楽な道からの脱却
今村真緒(1年/スタッフ/恵泉女学園高校)
初めまして。ア式蹴球部マネージャー1年生の今村真緒です。
この言葉を言ったり見たりするたびに私は部活に入ってしまったのだと実感する。入ってしまったという言い方をおかしく思う人もいるかもしれないが、何においても楽な道を選び、望んできた私にとって大学生で部活に入っていることは間違った道を選んだことに値するのだ。
とはいっても、もともと楽な道を選ぶ子供だった訳では無い。どちらかというと楽しいことには全力で取り組む子供だった。そんな子供が楽な道を選び始めたのはコロナの時期だったと思う。
中学生になった私はバドミントン部に所属した。小学校にはなかった憧れの部活、今までになかった先輩後輩関係、そんな新しい環境にいることが嬉しくて1年生の頃は部活に一生懸命取り組んでいた。また、なによりもバドミントンが上手くなりたかった。だからこそ大変だったとしても自分なりに頑張ろうと意気込んでいた。
しかし、中学2年生になると私の想像していた部活動との違いが露わになり始めた。先輩との関わり方、同輩との価値観の違い、体の不調。私に沢山の問題が一気に襲いかかり、どんどんと部活に行くことが憂鬱になっていった。そのタイミングでコロナがやってきた。
リモート授業を終え、その日の授業の復習をし、自分がやりたい事をやる。そんな部活動のない日々は私を辛いという気持ちから解放してくれた。それと同時に部活をしないという「楽な道」を選択すると幸せになれると考えるようになった。そこから私はダメ人間になっていった。
学校が始まり、中学校卒業のタイミングで退部し、高校時代は帰宅部を満喫していた。その楽な生活はとても楽しく、後悔のない3年間だった。その一方で、どこかぽっかりと心に穴が空いているようだった。大会に向けて頑張っている姿、後輩への指導で悩んでいる姿、部活を引退する姿、卒業アルバムのために部員達で集まって写真撮影をしている姿、後輩から動画を作ってもらって泣いている姿、そんな同級生の先輩としての姿を見て私は何か大切なものを逃した気がしていた。それでも私は「楽な道」を選択し続けた3年間を否定したくなくてこの気持ちに気づかないフリをしたまま卒業した。
大学生になり、周りのお友達はサークル体験、いわゆる新歓に行き始めた。彼女たちは毎日サークルで予定がいっぱいになっているスケジュール帳を見ながら忙しそうにしていた。そんな中、私はサッカー観戦が好きということもありサッカーサークルのマネージャーをやりたいなと考えたこともあったが、1人で行く勇気もなく、サッカー関連の新歓どころか新歓自体にあまり行かなかった。結局、友達の付き添いで唯一参加したゴルフサークルが楽しそうだったので、入ろうか悩んでいた。もうこの時には高校生の時に感じた喪失感はすっかり忘れ、The 大学生のような好きな時にサークルに行き、好きな時にバイトをし、好きな時に遊ぶ「楽な生活」を想像していた。
そんなこんなで4月の中旬になり、そろそろゴルフサークルに入るかきちんと決めようと思っていた時、駅で友人に会った。お互いに近況を伝えていた中、友人は私がサッカーに興味があったことを覚えていて、ア式に興味はないかと誘ってくれた。しかし、その時は全く知らない場所に1人で行くことが怖くて乗り気ではなかった。「楽な道」では決してない部活に入る覚悟、そしてその道が自分に最適な道であるという自信もなかった。結局、友人や家族が背中を押してくれ見学することになった。
見学の日、その日は物凄い雨が降っていてきちんとした練習が見れないかもしれないと思いながら東大前に行った。しかし、いざ行ってみると私の想像とは真逆だった。グラウンドでは雨で前も見づらい状況なのにも関わらず平然と練習しているプレイヤーがいた。その姿を見て私は高校生の時に感じた喪失感が蘇ってきた。また、ア式蹴球部という部活の厳しさを目の当たりにした。
正直、何が決め手だったのかは分からないが、そこからア式入部への決断は早いものだった。見学から家に帰宅し、これからの計画を立てようと思った時にはア式を中心に考えていた。部活は大変だからその道を選んではいけないと心のどこかでは思っているのにア式に入りたいという気持ちはどんどんと大きくなっていった。そのまま1週間後にする予定だった入部の返答を2日後にはしていた。そして私は先輩との面談を終え、ア式蹴球部の一員となった。
入部から数ヶ月がたち、先輩方や同輩に迷惑をかけながらもマネージャー業や本格的に始まったユニット活動に励んでいる。不器用な私は初めてのことに手こずることが多く、辛いこともある。昔の私だったらその辛さに耐えきれず逃げ出し、部活をやめていただろう。しかし、今の私はそんな辛さが吹っ飛ぶほどア式蹴球部に夢中になっている。この状況は「楽な道」を望む私にとって異常事態である。これからの4年間その異常事態は続き、いつのまにか日常となっているのだろう。
改めて4年間よろしくお願いいたします。
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