決断の時

ア式蹴球部に所属して約1年。もうそんなに経つのか。歳を食うと時間の流れが速くなるというのを実感する。まだ19歳だけど。
この1年間で俺は、東大生として、ア式蹴球部員として、何をやってきたのだろう。
勉強はちゃんとやれたのかな。振り返ってみると、頑張ったはずなのにあんまり頭に残っていない気がする。1年間なにやってんだか。春のうちに復習しとかないと。
サッカーはそこそこ上手くなった気がする。でも正直そこそこ止まり。劇的に何かが変わったわけでもなく、コンバートで才能が開花したわけでもない。

…書き起こしてみると、なんというか中身のない1年間にしか思えなくて、後悔の念が募る。

さて、この1年を踏まえて、最近の悩み事のことでも書いていこうかと思う。

まず、ア式蹴球部員がやらなければいけないことは次の3つで言い尽くされる。
その1
自分の持っているリソースを消費して、部の活動に貢献すること。
その2
ア式蹴球部の持っているリソースを消費して、自分自身の成長に努めること。
その3
ア式蹴球部に所属し活動することが自分にとってベストか否か考え続けること。


このなかで、その3についてが今回の肝だ。

ア式蹴球部に所属することがベストか否かを判断する基準は多岐にわたる。そのなかでも自分が重視している基準は、納得いくだけのリソースを割けるかと、feelingsでもおなじみ機会損失の2つ。

まずはリソースの割き方について述べよう。
当たり前だが、自身の成長を達成するには自分の持っているリソースを費やさねばならない。ほっといてサッカーが上達するはずがない。さらに上記その1の通り、部の活動を維持・発展させるためにも自分のリソースを割かねばならない。

熱量を欠いて練習に参加することが自分自身にとって無駄な行為であることは明白であり、さらに練習のクオリティを下げることによりチームメイトに迷惑をかけることになる。練習を計画してくださるコーチ陣に失礼であるし、練習を補助してくれるスタッフ陣の行為を無下にすることになる。

十分なリソースを割けないまま部に所属することは、まさに百害あって一利なしである。

ところで、自分はア式蹴球部員としてサッカーに取り組む一方で、サッカーだけをやっているわけではない。というよりも寧ろ、俺はあくまで学生であって、その余暇でサッカーをやっているにすぎない。つまるところ、俺のリソースはサッカーよりも学業に多く割かれるべきであるし、自分もそうでありたいと思っている。

そもそも自分が東京大学を志望した理由というのが、建築の勉強をするにあたって、東京大学が最高峰であるから、というものだった。
教養学部にいる今はまだしも、建築学科に進学するであろう(出来なかったらどうしよう…)2年秋学期からは、より学業にリソースを割きたいと思うだろう。

そうなったとき、自分の持つ全リソースのうち学業や日常生活にあてる分を除いた、残りのリソースは、ア式蹴球部に所属し活動するのに値するのだろうか。






さて、もう一つの基準である機会損失について自分の考えを述べよう。

機会損失を考慮するとは、雑に言ってしまえば、おまえ本当にサッカー向いているの?と自問自答するということだ。
サッカーに費やしている様々な自分のリソースを他のことに回せば、もっと成果が出せるかもしれない。リソースの費やしどころはよく考える必要がある。

この1年を振り返ると、どうやら自分はサッカーに向いていないらしい。今の実力を顧みても、1年間の上達具合を顧みても、否定し難い。育成チームの最下層、怪我人やカテゴリ移動で欠員が出たポジションをぐるぐる回って試合に出してもらう始末。

努力が足りないのか。それはそうなのかもしれない。俺より巧い人たちがどれほどの努力をしているのか、その全容を知ることはできないが、相当なリソースをつぎ込み努力を重ねていることに疑いの余地はない。
一方で、努力が足りないという台詞は、機会損失を拡大させる悪魔の呪文にもなりえる。物事で期待するだけの成果を生み出すために必要な努力の量を、予め知ることはできないからだ。努力は決して万能ではない。

努力の量なのか、方向性なのか。そもそもサッカーをこのまま続けていっていいのか。もっと適性のある何かを探した方がいいのではないか。




正直に白状しよう。
どうにも今の自分には、ア式蹴球部に所属し活動することがベストとは思えないのだ。

サッカーが好きだと思う気持ちに嘘はない。どう転んでもサッカーは続けるに違いない。
しかし、上の2つの基準に照らすと、このままア式蹴球部に所属し続けることは悪手にしか思えない。
好きなことをみすみす手放したく無い。ア式蹴球部の環境は、自分が喉から手が出るほどに欲していたもののはずだ。
もっとサッカーが巧くなりたい。試合に出たい、勝ちたい。あの淡青のユニフォームを身に纏って、ピッチで躍動したい。
どれも本心だ。

しかし、好きだから、憧れているからというだけではやっていけないことを理解する程度には大人になってしまったのも事実だ。人生全体を見渡して、合理的な判断を下すべきだという声が、どこかから聞こえてくる。



あ――もう!! わけわからへんわ!!




そう叫びたくなってくる。我が家の壁は薄いため、実際に叫びはしないが。

ぐるぐるぐるぐる思考がループして、最善手が一向に見える気がしない。どっちを選択しても納得がいきそうにない。



そもそも機会損失ってなんだ。もしサッカー以外のことに注力したとして、もしそこで結果を残し、名を挙げたとして、それは大学4年間サッカーに食らいつくことよりも価値あることなのか。たとえ応援席から出られずに辛酸を舐める結果に終わったとしても、胸を張って良い大学生活だったと言えるだろう。いいだろう、ア式蹴球部に4年間捧げてやろうじゃないか。

こう開き直ってしまえたらいいのに。自分はそうはできないらしい。




というわけで、表題の回収をしよう。

「決断の時」は双青戦。つまりはちょっとした先延ばしだ。

その理由は開催時期と試合の性質。

まずはその開催時期。前期リーグが終わった後、そして夏学期がちょうど終わる頃に、双青戦は開催される。
今の自分の実力を顧みると、前期リーグへ絡むことはあまりに現実と乖離している。まずはサタデーリーグで出場機会を得ることからやっていくしかない。そうすると、双青戦は前期リーグ戦期間中の成果を発揮する絶好のタイミングとなる。また、後期リーグ、さらには次のシーズンに試合に絡めそうか、出来を見定める機会でもある。さらに、夏学期の終わりというのも、秋学期からも部活に対して十分なリソースを割く余地があるかを判断するのにうってつけの時期である。

続いて試合の性質。普段、育成チームの選手は公式戦に絡むことができないが、この時ばかりは話が変わる。双青戦は選手全員に出場機会が与えられる公式戦である。育成チームのみならず、トップチームのコーチ陣へも明確なアピールができる場となる。加えて、一軍戦・二軍戦・三軍戦と銘打たれ、自分のいる位置がはっきりする試合でもある。



双青戦までにやらなきゃいけないことは多い。
サッカーを勉強する。身体を鍛える。自分の身体について知る。ピッチで自分を表現する。自分の正規のポジションで試合に出る。点を獲る。試合に勝つ。
線形代数と力学の復習をする。建築学科に進めるだけの点数をとる。たくさん本を読み、学びを深め、知識を蓄える。
上手い時間の使い方を身につける。自分のリソースそのものを増やす。


もう既にキャパオーバーしそうな予感がする…。
がしかし、だからって手を抜くわけにはいかない。


ここからの半年は、どちらに転んでも意義のあるものにしたい。
続けるなら、その先の自信へと繋がる6ヶ月に。
続けないなら、やりきったと納得させてくれる6ヶ月に。

そして、双青戦の頃になって、こんなfeelingsを書いたことを綺麗さっぱり忘れるぐらい、学業とサッカーに没頭できていられたら、最高だ。

気張っていこーぜ、俺。




実は本郷キャンパスから三鷹寮はチャリ圏内(個人の感想です)
新2年 大田楓

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