熱狂

宮川旭(4年/MF/武蔵高校)

 
生活の中心はサッカーだった。
サッカーに熱狂していた。
 
 
他人から見れば、東大に入ってさまざまな選択肢がある中で、大学でもサッカーを続け、週6で打ち込むなんて狂気の沙汰だと思うだろう。
 
ただ、他のことを犠牲にしている感覚はなく、サッカー中心の生活が楽しくて、満足していた。
 
 
自分のようにサッカーを楽しみたい人間にとって、東大ア式は最高の組織だったが、それは入ってみてわかったことである。
 
 
東大ア式のことを詳しく知っていて、興味を持って入部したというよりは、単純にサッカーを続けたかった。
 
 
大学4年間で練習に行きたくない日が一度もないぐらいサッカーが好きだったことは、自分の一番の強みだったと思う。
 
 
コツコツとした努力が苦手な自分が、サッカーのためなら地道な練習もきつい走りも頑張れた。
 
 
ストレッチや筋トレを頑張れるようになるまでには時間がかかってしまったが、大学4年目には練習前後に毎日入念なストレッチをしていたし、怪我をするからと避けていた筋トレも毎週必ずやるようになった。
 
 
引退してから、ストレッチは気分次第になったし、筋トレにいたっては今のところ0回である。
 
サッカーのためだからやれていたのだと改めて実感している。
 
 
好きなことのために、やりたくないことをやれる。
 
熱狂である。
 
 
 
 
 
 
 
 
サッカーへの熱狂は常にあったが、その度合いは東大ア式に入ってからより高まった。
 
 
その理由は、東大ア式でサッカーへの新しい向き合い方を知ったからだと思う。
 
 
東大ア式が目指すサッカーは、フィジカルや身体能力、ボールを扱う技術が他の大学に劣る中で、「考えてサッカーをする」ことでその差を埋める、時には上回ることだと解釈している。
 
 
確か監督にサッカーの何が楽しいか聞かれた時に、こうしたサッカーを目指すことだと答えた気がする。
 
 
「考えてサッカーをする」については、二つの方向性があると思う。
 
 
一つ目は、サッカーIQだ。
 
サッカーIQの高い選手は「ピッチの中で、状況に合わせて最適なポジションを取れて、様々な選択肢の中から最適な選択ができる選手」ととあるネット記事で定義されていた。
 
 
プロ選手を見ていると、なぜかフリーでボールを受けたり、パスを出した先がフリーだったりする。
 
 
ボールホルダー、味方、相手の状況を的確に把握して最善のポジションとプレーを選択する。
 
 
そこにはフィジカルや技術の影響は小さい。
 
 
サッカーIQは、足が速さやキックがうまさと同様に、サッカーの上手さの指標となる能力値の一つだと思う。
 
 
サッカーIQが強みの選手もいれば、課題の選手もいる。
 
 
二つ目は、試行錯誤だ。
 
東大ア式では、練習や試合の映像を撮ってもらえる。
 
 
それらの映像を見て、課題を考える。
 
 
その課題を解決するために、ピッチ内での判断の基準を少し変えてみる。
 
 
それでも改善されないようならまた別の方法を試す。
 
 
このサイクルを繰り返すことで、できなかったことができるようになっていく。
 
 
すぐに成果が出るわけではないが、東大ア式で成長した選手は日々の試行錯誤の結果、成長したのだと思う。
 
 
 
 
 
 
 
 
東大ア式らしいサッカーとはなんだろうか。
 
 
東大の頭の良いというイメージを考えるとサッカーIQの高いサッカーを目指すことなのだろうか。
 
 
他の大学との身体能力や技術の能力の差を考えると、サッカーIQというのは注目すべき要素であり、他の大学との差を埋めるために皆が最低限、ピッチ内で考えてサッカーをすることは必要だろう。
 
 
ただ個人的には全員がサッカーIQを強みにする必要はなくて、サッカーIQを強みにしたいと思った選手がその道を極めればいいと思う。
 
 
東大ア式にはそれを可能にする環境が揃っている。
 
 
東大ア式らしいサッカーとは試行錯誤の方だと思う。
 
 
まず、映像を撮ってもらえるという環境は当たり前ではない。
 
 
これは引退してから改めて感じることだが、東大ア式らしさを支えているのは映像を撮ってくれるスタッフである。
 
 
感謝を忘れてはいけない。
 
 
サッカーは点を取られずに点を取ることを目指すスポーツであり、その最終目標に向けては色々な戦い方がある。
 
 
例えば、ディフェンスラインから短いパスを繋いでボールを運ぶチームとディフェンスラインからロングボールを蹴って一気にボールを運ぶチームがある。
 
 
この二つの戦い方に善し悪しはない、価値観の違いである。
 
 
どんなサッカーを志向するかは、指導陣やどんな選手がいるか、戦う相手がどんなチームかによって変わってくる。
 
 
ただどんなサッカーをしていても試行錯誤の余地はある。
 
 
その試行錯誤の先に成長がある。
 
 
試行錯誤を繰り返して、常に成長していく過程が他の大学にはない東大ア式らしさだ。
 
 
この先、どのようなサッカーを志向するかに関わらず、この過程は絶やさないでほしい。
 
 
この過程を失ってしまったら、他大学との差を縮めていくことは難しくなるだろう。
 
 
成長して、やれることが増えていくことは、サッカーの楽しみの一つだ。
 
 
この楽しさを感じつつ、東大ア式らしいサッカーを体現していって欲しい。
 
 
 
 
 
 
 
 
ここからは東大ア式での自分の話をしようと思う。
 
 
自分は日々の試行錯誤を大事にしてきた。
 
 
フィジカルと技術が足りなくて、サッカーIQに縋り、サッカーについて探求したものの一人である。
 
 
1年目
 
中盤でボールを受けて、少ないタッチで周りにボールを繋いでいくプレースタイルは、当時の東大ア式のサッカーにあっていたようで、1年目から少しだが試合で使ってもらった。
 
 
京都大学との伝統の一戦である双青戦に出場させてもらい、スタジアムのスクリーンに大きく名前が映し出され、クリアアサヒのCMのメロディに合わせた個人チャントとともにピッチに送り出された瞬間は今でも忘れられない。
 
 
当時の自分の実力と周りの上手さを考えれば、出来過ぎな年だった。
 
 
練習の強度は4年間で一番高く、基準を知れたという点でもその後に生きる貴重な経験をさせてもらった。
 
 
 
 
 
2年目
 
プロの映像を参考にし始めた。
 
 
最初はプロのプレーに対して、その効果を考えた。
 
 
プロの動きを観察していると、そのポジショニングやプレーの選択が合理的なものであることがわかる。
 
 
相手が体の向きやスピード的に絶対にプレスにいけないタイミングでのポジショニングやプレー、相手の動きによって生まれるスペースへのプレーはきれいなものである。
 
 
そして自分のプレーをみる。
 
 
プレーの善し悪しがある程度わかるようになる。
 
 
良いシーンに対して、何が良かったのかを考える。
 
 
悪いシーンに対して、どうすればよかったかを考える。
 
 
戦い方に善し悪しはないが、一つ一つのプレーには正解の方向性が存在する。
 
 
その基準を獲得するためにプロの映像をとにかく見た。
 
 
サッカーIQを強みにしない場合でも、この基準が、自身のプレーを改善するための基準になる。
 
 
そのため、自分のプレーの善し悪しがわかり、改善の方向性を見出せるようになる程度のサッカーの理解度は最低限身につけなければならない。
 
 
大学4年間で1番、プロの映像を見ていた時期だ。
 
 
サッカーの新しい面白さを体感した。
 
 
 
その一方で、プレーの方は散々だった。
 
 
散々だったというかプレー自体できていなかった。
 
 
プレシーズン、アミノバイタルカップまでは、スタメン争いをしながら度々スタメンでも使ってもらい、開幕スタメンで出れるとさえ思っていた。
 
 
しかし、アミノバイタルカップに敗退し、いよいよリーグ戦という時に、捻挫した。
 
 
捻挫自体は、接触によるもので避けようがなかったが、その後の対応が良くなかった。
 
 
週末に高校のサッカー部の同期と旅行の約束があった。
 
 
高校のサッカー部同期はほとんどが浪人で、実質卒業旅行みたいなものだった。
 
 
歩かなければ大丈夫だと思った。
 
 
甘かった。
 
 
大学4年間で後悔があるとすれば、この旅行にいったことだろう。
 
 
捻挫の痛みは続いた。
 
 
1ヶ月経って、スプリントはできるけど、ジョギングだけが痛いというやるせない日々が続いた。
 
 
治る気配がなかったので、痛みに耐えながら、練習に参加し始めた。
 
 
結局、痛みは2ヶ月ほど続いた。
 
 
そんな状況の中でいいプレーができるはずもなかった。
 
 
そして、そこからは負の連鎖だった。
 
 
グロインペイン症候群になった。
 
 
大層な名前がついているが、股関節周りの痛みや違和感の原因が特定できない時に診断される病名だ。
 
 
東大ア式では、流行り病との噂もある。
 
 
痛みが出た時にそれに対処を行っても、痛みに至る原因を解決しないとまた怪我を繰り返す。
 
 
自分はその典型のように筋肉系の怪我が続いた。
 
 
怪我自体は軽いもので、1ヶ月ぐらいの離脱だったが、怪我して1ヶ月で復帰して、その後1ヶ月プレーしてちょうど調子が戻ってきたところでまた怪我をするという負のサイクルに陥っていた。
 
 
毎日、朝起きて、ベッドから降りるたびにどこか痛いところがないか心配しながら着地した。
 
 
少しの痛みが出ると気になってプレーに集中できなくなっていた。
 
 
そんな状況で成長できるはずもなく、停滞した年だった。
 
 
サッカーへの理解だけが深まって、それをピッチで体現できなかった。
 
 
ただ、その中でもサッカーを楽しめたのは、サッカーを知ることに楽しさを見出せていたからだろう。
 
 
結局、ほとんどリーグ戦の出場はなく、2年目を終えた。
 
 
4年生の引退で泣いた。
 
 
その年のシーズンを振り返って、何もしていなかったと思ってしまった。
 
 
悔しかった。
 
 
これからLBでこの時の4年生とともにプレーできることを密かに楽しみにしている。
 
 
 
 
 
3年目
 
去年の反省を生かし、怪我をしないことを第一に考えた。
 
 
ただ悪い方向に向かってしまった。
 
 
練習での出力を弱めるようになった。
 
 
怪我をしそうな週は練習に入る回数も自分で調整して減らした。
 
 
ただ新監督になって、新しいことを色々教わり、周りが急激に成長する中で、自分の成長速度が遅いと感じていた。
 
 
サッカーにおける成長は線形ではなく、急激にくる。
 
 
印象に残っている先輩の言葉だ。
 
 
しかし、この時の自分の成長は緩やかな線形だと感じていた。
 
 
出力を弱めた結果、怪我はほとんどしなくなった。
 
 
怪我しかけの段階で休むようになったので、当然である。
 
 
その結果、序盤のリーグ戦では、最後の数分での出場が主ではあったが、コーナーキックで点に絡んだりもしていて、自分の役割を見つけたようだった。
 
 
しかし、出力を弱めた悪影響はリーグ戦中盤で現れた。
 
 
6/17前期玉川戦、色々あって右SBスタメンで出場した。
 
 
前半、1-0で折り返した。
 
 
全く気の抜けない状況だった。
 
 
後半が始まった。
 
 
攣りそうだった。
 
 
そんなわけないと思った。
 
 
そのままプレーを続けた。
 
 
7分後、両足を攣った。
 
 
動けなかった。
 
 
立てなかった。
 
 
情けなかった。
 
 
今までのサッカー人生で、試合終盤に攣ることはあっても後半開始直後に攣るなんてことはなかった。
 
 
というかどんなサッカーでもそんな人見たことなかった。
 
 
3年目の後半には、練習での出力を出せるようになり、成長も感じていた。
 
 
特に守備の面で、線形的な成長ではなく、急激な成長を感じていた。
 
 
謎の攣りが判明してからも何試合か使ってもらった。
 
 
ただ最終節までこの謎の攣りは治ることはなかった。
 
 
最終節に至っては、4年生にいいバトンを繋げて、逆に良かったのかもしれない。
 
 
監督も後半開始直後に攣って、交代枠を一枚使うのが確定していた自分を何試合かスタメンで使ってくれた。
 
 
自分が監督だったら絶対に使っていない。
 
 
その分、自分のミスで負けたと言っても過言ではない学芸戦はせっかく信頼して使ってくれたのに申し訳なかった。
 
 
悔しいより、申し訳ないという気持ちだった。
 
 
 
ピッチ外についていうと、プロの映像の見方は少し変わった。
 
 
2年目を経て、プレーの善し悪しがわかり、自分のプレーを振り返って見て、どうした方が良かったというのはある程度わかるようになった。
 
 
ただピッチ内は思考時間が限られており、ピッチ外で考えていることを実際にピッチ上で実行できるかはまた別の問題だった。
 
 
そこで、プロがどうしてそのプレー選択をするのかを推測しながら映像を見るようになった。
 
 
実際にプロが何を基準にしてそのポジション、プレーを選択しているのかはわからない。
 
 
実際は全く考えていないかもしれない。
 
 
ただ自分がプレーする上で、プロと同様の選択をできるように、ピッチ上で判断できる基準を探した。
 
 
それによって、試行錯誤のサイクルをよりスムーズに回せるようになっていた。
 
 
それが3年目の後半で成長できた一因だ。
 
 
 
 
 
4年目
 
3年目は、スタメンで出たとしても周りの選手が試合を作ってくれている中で、プレーさせてもらっている感覚だった。
 
 
試合の勝敗とかは全くイメージできていなくて、とにかく自分のやれることをやろうという感じだった。
 
 
代が変わり、去年の主力が一気に抜け、自分はチームの中心となる、ならなければいけない立場だった。
 
 
後半開始早々に攣ってしまうのは絶対に避けなければならない、そう思っていた。
 
 
自分では自覚していなかったが、先輩と一緒に試合に出ることに無意識のうちに緊張していたのだろうか。
 
 
色々と試合前の過ごし方を変えてみたからだろうか。
 
 
代が変わってからは、すっかり治っていた。
 
 
理系にはあるまじきことに、一気に色々変えすぎて、実際にどれが効果があったのかわからなかった。
 
 
攣らなくなるという触れ込みの怪しい塗り薬を最終節までやめられなかった。
 
 
疲労をとるために行っていた前日の銭湯が原因でなかったことだけは願いたい。
 
 
3年目の怪我に対する意識の高まりのおかげか、筋肉系の怪我もほとんどなかった。
 
 
ピッチ内も3年目までの蓄積で、試行錯誤のサイクルを確立出来ていたからか、日々成長し、ずっと調子が落ちないような感覚だった。
 
 
個人としては、怪我も少なく、継続的にプレーでき、成長を常に感じられ、試合もたくさん出られた。4年目にして、ベストなシーズンを送れた。
 
 
 
しかし、それとは反対にチームは上手くいかなかった。
 
 
もともと自分たちの代は他の代と比べて、人数も少なく、実力も足りていないということは自覚していた。
 
 
厳しいシーズンになることは覚悟していた。
 
 
ただ心のどこかで、闘えるのではないかと思っていた。
 
 
全く勝てなかった。
 
 
しかも勝てる気のしない試合が続いた。
 
 
昔からチームを引っ張ることは考えてこなかった。
 
 
自分が上手くなるのが第一目標で、自分が上手くなればチームも強くなると信じていた。
 
 
東大ア式に入って、サッカーの理解がある程度深まってからは、自分のイメージ通りにボールが動いていくことに快感を感じていた。
 
 
一つ一つのプレーに楽しさを見出していた。
 
 
ボールをもらっていない時のポジショニングさえ、楽しさの対象だった。
 
 
サッカーを追求するうちに試合の勝敗よりも自分のイメージ通りのプレーをすることが目的になってしまっていた。
 
 
おこがましいことに、あれだけ勝ちが欲しかった最終節でさえ、相手のレッドカードにほんの少しだけ落胆してしまった。
 
 
もちろん勝負事である以上、勝ったら嬉しいし、負けたら悔しい。
 
 
これはサッカーを始めた時から変わらない。
 
 
勝ちを目指さなかった試合なんてない。
 
 
それが根底にはあるが、他の人よりも試合の勝敗による感情の揺らぎは少なかった。
 
 
試合後、井筒と何が悪かったのかピッチ内とピッチ外からの視点をすり合わせる。
 
 
そして、グラウンドを出る頃には、次の練習に意識が向いていた。
 
 
このようなスタンスだったからこそ、サボったりは絶対してはいけないと思ったし、誰よりも闘わないといけないと思っていた。
 
 
周りからどう見えていたかわからないが、そういったことを指摘されたことはほとんどなかったと思う。
 
 
 
自分のスタンスが正しかったのか、間違っていたのかはわからない。
 
 
4年目に一番成長できたことを考えれば、正解だったかもしれない。
 
 
降格というリーグ戦の結果を考えれば、間違いだったかもしれない。
 
 
それは終わった今でもわからない。
 
 
もっとチームに影響を与えられるような選手になっていたら、結果は変わっていたかもしれない。
 
 
もっとみんなとチームのことについて話していたら、何か変わっていたのかもしれない。
 
 
ただ四六時中サッカーのことを考え、最後まで上手くなろうともがいた大学生活は、まさにサッカーへの熱狂だった。
 
 
 
 
 
 
東大ア式での4年間、部のためになるような活動は最低限しかしてこなかった。
 
 
生粋のtakerである。
 
 
そんな自分はリーグ戦の結果で貢献しなければいけなかったが、結果は残せなかった。
 
 
結局のところ何も残せていない。
 
 
今はOBコーチとして、東大ア式に関わる機会をもらっている。
 
 
東大ア式の部員が少しでもサッカーを楽しみ、成長し、リーグ戦で結果を残せるような手助けをして、少しでも返していけたらと思っている。
 
 
 
ともに熱狂しよう。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
てつさんへ
 
誰がなんと言おうと、最高の監督でした。最後に教わった監督がてつさんでよかったです。勝ちという結果はなかなかついてこなかったけど、てつさんと理想のサッカーを目指して闘った日々は、自分にとってかけがえのないものです。最終節は初めて他人のために勝ちたいと思った試合でした。勝てて本当によかった。
てつさんはこれからもサッカーに関わり続けていくのだと思います。どんな場所であれ、サッカーを楽しみ、愛し続けてください。
 
2年間、本当にありがとうございました。
 
 
 
オカピさんへ
 
最初に考えてサッカーすることの楽しさを教えてくれたのは、オカピさんです。2年前、終電まで残って紅白戦や週末の試合を振り返っていた日々は、間違いなく今の自分に繋がっていると思います。
オカピさんのギュンドアンのプレー集には、最後までお世話になりました。
 
最終節、見てくれましたか。
上手くなりましたよ。
 
 
 
吉本先輩へ
 
自分が知る限り、最もサッカーを愛し、東大ア式を愛していた選手でした。そんな吉本先輩の近くでサッカーができたことは、常に近くにお手本がいるようなそんな感覚でした。吉本先輩が一つの目標として、道を示してくれたことで、迷わずに最後まで突き進むことができました。
 
これからも武蔵、東大ア式の先輩として、何卒よろしくお願いします。
 
 
 
荒へ
 
最初に会った時に、こんな上手い奴と一緒にサッカーできるのかと思って嬉しかったです。いつか荒を越えたいとずっと思っていたけど、荒も色々な面で成長していって、結局、全く追いつけなかったです。調子が悪くても、周りへの影響を考えると外せない、本当に凄い選手になっていたと思います。
感謝したいこと、謝りたいことはたくさんあるけど、いつか直接伝えたいと思います。
 
シュワーボでの活動は決して簡単じゃないと思うけど、荒がどのくらい通用するのか楽しみです。応援しています。
 
一回言ってみたかった。
頑張れ荒、お前がナンバー1だ。
 
 
 
ベッチへ
 
俺の東大ア式生活はベッチなしでは語れません。育成でも、Aでも、ベッチが褒められるのは、自分のことのように嬉しかったです。ベッチの観客を沸かせるプレーはずっと好きだったし、もっと発揮させてあげたかった。最終節で出来過ぎぐらいのゴールがあったけど、本当は一回と言わず、何回もやりたかったな。
それでも最後の年にベッチとともにたくさんの試合に出られたことを嬉しく思います。
 
これからも一生よろしく。
 
 
 
井筒へ
 
一人で見るのも好きだったけど、井筒とサッカーを見る時間が一番楽しかったです。4年目は、指摘してくれる人が少なくなった中で、こちらこそいい刺激をもらっていました。練習中も試合中もリアルタイムで意見をくれるのは、本当に頼りになりました。井筒がいなかったら、チームは回っていなかったと言えるぐらいの働きだったと思います。
 
これからは俺の友達たちをよろしくお願いします。
 
 
一個下へ
 
長田、げんと、髙木、誠二郎をはじめとして、友達っぽい人が多い代です。結構みんな好きです。こんなに後輩と仲良くなるとは思っていませんでした。
今は色々な立場の人がいると思います。後悔がないようにするのは難しいと思うけど、後悔が少なくなるように日々全力で頑張ってください。
 
誠二郎はまだまだガキなところがあると思うので、みんなで支えてあげてください。
 
サッカーのことならいつでも相談乗ります。
 
 
 
二個下、三個下へ
 
上手くて、いいメンタルのやつが揃っていると思います。これからどんな選手になっていくか楽しみです。
その分、降格させてしまって本当に申し訳ない。一年で昇格して、みんなが一部で活躍している姿を見るのを楽しみにしています。
 
池戸の得点にベットしておきます。
 
 
トレーナーの皆さんへ
 
万全な最高の状態で最終節を迎えられたのは、皆さんのおかげです。
本当にありがとうございました。
 
東大ア式の選手は準備やケアの仕方がわからない人が多いと思います。
これからもサポートしていってもらえると助かります。
 
 
 
テクニカルの皆さんへ
 
毎日、撮影ありがとうございました。その映像がなければ、自分がここまで成長できることはなかったです。テクニカルの皆さんのサッカーにかけている時間は選手の想像よりも遥かに多いと思います。自信を持って、選手に意見していってください。
 
これからも選手が成長できる環境を作っていってください。
 
 
 
両親へ
 
アフェーの送り迎えなど、今年もお世話になりました。サポートの面でもたくさんお世話になったけど、一番は両親ともにサッカーを好きでいてくれたことです。リーグ戦はほとんど見てくれたし、自分が出ていない時でさえ応援に来てくれていましたね。それなのに、リーグ戦から帰ると、いつもテレビでライブ配信を振り返っていたのは正直驚きでした。見過ぎです。
 
これから俺の友達たちが活躍すると思うので、一緒に東大ア式を応援できたらと思います。
 
とりあえず、一つの節目として、いままでありがとうございました。

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