でてきた僕らだからこそ、組織の名前によって自らの価値が保証されてきた僕らだからこそ、免れることのできない意思決定におけるバイアスがあると考えている。
休学した大学の1年目にこのことに自覚的になれたのは幸運だったかもしれない。
1年目に壁にぶつかり課題意識を持てたからこそ、
残りの大学生活を自分の描く理想と現実とのギャップを埋めるために過ごすことができた。
「スポーツが持っている価値を少しでも大きく・目に見える形にするためにはどうすれば良いか?」
僕がア式でスポンサー獲得や国際的活動といったピッチ外の活動に積極的に取り組んでいたのは、この問いに実践を通して答えるためだ。
そして決して小さくはない成果をあげることができた。
ピッチの上だけでなくピッチの外でも新しい景色に出会うことができた。
「目に見えない価値を形にする」
「前例のない活動に挑戦し続けて成果を出す」
簡単ではない課題に真剣に向き合ったからこそ自信を得ることができた。
そしてビジネスとしてのスポーツへの志を強固のものにすることができた。
つい最近ある人に投げかけられた言葉が強く胸に響いている。
「あなたがこれまで重ねてきた努力とそれで培ってきた能力は“正解を選ぶため”じゃなくて“選んだ道を正解にするため”にあるんだよ」
この言葉を聞いた時にハッとした。
今までの人生に意味があるとするならば、
それはきっと誤った道を選ぶことがないように少しでも多くの選択肢を得て慎重に選ぶその力を見抜くためではなく、
自分が進みたいと思った道を見つけて、そこに向かって突き進んでいくための力や自信、覚悟をもつためだったのだろう。
3年前には言えなかった想いをしっかりと言葉にして残しておきたい。
僕はサッカーを仕事にしたい。
そしてその社会的な価値や文化的な価値を最大化するために、
日本サッカーの経済的な発展に貢献する、そんな人間になりたい。
このブログは3年前に書いた「第13回 石丸サッカー放浪記」の答え合わせになっているだろう。
回収できたような伏線もあれば、そうでないものもちらほら。
これから先もいたるところにちりばめられた伏線を回収しながらも、
それをまた仕掛けていくような楽しい人生を過ごしていきたい。
これを書いている今、弾丸で神戸にきている。
サッカーが繋いでくれたご縁で、ある人に会いにきた。
この後は朝鮮学校で開催されている「ミレ(未来)サッカースクール」にお邪魔させてもらう。
ア式を巣立った今もなお僕はサッカーと共に生きている。
そしてこれから先も旅は続いていく。
Life is a journey towards the guiding light
どこに行って何をしていても旅をするように生きていきたい。
1つ1つの何気ない出会いや些細な気付きを大切にし、一瞬一瞬の心の動きを見逃さない、そんな豊かな暮らしを送って行きたい。
一度きりの自分の人生だ。
得体の知れない何者かに選ばされるのではなく、
自分の選択は自分で決められるような責任と力のある人でありたい。
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最後になりますが、これまで僕のことを応援し支えてくださった全ての皆様に感謝を申し上げます。活動の様子を気にかけてもらったり、声をかけてもらったり、話を聞いてもらったり、生活から支えてもらったり、皆さんの存在なしでここまでくることはできませんでした。ありがとうございます。
この恩に報いるためにも今後とも日々楽しく学びながら全力で生きていきます。
いつの日かこの決断の答え合わせをできる場を迎えられることを信じています。
きっとそれは楽しい大正解発表会になるはずです。
ア式に入った決断をそうすることができたように。
「石丸サッカー放浪記」
To be continued.
君たちは素晴らしい!
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