もう一度

今年度東大ア式蹴球部女子部に入部しました、1年永田怜音です。
受験期に読んでいたfeelingsを書かせていただいて、とても感慨深く、そして光栄に思います。
 
 
静岡県の人口10万人ちょっとしかない田舎に19年住んでいた私にとって、
東京はものすごく疲れる。
 
政令指定都市の浜松に高校から通学するようになった時も、慣れるまで2年かかったのだから、いったい何年経ったら慣れるのだろうか。
 
上京して1ヶ月は毎日足と目が痛くなり、帰宅後は速攻でベットに倒れ込んだ。
 
階段多すぎ。
見たことないものばかり、見たことない人ばかり。
小学生が電車に乗っている。それすらも違和感だった。
(小学生の時友達と子供だけで電車に乗るのには保護者同士の電話会議があった。)
 
 
そして、東大の異次元に賢い人たち、運動もできる人たち、コミュ力高い人たち。
そんな中で自尊心もどんどん削られ、
 
ちゃんと五月病にかかって、入学して4ヶ月経った今、やっと心身が落ち着いた。
そしてこのfeelingsに着手した。
 
ア式に入部した経緯について、自分の頭を整理するためにも綴ろうと思う。
 
 
私は大学からサッカーを始めた。本格的にって言った方が正しいのかもしれない。
友達に何でサッカー部に入ったのって聞かれたら、
楽しそうだからと適当に流しているけれど、それもあるがそれだけではない。
 
 
 
私にとってサッカーは逃げ場だった。
 
小さい頃から集団に馴染むのが苦手で、学校は私にとっては苦以外の何ものでもなかった。集団のために自我を押し殺して、“いい人”でいる事を強制されている感じがずっとあって、友達がいないわけじゃないけど、仮の自分を演じ続けるのはしんどかった。
 
でもサッカーをしているときだけは、違った。
他人の事なんて考えず、夢中に自分の世界に入り込めた、不思議だった。
誰からの目線も気にならなかった、ただ眼前のボールを追っていた。
 
なぜか分からないけれど、自分でいられるような気がした。
ありのままでいい事を肯定されている気がした。
今を今のためにありのままに生きる、そんな“生“の感覚は私のとってサッカーをしている時だけだった。
 
サッカーは私にバイタリティをもたらし、いろんな人と繋げてくれた。
体育がサッカーの授業の時は学校が楽しみだった。
言葉も目的もいらなくて、ただ、1つのボールをゴールに入れることだけを目指す、そんな時間が大好きで、
小学校高学年の時は、公園で木と木の間をゴールにして、5時のチャイムが鳴るまで
友達とサッカーで遊んでいた。
 
 
でも中学でみんなが各々部活に分かれると、当然そういう時間もなくなり、
私はなんとなくバスケ部に入った。
厳しい上下関係、怖い顧問。(どうかこれを見つけませんように。)
バスケをうまくなりたいというより、顧問や先輩に怒られないように
練習していた。
最後の公式戦で1ピリ目で捻挫をし、そのまま引退となってしまったけれど、
全然悲しくなかった。
 
同期のことは好きだったし、今でも仲がいいけれど、バスケの練習自体
1度も楽しいと思ったことはなくて、スタメンに入っても喜べず、常に早く辞めたいと思っていた。自分が失敗すれば、全体に迷惑がかかる、そして怒られる。そんな失敗への恐怖心からチームスポーツは2度とやらないと誓った。
 
 
だから高校では、チームスポーツも、競争もしたくないという理由で、山岳部に入った。2年の頃には40人くらいの部員をまとめる部長も務め、南アルプスも縦走して、いい仲間にも出会って充実はしていたし、入ったことに後悔はない。けど、どこか物足りなさを感じていた。易きに逃げているような罪悪感がした。
このままでいいのか、という思いがあった。
メンタルは安定していたが、ゾクゾク心が動くことはなかった。
 
 
 
小4の時の担任の先生に
将来はなでしこジャパンだね
と言われたのがいつも頭の片隅にあった。
もちろんお世辞だとわかっていた、でも
 
あの頃が一番輝いていた。それは事実だった。
 
 
大学受験勉強のモチベが上がらず、高三の9月まで学祭と体育祭の幹事をやって行事にかまけていた自分は
東大を狙える学力ではなかった。
 
でも、将来のことを考えるのが嫌で、大学調べもめんどくさくて、
けどプライドは一丁前だったから東大にしておいた。
 
塾でモチベが上がらない時にたまたま部活を調べて
東大に女子サッカー部があることを知った。
 
衝撃だった。
 
中学にも高校にも女子サッカー部がなかったし、
東大と女子サッカーは相容れない気がなんとなくしていたからなのかもしれない。
 
サッカーは今後する機会はもうないと思っていた。
 
 
最後のチャンスだと思った。これを逃したらいけないと思った。
 
だから、チームスポーツはもうやらないと決めていたのに、
その時にア式に入ることを即座に決めた。
 
そして今に至る。
 
 
ディフェンスではバスケと似ているところもあり、常にマークを視界に入れながら、いつでもヘルプに入れる位置にいるように位置を調整するとか、
 
攻守の切り替えを速くするとか
 
あの頃の苦い経験は今のためにあったのかもしれないと思うと、過去の先輩や顧問に感謝できる気がする。
 
 
 
不運にも入部2ヶ月で怪我をした。2年の運動ブランクが空いていたのが大きいのかもしれないけど、今までで一番重症だ。
 
正直すごく悔しくて、このままずっと治ってくれないんじゃないかと考えると怖くなるし、
サッカーを続けられなくなったらどうしようとも考えてしまい、たまにものすごい不安に襲われる。
 
 
でも、バスケ部時代、サボるために怪我したいとさえ思った自分が、
今こうして怪我をして、すごく悔しいと感じているのは
 
それだけサッカーが好きなんだなと思って、
自分にもこんな好きなことがあるっていうことを知れたのは嬉しい。
 
 
 
それに、練習できない間、ボールと足元で戯れてると、小学生の頃に戻った感じがするのだ。
初めは、ボールが上手く操れないけど、
しばらく触っていると、体の一部になったように思い通りに転がってくれる。
そしてボールと気持ちが通い合う。
求めていたのはこの感覚だ、と思った。
 
ア式に入ってからのサッカーは正直、遊びでやっていた時より、楽しさはなかった。
周りの目を極度に気にしてしまって、プレッシャーを感じ、変に力んでいた。力むと、ボールは体の全くの外在物となって、重く感じる。
 
上手いと認められたい、下手だと思われたくない、迷惑をかけたくない、
 
バスケ時代と全く同じパターンだ。
もちろん、ア式の先輩はどんなにミスをしても、怒ることなく、フォローしてくれる優しい方ばかりだ。でも、そんな先輩だからこそ迷惑をかけたくない。
 
サッカーでもこうなるのは予想外だった。
思っているような納得のいくプレーが全然できていなかった。
 
 
そんな中、怪我をして初めて
今も体に、夢中でサッカーをやっていたあの頃の感覚が残っていることを知ることができた。
 
もう一度無心になりたい。
この感覚を頼りにすれば、過去の自分と共にまだまだ成長できる。
 
今はそんな気がしている。
 
 
 
 
そしてア式で今まで出会ったことないくらい素敵な先輩と同期に出会った。
 
自分なんかには勿体無くて、
このコミュニティに自分は居ていいのだろうかとさえ常々思う。
 
でも私はここで、もっと上手くなりたい。
先輩や同期に追いついて、同じレベルでプレーできる日まで、
 
どのくらいかかるかわからないけれど、
 
きっと弱気になることもあるだろうけれど、
 
腐らず、辛抱強く頑張ろうと思う。
 
 
最後に、今年で、東大ア式女子部は創設10年を迎える。
創設に携わってくださった、OGさんや福田さんの話を伺う機会があり、大きな壁を何度も乗り越え、今の恵まれた環境があることを知った。
 
ア式を支えてくださっている方々、創設に携わってくださった方々への感謝を忘れず、
 
私に何ができるかはわからないけれど、
東大ア式女子部が次世代に受け継がれていくように
 
10期生として責務を果たしていきたい。
 
 
これをまた読み返すときにはどんなことを考えているのだろうか、
サッカーが上手くなっているのだろうか、
後輩ができているのだろうか、
 
今からとても楽しみだ。
 
 
 

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