今日くらいは

光内優花(4年/スタッフ/不二聖心女子学院高校)

私の最後のfeelings。
今日くらいは、ア式での4年間の思いを伝えよう。

私は昔から自分が思っていることを相手に伝えるのが苦手だ。
自分語りは照れ臭いし避けてきた。言葉は便利だけど、自分が発した言葉に相手の解釈が上乗せされるから、伝えたいことがそのまま伝わらないことの方が遥かに多い。いつも自分がどう思っているかより相手がどう捉え、どう感じるかを先回りして考えてしまう癖がある。だからって何も考えてないわけじゃない。はたから見たら何考えてるんだろうって意思はあるのかなって思われてそうでもどかしい。やっと言葉にした時に何を今更となることも。
feelingsはそんな私が自分の思っていることを照れくさいけれど伝えられるツール。どんな気持ちでア式と向き合っていたかが少しでも伝わればと思って書いている。

ア式を引退して数ヶ月。時間はあっという間に過ぎていく。
練習後の何気ない時間。先輩や後輩、同期と話しながらボールを蹴ったり、選手が自主練に励む姿を見たり、今日も1日終わったーと部室に戻るこの毎日。ゴールが決まった時のあの嬉しさと歓声も、悔しい苦しい思いをしたあの試合も全部全部、どの瞬間も昨日のことのように思い出す。部活のない日常が当たり前になった今、本当にア式にいたのかなって夢みたいな感覚。それはそれで悲しい。慣れって怖いなあなんて。当たり前のように部室に行けば誰かしらいて、約束をせずとも会う仲間。これは、当たり前じゃなかったことを実感している。
大した功績はなく、みんなに比べたら取るに足りないごく普通なア式生活ではあったが、この普通が私には変え難いものであった。

2019年
東京に上京して晴れて大学生となり、入学式当日は見るもの全てがキラキラしていてこれからどんな日々を送るんだろうと胸は高鳴る。数あるビラから興味があるものを友人たちとピックアップし新歓へと足を運ぶ。その中にア式も入っていた。しかもそこには、高校時代からお世話になっていた1つ上の先輩も所属していた。「おいで!」と声をかけていただいたのもあって迷わず見学を希望した。今思えばこれも何かの縁だったのかも。
慣れないスーツを身に纏い、ヒールで歩き回った足は半分悲鳴をあげていたが、あの日グラウンドに行って良かったと心から思う。「東大のサッカー部って⁇」頭の中でイメージしていたものが、練習を見て一変した。選手スタッフ問わず、何かに打ち込んでいる部員の方々はかっこよくてひたむきだった。
どんな4年間にしたいか、どう過ごしたいかを考えていた私は、自分がここにいることが一番想像しやすかったし、この部活を4年間頑張りたいと何かビビッとくるものがあった。これが直感ってやつなのかなんなのか。
入部後は、とにかく仕事を覚えることで精一杯。寮からグラウンドに行くまででドキドキなのに、御殿下グラウンドに行くのでさえもキャンパス広すぎて迷子だし、そのせいで遅刻しそうで半泣き。けれど、グラウンドに行けば温かく迎えてくれる部員のみんな。
「今日は何してた?」とか「今日はさ〜」なんて飛び交う会話が楽しくてほっこりしているのに、打ち解けるまでに時間がかかる私は、挨拶するだけでまともに話せなかった。当時3年生のある方が、「優花ちゃん、ア式に馴染めてる?部活辞めちゃうんじゃない?」なんて同期に話していたらしいし心配させていたっぽい。同期は、私がよく喋ることも知っていたため、驚いていたようだが、私が少しでも馴染めるようにとア式での集まりに声をかけてくれたりした。
そんな経緯で呼んでくれたことを知ったのは私が3年生になってのこと。
余計な心配をかけて申し訳ないという気持ちと同時に、気づけなかった何気ない優しさに感謝でいっぱいだった。
本当にありがとうございました。
1年生前期の頃は、今よりも早い寮の門限に追われそそくさと帰る日々。まともに喋れないのに会話をする機会はほとんどなくて尚更どんな子なんだと思われていただろう。
そんな私に、練習後気さくに話しかけてくれた先輩たち。
ボールを蹴りながらの会話は思ったよりも人と人との距離を縮めてくれた気がする。

あるOBコーチには、「自信がある風に振る舞うことが出来たら更に良いスタッフになる」と私に足りないものを伝えてくれた。あの頃の私は何をやるにも自信がなく、そんな姿は全てお見通しだったのだなと感じた。自信の有無に限らず、そう振る舞うことで自然と自信が付いてくると気付かされた。そこからは、グラウンドでの立ち振る舞いから意識し、積極的に人と関わることを心がけた。

そして、練習をする上で避けて通れないのは、ログ。
入部したての頃は、ログを取る手が思うように動かなくて、聞き取って書けたのはほんのわずかだったし、沢山迷惑をかけた。ログも沢山指摘をもらった。引退する頃には、同期に「日本語終わっている優花が後輩に教えている姿を見て感慨深い」と言ってもらえるまでになった。

1年次のfeelingsを読んだ当時の監督には、「卒部feelingsどれだけ成長してるか楽しみだよ」と言われたが、これを見ていたとしたらどう思うのか少し不安である。
見られてないことを前提に書き進めるとする。

2020年
コロナの流行で思うように部活も大学生活もいかなかった。本当にそれだけは心残り。やり直したいなーなんてふと思ったりする。でも、そんなことを言っても時間は進む一方で、置かれた状況でベストを尽くすしかない。みんなが翻弄され、闘った。それと同時に忘れられない出来事が訪れた。それは、2人同時に同期スタッフが退部したことだ。
1人は突然の退部報告で、頭が追いつかなかった。
もう1人は深夜に電話をもらって、退部を迷っていることを打ち明けられた。あの日の夜は本当に涙が止まらなかった。本人の気持ちを理解したいけれど、「なんで?一緒に頑張るって決めたじゃん」って気持ちの方が先行してしまった。なんだか一人ぼっちになる気がして、心細かった。とにかく不安で仕方なかった。ようこと2人で「頑張ろう」「一緒に頑張っていこう」って自分たちに言い聞かせてきたし、前を向いてきた。多分、私自身こうして声をかけることでどこか安心したかったのだと思う。
同期プレイヤーは、あの時どんよりしていたし、「優花は辞めないよな?」って半分冗談だと思うけど不安そうに言ってきた。
私は、入った当初から何があっても卒部するんだという気持ちは揺るがなかったし、自分が選択したことは何としてでもやり遂げたいという昔からの性格上どんな時も辞めることを考えたことはなかった。「これ以上辞めるとか勘弁してくれ」とか、「もし辞めたら」って会話が聞こえてきて、ちょっとでも同期の不安を取り除きたかった。
多分周りからは辞めると思われてただろうし、何人かの先輩には、「優花はどうなるかなって内心思っていた。」と伝えられたのは4年になってからのこと。とにかくそんな不安定な年だった。

2021年
コロナはまだまだ続く。少しはコロナのある生活に慣れながらの部活。段々とできることやコロナ禍での部活の向き合い方も分かってきた。
この年はとにかく純粋に部活を楽しんでいたと思う。

2022年ラストイヤー
これは、前回のfeelingsでも伝えたので詳しくは語らないでおく。引退した直後は全く実感が湧いていなかったから、涙は一つも出なかった。しかし、時間が経って不思議と涙が出てきてた。しかもみんなと楽しく話をしている時。本当におかしなタイミングで泣くの絶対違うのに!
もう毎日のように会えなくなるんだーって思ったら急に視界がぼやけだした。部活がなくるなるということが違和感でしか無かった。
そんな時も、同期はまた会えるんだからもう泣くなよって笑ってなぐさめてくれたり、泣きたい時は泣いていいんだよなんて、らしくない言葉をかけてくれたりもした。

私にとってこの4年間は、遅れてやってきた青春そのものだった。

何かに打ち込むことって年を重ねるにつれ少なくなる。これまで様々なことをやってはきたが、ここまで打ち込んだことはなかったわたしに全力になる機会や気持ちをア式が与えてくれた。
新たな居場所と大切な仲間ができたのは、何にも変えられないかけがえのない財産である。

人にも環境にもとことん恵まれて、どの瞬間を切り取っても一つひとつが大切で、どの季節もア式で溢れた幸せな4年間だった。
4年前の私に、他大に飛び込んだ勇気を讃えたいし、「不安に思ってたことなんて全部忘れて楽しんでるから大丈夫だよ」って言ってあげたいです。どんな出来事も時間が経てば大抵のことは笑って語れるって本当にそう。
だから、この先もきっと選んだことが全て良かったって思える日が来ると思いながら春から新しい場所でも頑張っていきます。

両親、
どんな時も私の選択を1番に応援してくれて支えてくれてありがとう。私の頑張りを認めてくれて、いつの間にかア式の虜になっていた母。毎週日曜日は、「試合観たよ〜」のお決まりのLINE。教育実習中は、土日が唯一ゆっくりできる時間。母と2人でキックオフを待ち侘びて、みんなの活躍を画面上から応援したのも思い出。
父は私の生活に特に口出しはせず、どんと構えて見守ってくれていた。「あんまり無理するなよ」と言うものの、「ここに入って良かったね優花が楽しそうで何より」と、母に伝えてたことも、気にかけてくれてたことも知ってます。本当ありがとう。

周りのみんな、
試合を観に来てくれたり、配信も観てくれた。ア式の活動に刺激を受けて参考にしてる他の部活の友人や、これいいねって伝えてくれる友人もいた。ちょっとネガティブ期の時も、とことん話を聞いてくれたり、嫌なことを忘れさせてくれて助けられた。最後まで頑張れたのも間違いなくみんなのおかげ。

同期、
みんなの活躍が何よりも私の頑張る理由になっていた。どんな時もそばにいてくれてありがとう!大好きで心強すぎる同期たち、これからもよろしく。そして、唯一の同期マネ。1年の終わりからぐっと距離が縮まって、色々な話ができた。沢山尊敬できる面を持つ彼女に、励まされ勇気づけられ頑張ってこれた。ようこスマイルは沢山の人に元気と癒しを与えていたと思う。

先輩たち、
私の憧れであり尊敬しかない自慢の方たちだった。当たり前なんですが、どれだけ時間が経っても先輩だなあと。各学年それぞれオーラがあって、試合でお会いするときは嬉しさとともに1年生に戻ったような、とことん後輩気分になってました。今まで沢山お世話になりました。

後輩たち、
懐っこくて可愛くて少し生意気な子もいるけど、初めて後輩ができた時、後輩が増えていった時、本当に嬉しくて、より一層頑張ろうと気合が入りました。沢山元気をくれてありがとう。

年齢の垣根を超えて様々な人たちとこの4年間を通して関われたこと、温かく迎えてくれたこと、感謝してもしきれません。
これからもア式で関わった人たちとは、なんらかの形で繋がっていられたらと思います。

最終節では、会場に数えきれないほどの人。
コロナ前の試合風景が戻りつつあり懐かしく感じた。配信を観てくれた方も多く、約100人?いやもっと?の方々がア式を応援してくださいました。コロナになってからは、応援してくれる方々の存在を間近に感じることは少なくなっていましたが、恵まれた環境、支えてくれている方々の存在を大切に、更にア式がより良いものになることを願っています。

人見知りとされていた私は、最後のマッチデープログラムに、「グラウンド内外で選手スタッフ問わずコミュニケーションを絶やさない人だった」と書いてもらい、少しは人間的に成長できたのではと思う。
大なり小なり励まし背中を押す存在になれていたのなら嬉しい。

4年間ありがとうございました。


なんだか照れくさい。←1年の頃よりは少し成長しているはずなのに、この気持ちは全く変わらない。

コメント