さよなら四年生

我らア式蹴球部の100年目を背負った精鋭14名。
100年目を彼らが紡いでくれたおかげで、101年目の歴史を作れることになった。
1918年は大正7年らしい。第一次大戦が締結され、原敬内閣成立し、東京女子大学創立したメモリアルな年である。
いやいや全く実感がわかない。いつやねん。




ほんまに。




いつやねん。




流石にここでは終わらない。半年以上あたためつづけてた、What I felt.





昔すぎることはわからない。ただ、もう過去の人たちとなった2個上や三個上の人達が四年間もがき続けながら繋いでくれたことには頭があがらない。ありがとうございます。


東大に入ってまでサッカーに打ち込むこと、それはプロを目指し、サッカーを人生の指針にすることではないため、夢に向かって猪突猛進するという素敵なことではない。

それを痛いほど身にしみながら、自らが成長しているのかもわからないまま四年間サッカーを続けることはどんな感じなんだろう。

うん。きつい。
まして俺はうまくない。


うん。やめたい。やめて、東大ブランド活かして社会で一発あてたらぁぁ!!!


危ない危ない。危険思考。


二つ下の学年から、今年の四年生を見ていて感じたのは、彼らのサッカーへの姿勢である。

ある人は、勝負。
ある人は人生。ある人は、惰性。ある人は、娯楽。ある人は、プライド。ある人は、塵も積もれば山となる。
とにかく個性的な人だらけの代でその姿勢はみんな完全に我が道を突き進んでいた。


でも誰も腐っている人はいなかった。あの腐っていた組織の中でも、彼らの腹にくくった一本の槍は決して折れることはなかった。ゼフの親父さん、、

そしてその槍が、中沖隼という男の元に集まったとき、瞬く間に同じ方向を向く。僕なんてついて行くだけで精一杯だった。ついて行っただけで、2部優勝のプレゼントをくれた。そんな感じ。

とにかくかっこいい代だった。
ほんとにかっこよかったです。





大学生なんて、結局は人生の休み時間なんじゃないかなって最近思います。沢登さんには伝えましたが、最近ニヒリズム(虚無主義)に陥っているのが僕です。

休み時間なんだから、ゆったり過ごせばいいじゃないか。我慢して週6で部活なんて。



でも、そうするからこそ、得られるものがあるとまたきづかされました。ほんとにアシキの門を叩いてよかった。本気でサッカーをするからこそ出会えた頼れる先輩方です。これからもよろしくお願いします。


この、What I felt 最後にはこれから一緒にサッカーをする人への気持ちも書かなければ、意味がないというのが僕の考えです。ですから、これからのみんなにも最近僕が思ったことをかきます。


それは、去年うまくいった。だからといって去年の幻想を追い求めすぎないこと。

去年はあれほどのキャプテンシーがある男がいたからうまくいった。

あの場面ではあの人がああしてくれたから、点が入った。失点を防げた。


新チームが始まって、みんなの頭の中に出てきたことだと思います。

でもそれは結果から見た話。


何事も決断するときに結果なんかわからない。

チームとは人だと、僕は思う。
人が変わればチームがかわる。
チームが変わったら、やり方も変わっていいと思う。譲っちゃいけないのは自分たちの手で進むという部分だけ。


去年はああやってチームの舵を決めていた。


ああいう雰囲気を作っていた。

去年あの人がああやってたから自分もそうしなきゃ。

これは自分達の可能性を狭めるだけだと思います。

このチームの最適解をみつける。
そしてその解を正解にするのが来年の一部での闘い。頑張りましょう!!


さて、引退した四年生はどんな道にすすむのでしょうか??楽しみですね。就職先とかオープンにしたら親御さんたちも東大アシキ蹴球部に興味をもってくれるのではないでしょうか??

どこまでいってもインサイドパス
2年、内倉

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