回想録

小林和鼓(4年/スタッフ/桜蔭高校)


文章を書くのは得意ではないので敬遠してきたfeelingsだが、せっかくの卒部という節目なので4年間を振り返ってみようと思い重い筆を執った。当初の提出期限はとっくに過ぎているので申し訳ない気持ちに押し潰されている。

3年生の時のfeelingsでは本郷キャンパス周辺のおすすめの飲食店を紹介し、若干の非難を受けたので、今回はfeelingsという名に相応しいものになるといいなと思う。



上では4年間と言ったが、私のア式生活は期間で言うと約3年間だ。生まれてから22年のうちの3年が長いのか短いのかよくわからないし、思い返すと長かったような気もあっという間だった気もする。


私は1年生の冬、シーズン的には2年生の初めに入部した。

実は入学してすぐの頃も勧誘を受けていたが、その時は全く入部する気がなかった。渋々参加した女子スタッフ新歓zoomでつまらなそうな顔をしていたからワコのことを覚えていると、入部してだいぶ経ってからあやかに言われてちょっと恥ずかしかった。

それはそうと、入部のきっかけは前シーズン最後の玉川戦を観に行ったことだった。昇格を決めた試合だったらしく、試合後のグラウンドは大いに盛り上がっていた。私は当然その盛り上がりにはついていけずにいたが、部員の方々がすごく楽しそうで、なぜか集合写真にも写らせてもらい、良い部活なんだろうなとぼんやり思った。

その日はぼんやり良いなと思ったくらいだったが、後から思い出すとどんどん魅力的に思えてきて入部を決めた。春に始めたバイトには慣れてきて、夏頃になんとなく入ったテニスサークルには全然参加していなかったので、結構暇だったという理由もある。そんな軽い気持ちで入部したので、正直、始めた当初は飽きたら辞めようくらいの考えでいた。周りのみんなにもすぐ辞めそうだと思われていたと思う。

それがしっかり4年生になり、引退まで続けたので自分でも驚きである。なんとなく居心地は良いし、他にやることもないし、辞めるのもゴタゴタしそうだし、くらいの、必死にサッカーをしていたり真剣にスタッフの業務に努めていたみんなに対してすごく失礼な考えでア式に居た。すみません。だけど、部活との向き合い方の一つとして、私くらいの適当なスタンスも悪くないかなと思っている。結果的には最後までスタッフとしての業務を全うした訳だし、なによりも自分自身がずっと楽しく続けることができた。


入部してから2年生になる頃くらいまでは、確かコロナで大学のグラウンドが使えず、外部のグラウンドで練習していた。毎回よく分からない調布やお台場のあたりに出向かされて正直面倒には思っていたが、それよりもマネージャーの仕事や部員の顔と名前を覚えるのに必死だった。

いつ頃だったかはよく覚えていないが、2年生の途中から大学のグラウンドが使えるようになり、そのくらいから1年生が部活に入ってきた。私は年下や後輩と接するのがあまり得意ではないので、まだ始めたばかりの部活に後輩が入ってきてそわそわした。

グラウンド業務以外では広報ユニットに入った。小さい頃から絵を描いたりデザインを考えたりするのが好きだったので、画像班の仕事はすごく楽しかった。


やっと色々な仕事に慣れ、部員の大半の顔と名前が一致してきた頃、2つ上の先輩方が引退し、そして3年生になった。

この頃、ようこさんに誘われて試合のライブ配信を手伝い始めた。機械には強くないので、初めはどういう原理でビデオカメラで追った映像がパソコンに映され、youtubeで流れているのか全く理解できなかった。毎週お手伝いしているうちに配信の仕組みやカメラでボールを追うコツなどが分かってきて楽しかった。

秋になり1つ上の先輩方が引退した。みんな仲良くしてくれていたのですごく寂しかった。私は先輩方と関わるのが好きで、精神的にも、もちろん部活の業務の中でも頼り切っていたので、自分が最高学年になるのがとにかく不安だった。

冬オフ中は4年生になるタイミングで辞めてしまおうかとも思っていた。先輩が好きで後輩が苦手だから辞めますなんていうのは冷静に考えると馬鹿げているし、周りにも受け入れられる訳はないが、その時は本気で考えていた。

結局冬オフが終わっても決断できず、ぬるっとア式最後の年が始まってしまった。


始まってみると、意外と4年生も務まるものだなと思った。

先輩方は引退したといっても何人もOBコーチをしてくれていたし、毎週末リーグ戦を見にきてくれる方も多くて嬉しかった。仲の良い同期はもちろん、いろんな同期に気まぐれで絡むのは楽しかったし、後輩達にはこんな私にすら生意気に話しかけてくれる子もいた。

4年生になっても私の仕事はそれまでと変わらず、グラウンド業務、広報(画像班)、ライブ配信で全てだった。歴代の敏腕な先輩方や同期のみんなと比べると大した量の仕事はしていないが、4年生として向き合うそれらの業務はなんとなく責任感があって、3年生までとは重みが違う感じがした。

グラウンド業務は4年生ともなると慣れたもので余裕、と思いきやそんなことはなく、あれするの忘れてた、こうすれば良かったかもなどと思うことが最後まであった。引退が近づくと、頼むより自分でやる方が早いと思っていた部分もだんだん後輩に任せていく方がいいのかなとか、こうした方が効率的だよとかいうコツを伝えていく方がいいのかな、けど余計なお世話かなとか、実は色々と考えることがあった。

広報の仕事は変わらず楽しかった。告知画像を作ってみんなに褒められると嬉しかったし、特に褒められなくても自画自賛して満足していた。

ライブ配信は、3年生の時は手伝っているという意識が強かったが、今年になって急に責任者のような立場になり正直ずっと気が重かった。機器不良とか、雨が降ると地獄だったり、日差しは眩しくて日焼けしそうだし、とにかく上手くいかないことが多くて、全部投げ出したいと何度か思った。みんなが応援しているのが楽しそうで、なんで私ばっかり毎週パソコンと格闘しているんだろうと思っていた。だけど、コメントがたくさん来ると嬉しかったし、たまにOBの先輩方が実況解説に参加してくれたり、同期がカメラを手伝ってくれたりと楽しいこともあった。最終節は配信をえりちゃんとしおりちゃんに丸投げして、久しぶりに応援を楽しめた。2人とも1年間ありがとう。


10月、引退した。

去年は先輩方の引退に大泣きして周りを驚かせてしまったが、今年は最後まで涙は出なかった。正直、寂しいとか悲しいという気持ちは無くて、これで終わりかーという、ぼんやりとした達成感というか安心感のようなものを感じていた。

引退してしばらく経っても感傷的になることはなかったが、ふと、ア式のない生活は暇だなと思った。実際はバイトをしたり卒論を進めたり、取りこぼした1単位のために2年生に混ざって授業を受けていたりするのだが、気持ち的にすごく暇に感じる。

現役の時も毎日を部活に捧げていたわけではないが、平日夜や土日はなるべく空けていたし、それがなくなった生活は思った以上に余裕がある。この空いた時間に何をしているかというと、毎日のように二度寝や昼寝をしたり、あまり興味のないドラマをたくさん観たりしている。私は暇を愛する人間なので、この非生産的な時間の過ごし方はすごく幸せだが、なんとなく日々の生活が単調というか静かに感じる。それが嫌ということではないが、最近の生活を過剰に暇だと感じるのはこのせいかと思う。

ではなぜ日々が静かに感じるかというと、不特定多数の人たちと関わることがなくなったからではないかと思う。不特定多数といってもア式のみんなのことだが、現役の時は部活に行くとそれだけでたくさんの人間と関わっていた。関わる人が若干偏っていた自覚はあるので、誰が言っているんだと思われそうだが、挨拶や事務連絡的な会話も、みんなの会話を横で聞いているだけでも、それらが無くなった今思うと大きな関わりだったと思う。

引退してから私の交友関係はより一層偏っていて、いつも同じような友人達と同じようなことをしている。閉じた世界で生きているなと感じるが、これはこれで平和で楽しい生活だ。一方、ア式にいた頃を振り返ってみると、たくさんの人たちの顔が思い出されて、彩りのある生活だったと思う。

どちらの生活も楽しくて優劣つけ難いが、ア式にいた時の生活はおそらくもう一生過ごすことのない種類のものだったと思うと、少し寂しく感じる。ア式にいないと得られない不特定多数の人たちとの関わりが、おそらく当時自覚していた以上に私にとって大切で、部活を続ける理由の一つになっていたんだと思う。



これまで思っていたことをまとめただけの日記というか回想録のような文章になってしまったが、ここ最近の私は暇と言いつつ卒論に追われているので、こんな卒部feelingsで許してもらいたい。


私のア式生活の中で関わってくださった全てのみなさま、ありがとうございました。

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