自分事

 錦谷智貴(4年/テクニカルスタッフ/麻布高校)


「張り合いがない。」




引退してから最も強く感じるのはそのことだ。英語の勉強に精を出したり、旅行に出かけたり、はたまた筋トレを始めてみたりと、決して無為に日々を過ごしているわけではない。しかし、毎週末やってきていた公式戦がないというのは、どうにも手持ち無沙汰なものである。



現役の時は、スカウティングやフィードバック、試合運営の業務など、ア式の仕事にむしろ追われているような感覚すら抱いたこともあった。しかし今は、途方もなく多い自由な時間を、どのように割り振っていくかに日々頭を悩ませているイメージだ。それはなんとなく、「何かに全力」「直向き」といった言葉からは遠いものな気がして、やっぱり自分にとってア式は、他の何事にも代え難い充実したものだったのだというのを改めて実感している。



今回の卒部feelingsという機会に便乗して、自分にとって人生で初めて「全力」を傾ける対象となったア式生活について順を追って振り返ってみようと思う。どのような構成にするか、何を書くか悩んだ結果、結局時系列順で振り返った方がよくまとまりそうだ、という結論に落ち着いたからだ。今回は、偉大なる先代実況者の作品にならって、「テクニカル・実況・試合運営」の3本柱で振り返ってみようと思う。




  • テクニカル



4年間を終えて頭に浮かぶのは、自分は果たしてテクニカルとして何か残すことができたのだろうか、という考えだ。ラストイヤーにスカウティングに関わった7試合で得た勝ち点は僅かに1。数字は嘘をつかないなんて陳腐すぎる表現だが、その勝ち点の数字は、自分がチームの勝利に貢献できなかったことを残酷なまでに教えてくれる。




今までテクニカルからコーチに転身した先輩が多く触れているように、スカウティングがチームにもたらす影響は微々たるものであると言われてきた。正直なところ、コーチとしてチームのレベルアップに与えられる影響の大きさを考えれば、その言説は否定できないと思う。選手へのFBは、試合で起きた個々の現象に対処するものでしかないことが多く、選手の課題の根本に最も的確にアプローチできる手段は、間違いなくトレーニングメニューの設計なのだ。



ある時、当時育成チームのコーチを務めていたこうたに「テクニカルは甘え」と言われたことがある。



本人は覚えていないだろうし、その時自分がなんて返答したかも覚えていない。おそらくまともな返事はできなかったのだろう。以来その言葉がずっと自分の中に引っかかっていた。



思い返せば、2、3年の頃は自分のスカウティングの精度を上げることで、そして4年の時は自分たちの戦い方にスカウティングを活かすことで、その説を覆そうと足掻いてきた。





1年時の練習期間を終え、2年生に進級すると、スカウティングのメイン担当を務めるようになった。先輩方と比べると、自分はメインを務める実力にはほど遠いと感じてはいたが、やらなきゃテクとして終わりだろうという気持ちでメインに入った。




最初にメインを務めた玉川戦は、正直もがきながら進んでいたら気づいたら終わっていた感じで、内容はあまり記憶には残っていない。スカウティングmtg前にあまりにも緊張しすぎて陵平さんにいじられたくらい。試合当日はボールが転がらないくらいのひどい雨で、パソコンを開いてリアルタイム分析をすることもできず、結果も0-0の引き分けと、不完全燃焼感が強かった。




そして1ヶ月後の成城戦、下位に沈む相手であり、勝利することが絶対条件だった。しかし結果は引き分け。しかも前半まで完璧な内容だったのに、後半押され続けて最後はコーナーをキーパーに押し込まれて追いつかれた。内容としては負けた気しかしなかった。自分はスカウティング担当としてベンチ入りしていたが、一切修正の手を打つことができなかった。というかそもそも何故ここまで流れが悪くなったのかが全くわからなかった。1点追い上げられたあとは、早く終われとベンチで祈っていた。



前期スカウティングした2試合を振り返ると、目の前の課題、特に相手の分析をこなすので精一杯で、自チームのことはあまり考えられていなかった。実際スカウティング内容について選手と個別に話した記憶はほぼなく、スカウティングmtgさえ終えてしまえば仕事はほぼ終わり、という感覚だった。




後期のスカウティングは前期と同じく玉川を担当した。ドヤ顔でスカウティングmtgでピッチサイズが小さいことの説明をしたにも拘らず、当日グラウンドに来てみると、手書きラインのフルピッチが出現していたというハプニングもあったが、結果的には忘れられない試合となった。もちろん良い意味で、である。




試合の流れ自体は良くなかった。前半にはセットプレーの流れからミドルを叩き込まれて失点した。それでも後半、運動量の落ちた相手に猛攻をしかけた。




後半途中にカウンターから同点に追いつき、迎えた後半アディショナルタイム。劇的な勝ち越しゴール。ミドルシュートがポストを叩き、ワンテンポ遅れてサイドネットを揺らした時、感情が爆発した。



気づいた時には選手たちの集まるコーナー付近に駆け出していた。夢中だった。陵平さんもおかぴさんもいた。気づけば昂りすぎた先輩に投げ飛ばされていた。試合が終わった後に色々な人にいじられたが、それすらもいい思い出となった。



思えば、この試合はその後のア式生活を大きく変えるものとなった。それまで生きてきた中であれほどの興奮は経験したことがなかったし、何より、ベンチ入りして選手やスタッフたちと立場を超えて勝利の喜びを分かち合えたことで、自分がチームの一員になれたような気がした。自分がア式にいる理由が、「あのような勝利をこのチームでもう一度経験したい」に固まった瞬間だった。



このような形で2年生を終え、3年になるタイミングで新しい監督がやってきた。3年ともなれば主力としての活躍が求められる一方、Jでアナリストを務めた経験を持つ新監督の下、テクとしてどういった役割を果たせるか、模索しながらのスタートとなった。



結果を先に言ってしまおう。その年自分はテクニカルスタッフとして一切、何も、役に立つことはできなかった。2年時の経験により人並み程度にサッカーを見る眼は身についたが、それは人並みの域を出るものではなく、求められる戦術理解度の基準が上がった中でアナリストとして監督からの信頼を得るなど望むべくもなかった。



最初は非常にモチベーション高くシーズンに入っていた。新監督の下初めて迎えることとなった公式戦のアミノバイタルカップ。自分は2回戦の日文戦のスカウティングを担当した。アナリストとしての圧倒的な実力を持つ駿平さんの次の担当ということで、流れに乗り損なうわけにはいかないとかなり気合が入っていた。しかし結果は1-2の敗戦。しかも自分は当日体調不良で欠席するというおまけ付き。我ながらひどいものだと思う。



しばらくして、テクニカルの代わりに追加でコーチが公式戦のベンチ入りを務めることとなった。要するにクビである。これを聞いた時、心底情けなかった。公式戦を戦う上で現状のテクニカルは必要ないと言われたようなものだ。それでも一ミリもその決定を否定することはできなかった。実際、自分がベンチ入りした時に何か決定的な仕事ができたと思えたことはなかった。責任は間違いなく自分にもあった。



それでも、何かを変えようと行動することはなかった。まるで聞き分けの良いふりをして、チームのためになる最も合理的な選択なのだろうと自分を納得させて。



気づけばシーズンインした時のモチベーションの高さは失われていた。
手を抜いていたわけではない。しかしそれ以上でもなかった。何もかも中途半端だった。



そんな弱さに罰を与えるかのように、うまくいかない試合が続いた。



セットプレー分析を担当した日文戦では、前半のコーナーキックだけでハットトリックされ、メインのスカウティングを務めたアウェー学習院戦は、退場して1人少ない相手に対して試合終了間際にセットプレーから失点して負けた。



3年の冬オフ。改めて色々考えた。それまでの1年が到底納得できるものではないことは自覚していた。「自分はなぜこの部にいるのか?」「テクニカルとしての自分の存在価値は何なのか?」と自分に問うた。



単純すぎて呆れるが、何度考えても、自分のモチベーションはチームの勝利だった。2年の時の玉川戦や帝京戦で感じたような、全身が震えるような、心の底から湧き上がってくる喜びをもう一度味わいたい。そしてそれをチーム全体で分かち合いたい。
逆にそれ以外は何も思いつかなかった。



では自分は何をすべきか?チームの勝利につながることをしよう。でも何が勝利につながるかわからない。わかんないんだったら目の前のもの、とりあえずやってやろう。



こうして4年目がスタートした。



とりあえずやれることをやろうという考えから、プレシーズンにはキーパー練の撮影を始めた。フィールドプレーヤーの理解に比べて、キーパーに対する理解はゼロに近いのは問題だと感じていたし、何より撮影に対して手を抜かないことは歴代のテクの先輩たちが常に言っていたことだった。



これがチームの勝利に対してどのくらい影響を与えられるものなのかは分からなかった。でもこの期に及んで、意味づけなんて何の意味も持たないと思った。



勝ちにつながるのか?自分の行動くらい、自分で肯定してやる。そんな気持ちだった。



もうひとつ、プレシーズンで触れておかなければならない出来事がある。



それはリーグ代表者会議のあとのこと。一緒に出席していた荒と話しているうちに、自然とチームの話になった。


盛り上がる中で、荒が話したいことがあるということで、急遽星とひかるを呼び出すことになった。



そこで荒が話してくれたことは驚きでしかなかった。詳細はここには書かないが、まさに自己開示だった。
そして、自分のことを尊敬していると伝えてくれた。
気づいたらなぜか自分まで号泣していた。何を喋ったか覚えてはいないが。




自分に信頼を置いてくれていることが何よりも嬉しかった。救われたような気分だった。
そして同時に、この信頼に応えなくてはならないと思った。



この瞬間、シーズンでどのような状況になろうと「全力」を出して、戦うのだ、と決めた。

結果的にこの出来事が、シーズン中に心が折れそうな時の支えとなった。




こうして、持てる時間の全てをア式に注ぐ4年目が始まった。
バイト、就活、講義。全て切り捨てて臨んだ。



スカウティングの初戦は大東戦。部室にこもり、かけるとひたすら議論を重ねた。映像に現れる現象を徹底的に浚い、そしてその裏にあるチームのプレー選択の約束事を探ろうとした。

出来上がったものは、昨年までのものに比べるとまだ納得のいくものだったし、mtgの後のてつさんの反応も上々だった。




結果は0-1での敗北、それでも後半は自分たちの時間帯を作れ、一定の手応えを感じる試合だった。



そして迎えた学習院戦。この試合は間違いなく降格か残留かを分ける、シーズンのターニングポイントになるだろうと予想し、気合を入れてスカウティングに臨んだ。




そして、失敗した。
思い出したくもない苦い経験だ。


強く雨の降る学習院大北グラウンドだった。どうやら自分は学習院グラウンドと相性が悪いらしい。


学習院はハイプレスからのショートカウンターが最大の強みだったこと、そして雨でピッチ状態が悪かったことから、狙いはサイドの奥にロングボールを入れることだった。



ところが、いざ試合が始まってみると、ロングボールを蹴れる形にならない。勢いに乗った相手のハイプレスは容赦なく襲ってくる。このままだとショートカウンターから失点するのは、火を見るより明らかだった。



当然何か対策を打つべきだった。打ちたかった。
何かしなくてはという強迫的な考えばかりが頭の中を渦巻き、敗北がはっきりと近づいてくることに大きな恐怖を抱いた。完全なパニック状態。ここまで物事に対して取り乱すのは、人生で初めての経験だった。



結果は2-4での敗北。3点はショートカウンターからの失点だった。



今までのどんな敗戦よりもダメージを食らった。無力感と激しい自己嫌悪に襲われた。
起こされたくない現象を理解しておきながら、それを食い止めることができなかったのは間違いなく自分の実力不足だった。そして何より、今後のリーグ戦の行末を左右するであろう重要な試合で完敗したことが堪えた。



試合当日はかなり落ち込んだが、ミスを取り返したい思いからその後は取り憑かれたようにスカウティングに取り組んだ。学習院後の1ヶ月半で横国、玉川、大東の計3回スカウティングに参加した。食事と睡眠以外のほぼ全ての時間をスカウティングに充て、作業に没頭することで付き纏う不安から逃れようとした。



特に大東はメイン担当ということもあり、過去一時間をかけたスカウティングとなった。こうたがスカウティング班に加わり、井筒を夜の11時くらいまでとっ捕まえて議論を重ねた。相手のビルドの特徴からプレスの形を綿密に設計し、トレーニングで落とし込んだ。


思い返せば、このスカウティングが最も指導陣とコミュニケーションが取れていたように感じる。3年の頃と比べると少しでもチームに関われている気がしていた。



迎えた試合当日、結果は0-6の敗戦。どうしようもないほど圧倒的な力の差があった。それでも、前半の20分くらいまでは、準備してきた戦術がハマり、逆にチャンスを作ることさえできていた。いい試合に持ち込める自信があっただけに悔しさはあったが、学習院戦に比べるとショックは少なかった。



そして最後のスカウティングメイン担当は、玉川大学。自分が初めてメインを担当した思い入れのあるチームだった。チームの降格はほぼ決まってしまっていたが、映像を見て勝利を十分に狙えると感じていたのもあり、最後のスカウティングを勝利で飾ろうとかなり気合が入っていた。



通常よりも早く映像を見はじめ、起きている時間は玉川のことを考え続けた。
例え降格を免れないとしても、勝利を、可能ならば自分の関わった試合で得たかった。


そしたら指導陣mtgの当日に発熱した。



あまりにも情けなかった。自分自身にここまで失望したことはなかった。

Zoomで井筒と話し合うなどできる限りのことをしてスカウティングを完成させたが、大きな後悔が残った。結果も選手に助けられた形での引き分け。皮肉にも、最も悔いの残るスカウティングをした試合が、今年自分が唯一勝ち点を獲得した試合となった。引き分けという結果になった、そして勝利の可能性も十分にあったことで、なおさら勝利に持っていけなかったことを悔やんだ。




最終節朝鮮戦での勝利のあと、スカウティング担当のこうたとゆうまが喜んでいる中で、冗談めかして大袈裟に悔しがって見せたが、内心で考えていたことも大した違いはなかった。何より勝ちを欲しがった、そしてそれに向けた努力を積んだ1年で、ついに勝利をつかむことはできなかった。最終節の勝利もこの上なく嬉しかった一方で、どうしても素直に受け取れない自分もいた。



結局、モヤモヤした気分は今も晴れないままだ。1年を通して振り返ればやりきったような気もするし、かといって後悔もゼロではない。



よく「過程」と「結果」なんて話がされるけど、所詮この二つは別の軸で語られるべき概念なのだろう。

そして、もしこの二つで比べるなら、「結果」が圧倒的に強いのだ。
「過程」が良いから「結果」が悪いのなんて見逃してくれよ、なんてのはただの甘えである。



長々と身の上話を話してきたが、ここで最初の問いに戻ろうと思う。
テクニカルは「甘え」なのか。



勝利への貢献という観点からみたコミット量を考えると、おそらくテクニカルよりもコーチの方が真摯にサッカーに向き合っていると言えるのかもしれない。



それでも、自分がア式に対して注いだ熱量は、コーチのそれとそれほど変わらなかったと思う。


そして、特に昨シーズンは、テクニカルがユニット全体として、チームの結果に対して責任を負おうとする姿勢が強まったように感じる。



勝っても負けても、テクニカルにどのくらいの責任があるのかはわかりづらいが、わからないことを言い訳に結果へのコミットから逃げることこそが甘えなのだろう。



前期学習院戦での失敗も、ある意味で結果に対する責任を強く感じていたからで、おそらく3年までの自分だったら絶対起きない反応だったのだろうと思う。



要するに、結果に向き合う姿勢は身に付いたが、結果を手繰り寄せる実力は身に付かなかったのだろう。
サッカーというのは恐ろしいスポーツなのだ。



これが引退後になんとなく考えていたことのまとめだ。

ネガティブな内容になってしまったが、1年の頃の何もできなかった自分を考えれば、大きく成長できたと思うし、ここまで成長させてくれたテクニカルや周りの人への感謝は尽きない。本当にありがとうございました。



  • 実況


自分の価値を模索し続けたのがテクニカルだとすれば、公式戦のlive配信での実況は、自分がこの部にいる意味を与えてくれた仕事だと言えるだろう。テクニカルとしての実力不足に悩むことの多かった自分にとっては、他の人にはできない、唯一のものとして、心の支えとなってくれた仕事だった。



入部のきっかけと同じく、実況の話が回ってきたのも偶然のことだった。



自分が1年の時、実況は4年の松井さんがメインで務め、2年のタウロスさんがサブを務めるという体制だった。ところが、松井さんがスカウティングに入り、タウロスさんが休部するタイミングが重なったのだ。



後継者が決まらない中で、たまたまタウロスさんの最後のシフトの日が自分のシフトの日で部室にいたため、話が回ってきた。(今となっては驚かれる話だが、当時はまだコロナの影響が強く残っていて、撮影シフト以外のテクは基本部室に来ないのが当たり前となっていた。)



高校の時からスポーツ実況が大好きで、YouTubeで名実況集を見漁っては暗記していた自分にとっては、魅力しか感じない仕事だったので、優柔不断な自分にしては珍しく、二つ返事で実況をやることを承諾した。



デビュー戦となったのは、実況をやると決めてから2週間しか経っていない都留文科大戦だった。当日はとても緊張したのをよく覚えている。なんせ自ら立候補したはいいものの、人前で話すことが苦手なタイプで、何十人もの人が画面の向こうで自分の声を聞いている状況で緊張しないわけがなかった。



いくらプロの実況を聞いてきたとはいえ、すぐに実践できるわけもなく、案の定ひどい出来だった。
4年になってから聞き返したが、テンションが低いわ失点シーンで無言になるわでひどいものだった。それでもこの仕事の面白さを強く感じていた。



実況の面白さってなんだろう、というのは現役の時に考えることが多かった。少し烏滸がましい表現だが、自分は、ピッチ上の選手たちと同じ目線でともに戦えるところだと思う。



実況する時に重要なことは、試合に入り込むことであって、あたかも自分がピッチの中にいるように選手たちと感情を共有するようなイメージだった。その点、常に冷静に、ピッチを俯瞰することを求められるテクニカルとは大きく異なる部分である。



実況していて調子が良いと感じる試合は、テンション高く試合に臨めている時だし、逆にうまく試合に入れていないと感じる時は、どんなに言葉遣いを工夫しても表層を掬っただけのような薄っぺらい言葉の羅列になってしまう時だった。



とは言っても、闇雲に自分の感情を外に出すだけではダメで、大抵感情に流された時は、言い回しの部分が雑になってしまう。
経験の浅かった1年・2年の頃は特にその傾向が強く、試合にうまく入れないか、感情に強く流されてしまうかのどちらかだった。



よくプレーヤーの文脈で、「心は熱く、頭は冷静に」というフレーズが使われる。この言葉を聞くたびに、自分は実況にも通じる部分があると感じていた。結局人の感情を揺り動かすのは感情で、どんな美辞麗句を並べても自分の心の底から湧いてきた生きた言葉でないと意味がない。頭の中は冷静に言い回しを考えつつ、うまくその言い回しに感情を乗せる。重要なのはそのバランスだ、と思う。熱い感情と冷静な言い回し。そのどちらが欠けても人の心に届く実況にはならないのだ。

(余談だが、選手に分析内容を伝えるテクニカルのスカウティングmtgも、これに通じると感じていたので、ある程度慣れてきたら、どの映像で何を話すかテーマだけ覚えて、言葉自体はその場で考えて話していた。)



自分がある程度納得できる実況ができるようになったと感じ始めたのは、2年の後期くらいになってからだった。
特に印象に残っているのはアウェーの帝京戦だ。明確な格上を相手に耐えて耐えて勝利を掴みとった試合だからという理由もあるが、薄暮で見づらい試合かつピッチが遠い (もちろん平面) という、実況者泣かせの状況の中で上手く試合に入れた試合だった。特に笹さんのセーブシーンは自分の中でもお気に入りの一つだ。



逆に、4年の1年間は本当に難しかった。技術の面ではかなり成長できていたと思う。海外サッカー中継で実況するフリーアナには及ばずとも、少なくともサッカーの試合に関しては、NHKや民放のアナウンサーレベルで上手く実況できる自信があった。

それでも勝てない試合の実況ほど辛いものはなかった。どんなにア式が失点しようと、テンションを落とさずに、辛さを内に押し隠してピッチの状況を伝えた。正直上手くいかなかったことも多かった。6失点した桜美林戦、ラストワンプレーでPKを献上してしまった日文戦。今年だけで何本背骨を抜かれたかわからない。そんな1年だった。



それでも最終節朝鮮戦。間違いなく4年間で1番の実況ができた。決して綺麗にまとめようと思い出を美化しているわけではない。フラットに見て、初めて自分で聞き直したいと思えるような試合だった。



特に岡部の先制ゴールのシーンは、間違いなくベスト実況だった。感情の乗せ方、文字数を意識した言葉選び、言葉を発するタイミング、間の使い方。全て納得のいくものだった。


そして試合終了間際、込み上げるものがあり、声は震えてしまってはいたが、最高の数分間を過ごさせてもらった。


このような形で、実況冥利に尽きる素晴らしい試合を作り出してくれた選手たちには、本当に感謝しかない。



4年間の実況生活を振り返ってみると、自分は本当に実況することが好きで、印象深いシーンが多く残っていると感じる。2年の時のホーム横国戦で、アディショナルタイムでのひかるさんの劇的決勝ゴールのシーンで名前を間違えたこと、双青戦でセリエA解説でお馴染みの細江さんと実況解説を組み、緊張しまくった上に京大にボコられたこと、たけびしでの双青戦で、病み上がりの中ほぼ5時間ぶっ続けでしゃべったこと、頼経やひかるの公式戦初出場シーンなどなど…



振り返ってみると、どんなシーンでもやはり、配信を見てくださる視聴者の方が大きな支えになっていたことを改めて強く感じる。4年の頃になると、ありがたいことに保護者の方などから、「いつも配信見てます」などの声をいただくことも増え、そのことが本当に自分の励みになっていた。この場を借りて、感謝を申し上げたいと思う。



拙い部分や至らない部分も多くあったと思いますが、これからの配信もぜひ応援していただければ幸いです。





  • 試合運営


公式戦の試合前、暑い日だったことをよく覚えている。観客席のベンチを置いていた松尾さんに、「都学連の仕事、引き継ぎます」と伝えた。松尾さんは少し困ったような表情で、「誰かに何か言われた?」と言った。



言われた当時は理解不能だったが、今となってはその意味がよくわかる。引き継ぎを申し出たタイミングでの想像を遥かに超えて、都学連・試合運営の仕事は色々な意味でしんどいものだった。



都学連の仕事について簡単に説明しておくと、公式戦に関わる学連とのやり取りを、一手に引き受ける役割のことだ。例を挙げると、選手の登録・エントリー業務であったり、公式戦の試合申請などだ。



簡単に言ってしまえば雑用である。実際、作業自体は難易度の高いものではなかった。しかしミスは一切許されない。この仕事を務めた先輩方の多くがfeelingsで触れているように、少しの気の緩みがチーム全体に大きなマイナスを与える可能性のある業務である。例えば、選手登録でミスを起こせば公式戦に選手は出場できないし、公式戦申請をミスすれば、最悪の場合試合自体の開催が不可能になってしまう。プレッシャーは尋常ではなかった。



かといって、業務に対してスポットライトが当たることはほとんどない。おそらく、試合運営ユニットが何をやっているかを正確に把握している人は、ほとんど部内にはいないだろう。



つまり、試合運営はミスに対するプレッシャーが多い一方、マイナスを産まないために行われる地味な仕事である。得てしてこのような仕事はモチベーションを保ちづらいものだ。自分もその部分でかなり苦しんだ。



ある程度業務に慣れてきた3年の時は、モチベーションを保つための目標として、シーズン後の優秀チームマネジメント賞の受賞を掲げた。優秀チームマネジメント賞とは、シーズンで最も優秀な運営をしたチームに都学連から送られる賞だ。自分の知る限り今までア式が受賞したことはなく、格好の目標ではあった。



ただ、結局3年の時も4年の時も受賞の目標を達成することはできなかった。どちらの年も1つのミスが命取りになってしまった。特に4年の時は、ずっとモチベーション高く臨んでいたし、ことはに加えてまおや誠二郎にも協力してもらっていたが、全く予想していないところでミスが起きてしまったので、自分の詰めの甘さを突きつけられたような気がした。



思い返せば、運営ではなかなか人に頼ることができていなかったという気がする。試合運営の業務はやれば誰でもできる一方で、細々した業務の締切を全て把握しつつ、ミスがないように的確に進める必要があり、適性が全く必要ないわけではなかった。



1人で仕事を抱え込むことによる負担はあるものの、業務に慣れていない、あるいは向いていない人に仕事を分担するより、自分でやった方が早く片付くのもまた事実だ。



実際自分は3年の途中から、御殿下での公式戦の際、準備から片付けまで毎回参加していた。理由はその方が楽だからだ。準備の時にその場にいればテントに錘が置かれていないこともないし、片付けの時にその場にいればコーナーフラッグがどこかに行くこともなかった。



ただそれは、間違いなく健全な運営ではなかった。



でも、自分には、他人に仕事を割り振り、それをマネジメントする余裕がなかった。

「自分の管轄だ」と認識した仕事を、自分の手の届くところに置いておきたかった。

もしミスが起きてしまった時、どちらにせよ自分の責任となるのならば、自分が納得のいく方法をとりたかった。



要するに、他人を信頼できていなかったのだ。



結果的に自分が担当した仕事での重大なミスは起きなかったし、適性を考えればベターな選択だったかもしれないが、ベストではなかったと思う。



少なくとも、ミスを減らすためのシステムに関してはついに作ることができなかったので、今後試合運営が健全なシステムになり、関わっている人のプレッシャーを少しでも軽減してくれるようになってくれることを願っている。




何よりも嬉しく感じたのは、ありきたりではあるが、周囲からの感謝である。こと選手登録に関しては監督から信頼してもらっていると感じることも多かった (新入生の選手登録など)し、何気ない簡単な感謝の言葉でも、言った本人にとっては些細なことかも知れないが、やはり大きなモチベーションとなった。



もしこの文章を読んでいる現役部員がいれば、ぜひ、普段意識されない部分の仕事をしている人に目を向けてあげてほしい。試合運営だけではなく、マネージャーの練習のサポートや、テクの映像撮影など、目立たないけど重要な仕事は多くある。そうしたサポートを意識しすぎて重荷に感じる必要はないとは思うが、その中で、少し感謝を伝えるといった小さなアクションを起こすことで、周りに大きな影響を与えることができると思う。そういった行動を積み重ねることで、よりチームとして成熟していけると思う。





長くなってしまったが振り返りはこの辺りにして、ここからは関わってくれた方への感謝の言葉を。



陵平さん
至らない部分も多かったと思いますが、陵平さんの下でアナリストを務められたことは自分にとって大きな財産です。プレー経験のない自分にとって、試合に臨む意識・勝ちへの執念はその後のテクニカル生活に大きすぎる影響を与えてくれました。



徹さん
人との距離感がバグってる人だという第一印象は全く変わりませんでしたが、それまで漠然としていた自分の中のサッカーに、明確な輪郭を与えてくれた存在でした。

また、試合運営でも、文句を言いながらもなんだかんだ全部ちゃんとやってくれるので、助かってました。(マネミの集合だけは毎週肝を冷やしてましたが。)

ラストイヤーの勝利に貢献できなかった、徹さんの求めるレベルのアナリストにはなれなかったかと思いますが、本当に感謝しています。




三浦さん
試合運営の場面で何度も助けていただき、ありがとうございました。マニュアルや要項など曖昧な部分に関しては毎回必ず質問してくださり、それで新たに気づくこともあるなど、感謝してもしきれないです。ありがとうございました。



杉崎さん
右も左も分からなかった自分に「アナリストとは」について最も多く教えてくれた存在でした。アナリストとして成長する上で、個人的に2年時のスカウティングmtgのFBが一番大きかったと感じています。



先輩方
色々なユニット活動を通じて本当にたくさんの先輩方にお世話になりました。特に松井さん、松尾さん、中山さん、駿平さんをはじめとしたテクニカルの先輩方は憧れであり、目標でした。上級生になってからは、自分が先輩の背中を追いかけたように、後輩たちに追いかけられるような先輩になることが目標でした。



後輩たち
向上心も高く、本当に頼りになる後輩たちばかりでした。これからのア式を頼みます。


てんすけ
3年間新歓に携わった中で、最も嬉しかったのは、間違いなくてんすけからあの長文のLINEが送られてきた時です。
入部してからも、なかなか結果のでない苦しい時間が長い中で、一番の向上心でもってまっすぐテクニカルの仕事に向き合う姿勢を見せ続けてくれたことは本当に尊敬してるし、刺激になり続けていました。ア式に入ってくれてありがとう。

来年は今年とは別のしんどさがあると思うけど、テクニカルを引っ張っていってほしいです。そして、ぜひスカウティングした試合での勝利の喜びを味わって欲しいです。応援してます。




酒井
2年続けてスカウティング班が一緒だったので、色々なことを話したと思います。今年、特に後期学習院の時とか、結構厳しいフィードバックをしてしまったかもしれません。でも酒井は今よりもっとスーパーなテクになれると思ってるので、来年、きっとア式を1部復帰に導いてくれると思ってます。期待しています。



れおな
麻布出身かつ中高非サッカー部と、自分と全く同じレア属性を持っているということで、入部以来密かにずっと応援してました。すでに自分よりもすごいスタッフになってると思うし、これからア式を1段階上のステージに持っていける力を持っていると思います。これからも陰ながら応援しています。



まお・かのこ
試合運営引き継いでくれてありがとう。ちょっと強引だったし、引き継ぎもバタバタしたのは申し訳ないです。
もうわかっているかもしれないけど、試合運営の仕事は相当しんどいと思います。努力しても生み出される成果は目に見えづらく、しかも努力というやつは予想外のミスという形で簡単に裏切ります。プラスを生むことの喜びより、マイナスを生むことの恐怖の方が間違いなく大きいです。
それでも一つだけ覚えておいて欲しいのが、間違いなく2人がいなければア式は回らないということです。
貢献について認識される機会はあまり多くないかもしれませんが、そのことに誇りを持って、これからのア式を支えて行ってくれたら嬉しいです。応援してます。



しんたろう
こっちもやや強引に引き継いでしまったので、やってくれてることに感謝です。
実況は最初からできる人はいません。でもやっていくうちにだんだん上手くなっていくと思います。個人的には、あれだけ鹿島のゴールに感情を出せるしんたろうは、きっと良い実況になるのだろうと思ってます。実況をはじめとした配信のクオリティは、ア式に残る数少ない先進性の一つなので、ぜひ頑張って欲しいです。



本当はもっと書きたい人がいますが、長くなりすぎるので書きません。でも、ここに名前の出ていない人も本当に応援しています。



同期
陰キャばっかりなんて言われてたけど、正直この代だったから最後まで走り抜けられたと思ってます。サッカーをやったことがないし途中入部だし、という自分を受け入れてくれた同期たちには感謝しかありません。浪人した甲斐があった。直接だとなかなか伝えられないので、こちらも何人かには個別にメッセージを。



こうた
今となってはその面影はないですが、1年の頃はおとなしいやつなのかな、なんて思っていました。強化ユニットって恐ろしいところですね。
間違いなく同期の中で最も深く、そして広くサッカーについて思考していたと思います。本当に尊敬してるし、いつも刺激になっていました。実は自分が試合運営の仕事を始めたのは、こうたがFBとか初めてどんどん成長していくのを見て、このままテクニカルだけやっていても、絶対にこうたには追いつけないと感じたのも理由の一つです。その点でも感謝なのかもしれません。
なぜかもう少し長い付き合いになりそうなので、これからもよろしく。



ゆうま
1年から引退までテクニカルスタッフを貫いたのは自分とゆうまだけだったということで、アウェイのveo輸送など何かと一緒に過ごしてきた記憶が強いです。
3年の時はテク長をやってもらったけど、自分のモチベーションの部分で手一杯であまり手助けできなかったのは申し訳ないです。それでも自分が引退までテクをやりきれたのはゆうまのおかげです。一緒に戦ってくれてありがとう。またJリーグ観にいこう。



井筒
まさに遅れてきた大物。2年の秋に入ってきて最後はヘッドコーチまで務めあげたのはすごいの一言です。
異常なまでの仕事量と相手の懐に入るうまさは他の人にはないもので、本当に尊敬しています。
4年の時、指導陣とテクニカルの一体感が増したのは、間違いなく井筒のおかげでした。どんなに忙しくても僕らの持ってくるスカウティングに全力で向き合い、そして時に返答に窮するような鋭い意見をくれることが、どれだけ救いになったか。それくらい大きな存在でした。「井筒を倒す」を合言葉に、夜中までゲームプランについての議論を戦わせ続けたのも、今となってはいい思い出です。ア式に入ってくれて本当にありがとう。



ひかる
FB聞いてくれてありがとう。同期が次々とAに上がっていくのを見て、もし自分以外が担当だったらと、常に申し訳ない気持ちでいっぱいで、ずっと迷いながらのFBでした。それでも自分を頼ってくれたことは本当に嬉しかったし、ゴールを取りに行くWB像を2人で追うのは楽しくもありました。
ラストイヤー、ひかるが中心となって勝ちを重ねる育成チームは自分のことのように誇らしく思っていました。ありがとう。



シーズン中、力になれなくてごめん。同期の中で一番重荷を背負っていたと思いますが、一緒に背負うことはついぞ叶わなかった気がします。それでもいつもブレずに戦う姿に勇気づけられてたし、4年のプレシーズンに自分のことを尊敬してると言ってくれたことが、1年間しんどい時の支えになってました。最高のキャプテンだったと思ってます。また飲みに行きましょう。



多くの言葉はもう必要ないと思うので一言だけ。
あの時ア式に誘ってくれて、ありがとう。



長かったこの文章ももう終わり。4年間のア式生活は、長かったような、終わってみれば短かったような。それでも最高に濃密な時間を過ごせました。



この部活に巡り会えて、本当に良かった。



サッカーを、そしてサッカーを愛する人を愛するきっかけをくれたア式に最大の感謝を込めて。



錦谷智貴

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