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楽しむ

松尾仁之介(2年/DF/海城高校)  みなさんこんにちは。新2年のプレイヤー松尾仁之介です。まず、締切期間をめちゃくちゃ過ぎてしまい、星さん本当にすみませんでした。次からは期日をしっかり守ります。   ちょっと前ぐらいに、誰かに『なんでサッカーを続けるん?』と言われたことがあった。大学生になってまで部活でサッカーをするのは確かに珍しいし、しかもわざわざ東大に入ってまでサッカーをするのか、と疑問に思う人もいるかもしれない。   でも、僕の中には一つ明確な答えがある。それは『楽しい』から。人に質問されて『楽しいからです!』って答えるとなんかすごい陳腐で幼稚な答えに聞こえるかもしれないが、僕はこの『楽しい』という感情を侮ってはいけないと思う。この感情は人を動かす何かを秘めている。友達と遊ぶのも楽しいから。ゲームをするのも楽しいから。サッカーにはその『楽しい』が大量に詰まっている。勝ったら楽しい。点を決めると楽しい。相手を止められたら楽しい。自分の思い通りにプレーができたら楽しい。自分自身サッカーを楽しいと思えてる時が、一番いいプレーができてる気がする。もちろんずっとサッカーが楽しいわけではない。1試合を通して楽しく無い時のほうが多いこともある。でもその先にある強烈な『楽しい』のために僕はサッカーしてるんだ、と強く感じる。   僕のサッカー人生も『楽しい』からスタートした。お兄ちゃんのサッカーチームの練習をよく見に行ってはその横でボールを蹴っていた。結局お兄ちゃんと同じチームに入ってサッカーに没頭した。めちゃくちゃ楽しかったのを今でも鮮明に覚えてる。その熱意のまま、中高でもサッカー部に所属する。少し怪我がちではあったが、依然としてサッカーはぼくの一番の『楽しい』だった。   大学でも迷わずア式蹴球部に入った。新歓期は一応サッカーサークルに一回だけ行ったけど、その一回きりでずっとア式の体験練習に参加した。本気でやる部活だからこそ最大の『楽しい』を享受できる。部活でサッカーを続けることに躊躇しなかった。   入部すると新入生練習が始まる。僕は男女問わず初対面が少々苦手なのでかなり緊張はしたが、サッカーをしてるとなんかその緊張も忘れて、久しぶりに本格的な練習ができることをただ楽しんでいた。新しいサッカー用語もどんどん出てきて、なんか部活も知的で東大ってすげぇなぁと感じたの...

オフィシャルウェブマガジン vol.1

森川かの子(1年/テクニカル/湘南高校)   「 まずは今シーズンここまでを振り返って率直な感想はいかがですか ?」 A: ななすりっぷはちげらっぷ、といったところでしょうか。 「やはり新天地での経験というのは得るものが大きい?」 B: 実際は七転びと言えるほどまだ経験を積んでないので、 字義通りの紆余曲折はしてないかもしれません。 ただ高3の時にばったり出会ったこのキャッチーな言い回しをかな り気に入っていて、たぶん言いたかっただけだと思います。 A: 図星です。 「入部に至るまではたくさんの選択肢があったかと思いますが?」 A: そうかもしれないし、そうじゃないかもしれないです。 実際めっちゃ迷ったし、違う道も容易に想像できます。 ただ私って初志貫徹が大好きなので、 受験期になんとなく思い描いていた未来を手にした感じです。 フォゥ!なんかかっこいい! B: ちなみにア式じゃなかったらオシャンな音楽系サークルでオシャン な女になってたと思います。それはそれで見てみたいでしょ。ね。 「受験生時代には入部を決めていた?」 A: 決めていたって程ではないですね。 とはいえモチベーションではありました。 大学生になったらやりたいこと、みたいなのを受験期に書いてて、 それの結構上の方にア式の文字は刻まれてます。 きゃわちいですね! 〜回想録〜 きっかけに憶えはない。 ただ私はベールに包まれて直視できない事実にそこそこの愛着があ る。想像、妄想、回想、予想。何れの手段を以てしても掴めない、 されど現実には存在していたはずのア式と出会った瞬間が、 煩わしく脳内の引き出しに閉じこもったまま姿を見せない。 それが能動的なものだったか受動的なものだったかさえも。 テクニカルスタッフ。 響きがいいとかなんだとか、 過去の自分はそんなことを言いそうである。 だとしたらだいぶ無責任だが、一つ確かなことは「 本気でサッカーを勉強したい」という欲望によく似た希望、 即ち現在まで続くモチベーションなるものは、 記憶の彼方から既に始まっていたということだった。 「なぜテクニカルに?」 B: 大学生になったら本気でサッカーを勉強したかったからですね。 これよく聞かれるんですけど、 世話はウェルダンまで焼かれる派なのでマネさんの優しさはいつ何 時も憧れの対象・客体であって、 今までサッカー部に...

革命の余波

岡田詠(1年/MF/日比谷高校)  2024 年 6 月 23 日の試合。 ア式が上智に勝った試合。 同期の池澤が、試合終了間際に途中出場した試合。 彼の初出場が応援していた同期を大いに沸かせたが、彼はノータッチのまま終わった試合。 勝利を手にしたトップチームの選手が私たち応援組に挨拶をしに来た時、御殿下ではぱらつく雨がライトの光を反射し、激闘を制した彼らを神々しく照らしていた試合。 選手も、テクも、マネも、コーチも、皆にとって楽しくて嬉しくて、特に同期にとっては勇気づけられ、だけど彼がノータッチだったことが面白くもおもえた試合。   その後、 数人の同期と池澤をご飯に誘った。皆、話したいことは山ほどあって、聞きたいことはその倍はあった。再度、注文方法を変更してきた挑発的なサイゼリヤで飯を食い、くだらない話をしていた時に育成に落ちたことを知った。どうやら電波がわるいサイゼリヤは悪い報せだけを伝えるようだ。 私はその時そんな陰気な話をしたいわけではなかった。   そもそも自分がどういう評価を受けて A チームに上がったのかということは皆目検討もつかなかった。しかし、練習や試合でのプレーを考えれば、近いうちに育成に落ちることは火を見るよりも明らかだと思っていた。   同時期に上がった同期の他の三人が、そのサッカー人生の中で身につけた技術や能力を一段一段、階段にして積み上げ、それを登っていき A チームにステップアップしたとするならば、私は精一杯のジャンプをしただけであると感じていた。 大天才ニュートンが見つける前からこの世に存在する万有引力に引き寄せられるようにして、私は当然の帰結として落ちたのだった。それだけの差があった。 この大きな惑星で、小さな私たち人間はどれほど踏ん張って高く跳んだとしても、いずれ落ちる。     なにもできないまま落ちたことを悔い、目の前で美味しそうにニコニコとドリアを食べる池澤との彼我の差にひどく落ち込みながら、私は SLACK のタブを、抱えた負の感情をものせるようにしておもいきり消した。笑い飛ばして慰めてくれた同期には「 feelings に書くネタができたわ」と冗談めかしたのだった。あの日の私を知る人は、「岡田はきっと愚痴や不満を長々と feelings で書くのだろう」と期待し...

月の満ち欠け

松尾遼(1年/MF/甲陽学院)   東京の夜空には都市の明るさで星は見えず、見えるのは月だけである。僕は幼い頃から、空を見上げる。上を見ることで、気持ちは晴れやかになり、視野が広まる感覚があるからだ。月の話をすると、急にどうした?なんかあった?と多くの友達はいうし、この文章を読んでいるあなたもそう思うだろう。でも、僕にとっての日常である。    7 月 18 日木曜日 20 時頃。夜空には、まだ満月になりきっていない月があった。月はいつも自分を鼓舞してくれていたが、その日の月の不完全さは自分をいらだたせ、むしゃくしゃさせた。吹き出る汗に、少し生ぬるいボトルに入った水、そして今にもこぼれ出そうな涙。あらゆる水分がうっとうしかった。そう感じさせたのは、強い痛みのせいだと思う。そう、その日僕は大きな怪我をした。    季節は春に戻る。3月 25 日月曜日 9 時頃。僕はまだ関西にいた。この日、母校で一つ下の代の卒業試合が行われ、人数あわせとして参加することになった。浪人した僕にとって、一年ぶりのサッカーで、引退からも一年半以上経っていた。久しぶりのサッカーは当然全く動けず、20 分でへたばり、交代。感想は怪我しなくてよかったということと、やっぱサッカー楽しいーっていうことだけだった。大学でサッカーするのもありだけど、体力的にしんどいからいいかな。この時、ア式でサッカーする気はなかった。  4 月 10 日水曜日 19 時頃。この日、ア式の新歓に参加した。参加の理由はサッカーがしたくなったというだけだった。正直、漠然と皆うまいなと思ったくらいであまり印象は強くないが、とにかくサッカーが楽しく、もっとしたいという思いが強まった。でも、大学生のうちしかできないことは他にもたくさんある。やはりア式に入るつもりはなかった。  4 月中、もう一度くらい新歓に参加したはずが、これまたいつ行ったかさえも忘れた。この頃、サッカーのサークルの新歓にも参加したが、あまり楽しいとは思えなかった。やはり、僕は何かに熱中することで得られる楽しさを求めていた。部活でしかそれは得られない。自分の中では、アメフト部とア式が候補だった。そして、その二択からかなり迷った。様々な人に相談し、葛藤した。(その際思ったこともぜひ記したいが、長くなるので省略。一部だけ記すと、シティズンの僕にとって、4 月 1...

私の目標

丸山凱智(1年/GK/武蔵高校)   こんにちは。 東京大学ア式蹴球部1年GK、文科三類所属の丸山です。 まず初めに、日頃から弊部を応援してくださっているサポーターの方々、様々な面で弊部を後押しして下さるスポンサーの皆様に多大なる感謝を申し上げます。 (高校の時からこれやってみたかったんですよね。明治のブログとかでこういう文章を見てからずっとやりたいなって思ってました。)  さて、今回のfeelingsですが、実はこの文章が6本目となります。 1-5本目の文では私の思っていることを赤裸々に書き出して、読んでくれるみなさんに自分を知ってもらおうと思っていましたが、締切(最初の締切はとっくに過ぎています)直前にやっぱりそれは2回目以降にとっておいた方がいいんじゃないかとの考えがよぎり、仕切り直して入部までの経緯を淡々と書くことにしました。 後から見返すと面白みのない文章になってしまったような気もしますが、最後まで読んでいただけると幸いです。  私がサッカーを始めたのは4歳の頃で、友達に誘われたのがきっかけでした。 誘われて入ったチームは市内で1.2を争う強さだったようで、学年が上がってチームメイトが増えるにつれて私の出場機会は減っていきました。  フィールドの能力に見切りをつけられた私は、小2の時に初めて背が高い、走れないというありきたりな理由からキーパーで試合に出ることが多くなりました。 そのキーパーでもAチームのスタメンとして出ることは少なく、Bチームやベンチが主戦場となっていました。 最後まで私がスタメンに定着することはありませんでしたが、後にプロになるようなチームメイト達に揉まれ、またチームの雑草魂的な雰囲気にも助けられて、サッカーをする上で大事な負けん気、勝負強さを身につけることができました。  中学では小学校の時に強いチームに入っていたのが幸いして、早くから自分たちの代の主力として試合に出ることができました。 1学年上の先輩からスタメンを奪うまでは至らなかったものの、小学校時代よりも出場機会が増え、またチームを率いる立場になったこともあり、全体を見る力が身についたように感じます。  うちの学校は中学と高校でチームの雰囲気がガラリと変わり、高校のチームは進学校にしては珍しくハードな練習をこなす真面目な性...

余裕

永原圭太(1年/DF/國學院久我山高校) 部活帰り。いつもより混雑している南北線に乗って帰路についた。駅に着くとドア付近に乗っていた僕は背中に人の降りる気配を感じ、一度ホームに降りたら乗り直せなかった苦い記憶を思い出しながら周りの人と一緒に一度ホームに降りた。僕はホームに並んでいる人の前に並び我先にと再び乗車した。乗車後に、同じように一度ホームに降りたイケおじ(短髪の白髪できっちりとしたスーツを着ており、イケおじなどという陳腐な表現を使うことが申し訳ないくらいのおじ様)が列の一番後ろに並び直して悠々と乗り直している姿を見た。負けた、と思った。余裕を感じた。正しいとか効率的とかではない。余裕を感じた。 思えば自分の人生に余裕を感じたことはない。夏休みの課題やレポートを余裕を持って終わらせれたことはないし、このfeelingsの締切も2回破って焦りながら書いている。 ただ僕の人生から余裕を失わせていた1番の要因はサッカーであったと思う。 サッカーは幼稚園の頃に兄の影響で始めた。運動神経がよく、地頭も良かったためサッカーは上手かった。周りよりもちょっと上手かったから好きになった(スラムダンクを先に読んでいたらバスケをやっていただろう)。小学校低学年の頃の記憶はほとんどサッカーしかない。小学校の少年団チームに所属し、学校の休み時間はもちろん、終わってからも公園で夜暗くなるまで兄や友達、兄の友達たちとサッカーをしていた。少年団チームの中でもトップクラスに上手く、自分は天才なのだと本気で思っていた。僕のサッカー人生に転機が訪れたのは小学5年の頃だった。仲が良く、同じくらいサッカーの上手かった友達から誘われて、三菱養和という東京の街クラブでは一、ニを争うほどのチームのセレクションを受け、合格したのだ(ちなみにその友達も合格し、あまり強くなかった少年団チームから二人も受かったのは快挙だった)。セレクションに合格したのはとても嬉しかったが、驚きはなかった。それほどまでに自分に自信があったし、天才だと思っていた。「しかし、強豪クラブへの入団を機に自分よりも才能のある人に出会い、挫折、絶望する」というお決まりのパターンに僕は少しだけ抗った。養和でも小学生年代のうちはそこそこやれたのである。もちろんスタメンで出ていたし、5年生の時には6年生の試合に呼ばれたりもしていた。天狗の鼻はなんと...

The Sun Also Rises

  清水怜雄那( 1 年 / テクニカル / 麻布高校) feelings を書き始めたのは、ア式に入って1ヶ月たたないくらい。入部式の前あたりだったと思う。その時はいつ提出するかも知らず、ただひたすら入部に至った経緯とか、高校時代のこととかを書いていた。 feelings の提出期限は結局 8 月中旬となった。ほとんどの同期はしっかり提出期限内で提出し、遅れた数人も僕以外は 9 月中旬には出し終わっていた。そんな中で、僕は 9 月 29 日に二十歳になり、チームは一橋戦に快勝し、 9 月がとっくに終わってしまったのに全然提出できそうな気配がない。同期の中でもかなり最初の方から書いていた気がするが、ずっとダラダラと書いていたせいでただ長いだけの一貫性のかけらもない文章になったので全て書き直すことにした。   タイトルはヘミングウェイの処女作から引用した。日本語タイトルでは、「日はまた昇る」と訳され、暗闇に再び光が降り注ぐような、希望を与えるような印象を覚える。しかし実際の内容はというと、快楽に溺れ、堕落した若者たちを描いたものであり、タイトルの意味は、空虚な日常が明日もまたやってくるというような意味である。   もし僕がア式に入っていなかったら、何か没頭できるものを見つけていなかったら、ヘミングウェイがその小説で描いた若者のように、不毛な 1 日 1 日をすごしていたかもしれない。大学に入って改めて実感したのは、自分を律して、興味のないことを実直に頑張れる人間ではないということだ。週に三日くらいはサークルなどに行って他の日でバイトや進振りの勉強をしようかな、などと考えていた自分が恐ろしい。空いた日があれば、友達と街に出て遊んでいただろう。   しかし、幸運なことに僕はこの部活に、サッカーに出会うことができた。   僕はア式に入るまで、中高でサッカーをやったことがない。それもあって大勢の部員と違い最初からア式に入るつもりではなかった。   僕とサッカーの関わりは、休み時間の校庭サッカーや授業でのサッカー、海外サッカーを見ることだけだった。戦術とか、フォーメーションとかには自然と興味が湧いていったので、 YouTube や Twitter でマッチレビューや戦術ブログ、分析記事などを見たりして次第に知識がある程度...