陵平、俺を使ったらええ

久野健太(4年/FW/東大寺学園高校)

「久野が決めた!!!谷のシュートのこぼれ球を久野が決めました!!!」



2022/8/7  @たけびしスタジアム京都(西京極総合運動公園)
歴史ある双青戦の舞台、(自分にとっては)あまりに多い679人の観客の中で俺は点を決めた。



試合後、俺はチームメイトに
「これをピークにはしたくないな」
と漏らした。



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1年の初夏、WGで伸び悩んでいた俺は、CFにポジションをコンバートされた。
高校までは経験してこなかったポジションだった。
ただ、持ち前のガメツさと体力で、得点を取ることと守備で頑張ることを武器として、CFでのチーム内序列をどんどん上げていった。


ア式に入り、サッカーで起こる現象の捉え方を多く学んだ。
各現象に対する解像度は桁違いに上がり、サッカーの面白さが一気に広がった。
そんな俺は、毎日の練習で学びを得て、また新しいポジションで上手くなっていく楽しさを感じていた。


入部当初は一番下のカテゴリーだった俺は、秋頃には育成チーム(Bチーム)ではスタートで出れるようになり、代替わり後にはAチームに昇格もできた。




2シーズン目が始まると、再び育成に落ちた。

そしてこの年、コロナの影響で、Aと育成のメンバー入れ替えがほとんど行われなくなった。
そのせいか、単なる実力不足か、週末の練習試合で毎週のように得点を挙げても、一向にAに引き上げてもらうことはできなかった。
ただ、できるプレーが着実に増え、苦手なプレーも少しずつ克服されていった。


土曜は車で浦和や筑波まで試合に行き、日曜はAのリーグ戦を見るというルーティーン。
純粋にチームを応援できていた1年生の頃とは打って変わり、俺も出る側に回りたい、そこに絡んでもいいだろという悔しさばかり感じるようになった。




迎えた3シーズン目。
これまで主力の多かった先輩達が引退し、CFもポジションが空いた。
監督も変わり、この年が勝負だというのは自分の中ではっきりしていた。



それなのに、、、自分史上、最悪のシーズンになった。



ポストプレーだったり、ルーズボールを収めるプレーだったり、自分の苦手な部分ばかりが悪目立ちし、そこがなかなか改善できない。
それどころか、これまで強みだと思っていた”なんやかんや点を取る”ということすらできなくなっていった。


当初CFのポジションを争っていた俺を含めた3人は、誰もパッとせず、中盤が本職の後輩に任され始めた。
不甲斐ないにも程がある。


たまにリーグ戦に出ても、与えられた数分では何もできず、もちろんスタメンに名を連ねることはない。
段々そのチャンスが与えられることもなくなっていった。


ゲーム形式の練習では、11vs11からあぶれた2,3人として外から見ることが当たり前になり、疎外感と無力感に襲われた。


自分が監督の中でチームの構想外であることを感じ、何をやっても評価されないような気がした。
これまで小中高と、当たり前の努力をすれば納得のいく評価を得てきた自分にとって、この状況や感覚は、とても苦しかったし受け入れ難かった。




そして、また育成に落ちた。


シーズン初めには想像もしていない状況だった。


悔しさと苛立ちとちゃちなプライドを傷付けられた恥ずかしさと、その他言語化できない色んな感情がぐちゃぐちゃになって襲ってきた。


「サッカー辞めよっかな」って選択肢が生まれて初めて頭をよぎった。
その時は気付いてなかったけど、俺は弱くて未熟でダサくてしょーもない人間だったみたいで、この程度の挫折も、当時の俺には相当堪えた。


周りの先輩や同期に相談する中で、
ヘッドコーチのよしくんに電話で弱音を垂れたら、
「普通に実力は足りてないよ」
ってはっきり言われた。
これが、シンプルだけど一番食らった。


この頃、
どうやったらうまくなるかを考えるべきなのに、その日・その週に何をしたら評価されるかばかり考えていた。
仲間やチームを鼓舞していた口は、いつからか監督の文句を吐くために使っていた。
監督交代に伴って目指すサッカーが変わる中で、求められる選手像を理解できないまま、それを聞きに行くことも無用なプライドが邪魔した。


結局、ある程度気持ちを整理し、リーグ戦で躍動することに向かって再び走り出したが、その後Aと育成を行ったり来たりし、秋にはグロインペインという慢性的な怪我で離脱した。




リハビリしかできない身体になって、ようやく本気で自分に向き合うことができた。


良くも悪くも、ベンチに入る、スタメンになることの境目の立ち位置に置かれた3シーズン目になり、「評価される」ということに神経質になりすぎていた。
2年の時に書いた自らのFeelingsでは、

「やばい負ける、この試合勝たなあかんのにって時に、試合に出てる他の10人も、ベンチも、応援席も、とりあえずこいつにボール届けたい、なんとかして欲しいって思われる選手」

を目標としていたのに、
いつの間にか、今週末の試合に出られるか、ベンチに入れるか、育成に落とされないか、そんなところばかり意識し、そこが目的になっていたことに気付いた。


冬オフも含めた2,3ヶ月で、どんな選手になりたいかというのをもう少し具体化させ、そこに向けて成長することに注力した。


そして、冬オフが明けての新シーズンでは、昨シーズンの反省からスタンスをはっきり変えた。

「俺は、自分が成長することをやり続ける。陵平、俺を使いたくなったらAに上げて使ったらええ。」

評価云々より成長にフォーカスできるように。
それでも気にしてしまうであろう監督からの評価が、これから1年どのようなものになっても自分のメンタルを守るために。
これくらいのテンションで挑むことにした。


上手くなるため、また考えていることを理解するため、監督の陵平さんにも色々聞きに行くようになった。
DL・オフ期間にイメージしていたプレーを、試行錯誤しながらできるようになっていった。
昨シーズンパタっとできなくなったゴールも、ケチャップのように出始めた。
Aに復帰することができ、セカンドの試合でも点を取り続けた。
リーグ戦前期は、途中出場ではあるものの、出場時間は少しずつ伸びていった。
昨シーズンは感じられなかった、期待や戦力に数えられてる感も、徐々に増えている感覚があった。


そして、冒頭にも書いた、双青戦でのスタメン出場・先制点のマークも達成できた。






でも、そこまでだった。

あの双青戦はピークで、結局、リーグ戦でスタートから出場することや得点をマークすることはできず、「やばい負ける、この試合勝たなあかんのにって時に、なんとかして欲しいって思われる選手」になんて到底なれなかった。

最後の一年、マインドセットを変えたことで、精神面・技術面、共にレベルアップしたと自負している。
成功より成長を、結果より過程を意識して俺はまた前に進めた。
そしてこれは多くのことに共通すると思うし、多くの人にも共通すると思っている。

けど、やっぱり結果が欲しい。

結果を残したかった。




東大ア式では毎シーズン、ホーム最終戦の後、引退する4年生との残り少ない時間を名残惜しむ写真撮影タイムがある。
 
俺はあの時間が大嫌いだった。

1部に昇格を決めた年も、2部へ降格した年も。

ピッチ上に部員全員が入り、互いを称え合ったり、今年の悔しさを糧に再起を誓い合ったりする。
4年間を戦い抜いた者たちは、その想いを下級生に託す。

でも俺はいつもその輪に入れなかった。
昇格の喜びも降格の悔しさも、本当の意味では感じられなかったから。
感じていたのはいつも、それを感じられる程の場所に自分が到達できていないことへの苛立ちだった。


最後の日、4年間で初めて、自分の携帯で写真を撮りに、1人1人の元へ歩いた。

その場所に到達できていなくても、苛立ちを力に変えるべき「来年」はもうなかった。






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暗い内容になったし、ここまで書いた通りピッチ上で満足するような結果を残すことはできなかったけれど、東大ア式で過ごした日々は、学んだことは、どれも刺激的だった。



ア式に入り、サッカーという競技が分かりやすく言語化されて、観るものとしてもするものとしても格段に楽しいものになった。
これに関しては、遼さんやお世話になったOBコーチのおかげに他ならない。
本当に感謝しています。

2,3年の時、コロナ禍での数え切れないほどのミーティングでは、組織で意見をまとめることの難しさを学び、多くの構成員を抱える組織では価値観の違いから、時に全員が幸福にはならない結論が出てしまうこともあった。

ア式には、サッカーを好きな人が集まっていて、サッカーに対して色んな側面からアプローチすることが歓迎・促進される環境だった。

その一つとして、双青戦というイベントの新たな1ページを描くことができた。

高校の時に参加した東大フェスを、次は主催側として発展させることもできた。

そして何よりこの4年間、チームメイトと過ごすしょーもない時間は最高だった。


高校時代にFeelingsを読んでいたという話を部員からちらほら聞く。
もしも今、高校生やそれよりも若い年代の人がこれを読んでいるなら、迷いなく勧めたい。
サッカーに魅力を感じるなら、東大ア式に入るべきだ、東大ア式を目指すべきだ。
そして、ア式をもっと価値あるクラブにしてください。



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後輩たちへ

ピッチ内外でありがとう。
みんなとサッカーできて、同じ時間を過ごせて楽しかったです。

ここまで読んでくれた人ならわかると思うけど、俺の4年間は、入部当初に思い描いたものより遥かに厳しかったです。
満足いかないことばかりでした。
そして、ア式の厄介なところは、その熱量を注げば注ぐほど、その不満足感や悔しさが自分にこびりつくんです。
特に俺が3年の時は、普段サッカーの関係ない時にどんな楽しい時間を過ごしても、ちょっと油断するとその不満足感が襲ってきて、心の底から楽しかった日なんて1日もなかったかもしれません。

伝えたいのは、君たちが歩む過程でもいい、残す結果でもいい、どんな形でもいいから、満足できる、胸を張れるような4年間にして欲しい。
俺よりももっと。
で、それはすごい大変なことだよ。
何かを犠牲にしなきゃいけないことは多々あるし、プライドが傷付けられることもあるし、納得いかない評価が下される時もある。
自分やチームの成長のためにはもっと発信して、もっと言い合うことが必要なのかもしれない。
それでも横には、自分と同じように、大学4年間を東大ア式という環境に注ぐことを決めた仲間がいる。
妥協せず、それぞれ影響し合って頑張って欲しい。

1年間はOBコーチするんで、声掛けてくれたら奢ったります。
喋りましょう。



先輩方へ

ピッチ内では、下手過ぎる僕にアドバイスをくれたり、何回シュート外してもパスくれたり、時には怒鳴られたり、愛を持って接してくれてありがとうございました。
もっとリーグ戦の舞台で躍動する僕を期待してくれた先輩もいましたが、それに応えられなかったことはとても悔しいし、申し訳ないです。

ピッチ外では、いつもガメつくたかり、鬱陶しい後輩だったと思います(多少は可愛いか)。
だるがりながらも接してくれた先輩方が大好きでした。
また飯連れてってください。



指導してくれた方々へ

ア式の基礎を叩き込んでくれた人。
俺にCFという新しいポジションを与えてくれた人。
俺に足りない部分を優しく教え続けてくれた人。
コンディションの落ちていた俺を干してくれた人。
俺の勝負場所をCFだと改めて教えてくれた人。
俺を肯定し続けてくれた人。
落ちてた俺に再び学びを与えてくれた人。
コーチというより先輩の人。
俺に下手くそと言い続けてくれた人。
俺に試練を与えてくれた人。

みなさんに指導していただけて、心から感謝しています。



LB会の方々へ

日頃より、温かいご支援ありがとうございます。
特に双青戦では、伝統的で皆様にとって思い入れのある一戦にも関わらず、私たち現役の新しい試みへの意向を尊重していただき、深く感謝いたします。



同期へ

4年間、刺激を一番受けるのは、いつも同期のみんなからでした。
俺は育成で燻ってるのに、お前はもうAで戦ってる。
さっきまで喋ってたお前が、目の前でリーグ戦に出てる。
試合に出るには、お前を越さなければならない。
お前は苦しいだろうに必死にもがいてる。
お前は自分の責任を果たそうと歯食いしばって働いてる。

みんなと4年間過ごせて最高でした。
ありがとう。これからもよろしく。



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俺はココで結果を残すことができなかった。

でもこの先も人生は続く。

この4年間が、過程として価値あるものになるよう、これから生きていく。

そしてどこかで、結果を残す。







久野 健太

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