個人分析 #2酒井

酒井貴(1年/テクニカルスタッフ/金沢泉丘高校)


ア式にテクニカルとして入部してちょうど半年ほどとなる。初めてのfeelings、せっかくなので、今まで小中高とプレイヤーとしてサッカーをやっていた自分の個人分析でもしてみようかな。

 

 

小1~4? 内灘町スポーツ少年団

 ポジション ?

 ・下手

 ・決定力ゼロ(対外試合通算0ゴール)

 

中  内灘中サッカー部 #2

 ポジション 左右SB

 ・ベンチが多いが、スタメンの可能性もあり

 ・ロスト多い

→プレスでの狙い目に

・オーバーラップはするが、クロスの制度は低く怖くない

・足が遅く、対人守備も弱い

 →積極的に仕掛けよう

 

高  金沢泉丘高校サッカー部

ポジション 左右SB

 ・ベンチ外

 ・ロスト多い

→プレスでの狙い目に

・オーバーラップはするが、クロスの制度は低く怖くない

・足が遅く、対人守備も弱い

 →積極的に仕掛けよう

 

 

はい、コピー&ペースト。んー、さすがに手抜きすぎて怒られそうやな。備考みたいな感じで書いておくか。

 

 

備考

・リフティングができない

・低学年ではポジションは流動的でFWをすることも多いがそれでも点を取れることはまずない

・昼休みの校庭でのサッカーで、自分はチームに所属しているから他の人より上手いという虚勢

・チームの他の同級生より下手でつらい

・4年の時、下の学年からの突き上げに耐えられず、サッカーを辞める(このチームは1,2年、3,4年が同じカテゴリー)

・サッカー部入部により競技復帰

・小学校の時のチームメイトは、一度やめた自分を温かく歓迎してくれた

・この時の感動と感謝は生涯忘れまい

・いずれにしても下手なのは変わらない

・体の成長にともないキック力上昇

・それでも下手には変わりない

・ミスるのが怖いのでボールは来てほしくない

・ある試合の日、K先生がメンバー外の選手を集めて話をする。「お前の良さは体を張った守備だ、お前の良さは縦の突破力だ。」ここにいるやつはメンバーからは外れているが、それぞれに長所はある。自信を持て、という励まし、エモい展開だ。ついに自分の番。「お前の長所は真面目なところだ。」

・いや、それ褒めるところない時に言うやつやん。「あと、俺と誕生日が同じところだ。」いや、確かにそうなんやけど、そんなんフォローになるか。

・3年間とも顧問が交代した

・優劣をつけるわけではないが、1年の時のK先生は恩師と言うべきだろう

・周りを見て行動する、とか多くの大切なことを学んだ

・ある土曜の練習。なんのへんてつもないいつも通りの練習。すっきりとした秋晴れだが、グラウンドにはまだ水たまりが残っている。この日はなぜかK先生がいつにないくらい優しい。あまりに清々しい天気での大ゲーム。本当に、深いわけもないのになぜか強く印象に残っている。土曜の昼の晴れ間はどうしてこれほどまでに心地よいのだろうか

・1,2年でメンバーに選ばれるはずもなく、3年でも準レギュラーというのがやっと

・最後の大会では、同期が10人しかいないということもあり、2番という良い背番号をもらえた

・ハイライトは、県大会出場のかかったプレーオフ。途中でも、ももかんをくらいながらフル出場を果たし、PK戦までもつれた試合の勝利に貢献し、県大会出場を決めた。

・とはいえ、出場機会は限定的で、最後の試合はチームが星陵中に惨敗するのをベンチで見届けた

・入部前、進学校ならレベルも低そうだし自分でもスタメンになれそう、という甘い目論見があった

・入部直後、Jユースからのオファーを蹴ったやつもいるようなレベルの高さに、それはすぐ破られた

・トップとBの実力差は激しく、自分にはトップが肉眼で捉えられないほど遠くに思えた

・Bですら底辺を争い1年が過ぎた

・そんな中コロナ禍を迎える

・自粛期間では、与えられたトレーニングメニュはこなすが、それ以上でもそれ以下でもない

・一人で自主練をしておくべきだった

・自粛期間が明けても状況は変わらない

・相変わらずBの底

・メンバー入りを目指し、真面目に練習に励んだ

・心のどこかで、ここから奇跡の逆転を起こしてやる。最後に成功を掴み取るのは自分だ。そんな思いがあった

・練習後、居残りで自主練するのが、日課となっていた

・「ちょっと待ってあと一球だけ」「バス間に合わんくなるやん」「頼むあと一球」「もうあのバス間に合わんから次のバスまでやろう」

・ある日の練習後、2人で残ってボールを蹴った

・ある日の練習後、別のやつと一緒にグラウンドの周りを走った

・ある日の練習後、別のやつと一対一をした

・次のメンバー発表、トップに怪我人が出て、一緒にボール蹴っていたやつが選ばれた

・一緒に練習後に走っていたやつは、いつの間にか退部した

・次のメンバー発表、一緒に一対一をしていたやつが選ばれた

・ある土曜の練習後、いつも一緒に残っているやつがいない。練習時間の違うトップにいるやつは残っていなかったのだ

・その日はそのまま帰った

・一人で残るのは人目がはばかられた

・やがてトップに選ばれていないのは片手で数えるほどになった

・真剣に練習していたやつにはトップへの挑戦権が与えられ、やる気がないやつでも与えられた。自分は取り残されたまま

・つらいと思うときもあったが、絶対に辞めようとはしなかった

・小学校でサッカーをやめた時、確かに辞める前はつらかったが、辞めた後どこか元チームメイトや練習に行っていたグラウンドを避けるようになっていた。どこか負い目を感じていた

・最後まで辞めないこと自体に意義があるような気がしていた

・ミスをして怒られて、自主練をして、絶対最後に掴み取ってやると誓って駅から家まで自転車を飛ばす

・目に見えて伸びたのはスタミナだ。小中とサッカー部以外も含めて学年で最下位を争うレベルだったのが、チーム内でも中位を狙えるほどにまでなった。残り体力がゼロになっても死に物狂いでオーバーラップを続け、ラントレも真面目にこなした成果だろう

・ミスをひたすら怒られ続けて鍛えられたメンタルは鉄壁

・ある日のゲーム。ポジトラ、カウンターシチュエーション、ラインを上げる掛け声がかかる。RSBの自分は前方へ駆ける。一番好きなプレーだった。周りの顔色をうかがわず行動し、一方でチームが一体となって前進している気がした。あるいは、自分がラインを先導している気がした

・やがて最後のメンバー発表を迎える

・目を引くのは、1年と2年の途中までBが定位置だったとある同期だ。彼は1年では自分と同じようにBの中でも下にいたが、自粛期間後明らかに技術やスタミナが上がっていた。その後、メキメキと力をつけ、トップでもスタメンに絡む位置にまでつけていた

・結局、自分は最後のメンバーには選ばれなかった

・正直、実力を考えると選ばれないのは明らかであったが、涙を流す三歩手前くらいの気持ちにはなった

・思い描いたサクセスストーリーとはならなかった

・ただ、最後まで逃げなかった

・最後の大会は総体予選

・コロナの影響がまだ残り、部員すら現地に行けなかったが、チームは快進撃を続け、準決勝まで進んだことで、担架要員として自分を含む数名のみが現地入りを許可された

・相手は名門星陵、くらいつき互角に渡り合うトップチームが素直に誇らしかった

・最後は力負け、奇しくも再び自チームが最後の大会で星陵相手に敗れるのをピッチ外から見届けることになった

・3月、卒業に際し、部の後輩からメッセージカードの何枚も入った封筒をもらう

・そういえば、去年俺らも練習の合間に書かされたっけ。さっさと書いて練習戻ろう、みたいな

・パラパラパラ、ん?

・「いつも残って練習している姿を見て尊敬していました。」

 

 

うわー、途中からもう全然個人分析でもなんでもないや。趣旨ブレブレだわ。まーいっか。やべっ、もうこんな時間やん。しゃーない。

 

 

お疲れ様です。#2酒井の個人分析です。映像は編集ができ次第追って共有します。遅れてごめんなさい。


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