愛する場所

大矢篤(4年/MF/FCトリプレッタ U-18)
 




あまりにありきたりなサッカー人生だったように思う。
そこらによくいるレベルの選手として、特に記録にも残らず学生サッカーを終える。



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思えば、小学校から全てのカテゴリーで、掲げていた大きな目標は1つも達成できなかった。
中学時代の部活動最後の大会も、高校時代のクラブチームの引退試合も、大学2、3、4年の時に戦った引退試合も全て負けた。
どれも簡単な試合ではなかったが、1年の時に出られなかった國學院との引退試合なんてもっと難しい試合であった。あの試合での感動的な勝利を思い出すと、自分の勝負弱さっぷりは相当なものなのだろうと思い知らされる。


だが、決してただただ負け続けた4年間ではなかった。
ア式1年目、全てが強烈な監督、山口遼に出会い、10年以上続けてきたサッカーの面白さがまだまだ膨れ上がっていく感覚に胸の高鳴りを覚えた。先輩・同期にも恵まれて一気にア式にのめりこんだ。Aチームでは望むような活躍はできなかったが、全てが新鮮で刺激的な1年間であった。
2年目には、チームに対してもっと責任を持とうと思えた。それは引退した先輩たちが今までずっと背中で、言葉で、たくさん支えてくれていたから。彼らがいなくなった時に、その大きさを痛感したから。
役職のない人間であっても、責任を背負える強いチームになるために、平部員という立場でいることは絶好の機会だと思った。
大好きなチームで、理想のサッカーをして、自分なりに昇格に貢献できたこの年は、自分にとっても忘れられない年となった。
3年目には、より大きな覚悟を持って副将になったが、本質的にやるべきことは2年目からそう大きく変わらなかった。今や日本の解説業界を牛耳り始めた、尊敬する新監督が早く監督業に慣れることのできるよう、ポジティブな雰囲気を作り続けること。チーム全体に対して発信し続けること。ちょっとした変化にできるだけ気づいて、部員みんなに話しかけること。新しくやるようになったことは、いつ主将がいなくなっても代わりにチームを引っ張れるように準備をすることくらいであったと思う。だが、全てが苦しいと感じてしまうほどに、結果がでなかった一年であった。
4年目は、個人としてうまく行かない1年になった。度重なる怪我、体調不良、そして上がらないパフォーマンス。そんな中であるから、DLや育成の選手たちと一緒に練習することもあった。
チームの勝利に直接貢献できないことは、あまりに悔しいことだった。だけど、そこにも絶対に役割はあるはずだと言い聞かせた。
普段は話せないDLメンバーの苦しさ、育成チームに所属する選手の伸び代と課題。自分が直接聞いて、見て、みんなと話すことがチームの勝利につながると信じて前向きに取り組んだ。
最終的にチームとしては、一部復帰という最低限の結果を残せたこと。個人としては直接大きな貢献ができたと胸を張れなかったこと。最後のホイッスルを、またも敗北で迎えたこと。
これら全てを、何か一つに意味づけることはできていないし、今後もしないだろう。

副将でありながら、弱い自分にもたくさん出会った。
意思をはっきりと示すべき場面で、周りの意見を聞くことに終始して、直接的な意思決定を任せてしまった自分。
試合に出れないときは、試合にさえ出られれば俺の方が活躍できるのに、と愚痴をこぼした自分。

だけど、いい練習を創るため、試合では相手よりも高い集中を保つために、発信し続けられた自分のことは誇りに思っている。
チームが苦しい時に周りを鼓舞する声、誰かのちょっとした良いプレーを讃える声、練習前の集合で「うし行こう!」を誰よりも大きくいうことですら習慣にした。
それは、今まで周りの仲間の声に何回も救われてきたから。一つ一つ意味のないような言葉であっても、その積み重ねがチームに与える影響の強さを信じていたから。
このチームのためになりうることはどんなことでも全てやりたかったから。
そう思えるほどに、このチームが好きだったから。

人格者揃い、「チームを支える」ということを体現してくれた3つ上。
常に明るく、ピッチ内外で常に頼もしかった2つ上。
真面目で、全てのだる絡みを受け入れてくれた1つ上🐔
ほぼ同期のような感覚になってしまった、愛すべき1つ下。(留年はしません、多分)
個性派揃いで、今後の成長がとても楽しみな2つ下。
(基本的には)みんな穏やかで、まだまだ可愛い3つ下。
そして、生涯の友である同期。


みんなと出会えたことが、ア式に入ってよかったと心から思える理由です。

ア式に4年間どっぷりと浸かったことが、良くも(悪くも?)今の自分をつくってくれたと思います。
本当に感謝しています。



そして、何よりも自分に影響を与えてくれたのはやっぱり家族です。
よく笑い少しだらしない母、くだらないボケをし続ける父、サッカーを愛しすぎている兄。

まだ幼稚園生であった僕にとっての、最初の夢の劇場は武蔵野中央公園だった。
右ポストが木、左ポストが自転車で出来たゴールを、兄と一緒になって陥れる。敵は、まだ髪が黒くて多かった父1人。
ゴールを奪うのが何よりも楽しかった。笑顔が溢れる公園で、苦しんでいたのは何度も倒される自転車だけだったように思う。

あれからもう20年弱。大学生になるまで、何不自由なくバカみたいにサッカーさせてくれて本当にありがとう。



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ア式だけでなく、小中高と陽気でひたむきな仲間に囲まれて楽しい時間を過ごし、たくさんの刺激を受け、支えてもらった。
やはり、サッカーで得た仲間は特別だと思う。
感情をむき出しにして、圧倒的に複雑でかつ連続的な現象が起こり続ける90分の中で、100%の集中を続けて、やっと相手のゴールを数回陥れることができるかどうか。
こんな楽しい時間が他にあるだろうか?
僕はまだそれを見つけられていないし、今後見つけられる自信もない。

「サッカーだから」をどうしても書きたくなってしまうが、それはどのスポーツでも同じなのかもしれない。サッカーに限らず、もっと言えばスポーツというものに限らず、人が本気になれるものは貴重である。だからこそ、もしそれを見つけたのならば大切にして欲しい。

本気になればなるほど、自分の非力さを思い知るかもしれない。自分が注ぐ熱量/愛情が強くなればなるほど、得られない結果に対して絶望するかもしれない。目の前が真っ暗になることもあるだろう。

だが、そこまで深い絶望を経験できるものはそう多く存在しない。なんとなく受動的に、「感動」や「絶望」を視聴して消費できるようになったこの世の中において、本気で目の前が真っ暗になった人間が、次に見ることができる光はどれほど輝いてみえるだろうか。

調べてみたところ、太陽は満月の40万倍ほど明るいらしい。
だが僕が、今までの人生でより心を動かされてきたのは夜空に浮かぶ、後者の光である。

中学では、目標の二つ前で隣のライバル中学校に負けて引退したこと。引退後、何個か受けたクラブチームのセレクションで自分の実力を痛いほど思い知らされたこと。
高校では、なんとか入れてもらったクラブチームのなかで、自分の下手くそさを痛感し続けたこと。そのなかで毎練習必死に食らいついて、公式戦は毎試合声を枯らして応援して、3年になってからなんとかAチームに上がることができたこと。最後の試合をスタメンで出してもらったこと。
大学に入ってからは毎シーズンが勝負であった。
1年目に知れたことは、育成チームに落とされる屈辱、Aチームで練習できる誇らしさ。一部リーグにおいては、これっぽっちも通用せず先輩の足を圧倒的に引っ張ってしまっている感覚。
2年目は、4年生の個の破壊力に届かない悔しさを存分に味わい、それでも自分なりに勝利に貢献する術を見つけられたという感覚。
3年目、一部リーグへのリベンジ。本気で準備して挑み続けても、10試合全く勝ち星を積めない苦しさ。
4年目のなかなか出場機会を掴めない時間。きっかけとなりうるタイミングで毎度やってくる怪我や体調不良。なんとかコンディションを上げて結果を残し、最後に出場時間をもぎり取ったというあの感覚。
今までのサッカー人生で、何か本当に大きな目標を達成して、心の底から喜べたことなんてほとんどなかったであろう。
それでも、もがき続けたのちに少しでも何かを掴めたとき。サッカーの新しい側面を知れたとき。練習であってもゴールネットを揺らせたとき。相手との小さな駆け引きに勝ったとき。やはり何より、チームがやっと勝利を掴めたとき。

今思い返せば、数え切れないほどたくさんの素晴らしい瞬間があって、自分の人生を照らしてくれていた。


「報われるまで努力しろ」
メッシが言っていたそうで、間違いのない名言である。報われるまで努力をし続けることが、自分を肯定する最良の手段である。
だが勝負の世界においては、誰かが掴んだ光の影に、敗者も必ず存在する。その場合、今までの努力は「報われない」のだと引退するまでは思っていた。
だが、一度ガムシャラに走るのをやめた、今になって思う。本気で大きな目標を目指して進み続けていたからこそ、その過程において小さく報われ続けていたのだ、と。

だから、本気になれる何かに対して絶望してしまったとき。それから逃げて、やめてしまおうと思ったとき。
今までの過程を振り返り、またそこから未来にて進むであろう道を類推し、そこに小さくとも輝かしい光が待っていないかをしっかりと考えて欲しい。




僕が偶然サッカーに出会い、それに熱中し、絶望し続け、今思えばそれと同時にたくさんの素晴らしい瞬間を味わってきたことは、紛れもなく人生の宝であると胸を張って言える。

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周りからみればあまりにありきたりであるが、
僕にとってはあまりにも素晴らしいサッカー人生である。
何かの記録に残らずとも、自分がこれほどまでに没頭した日々は、今後も記憶に残り続けるだろう。



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あと半世紀ほどか、もしかしたら一世紀近くあるのかもしれない。
僕は死ぬまで、愛するフィールドに向かい続ける。


4年 前副将 
大矢篤

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