回顧

植田陸人(4年/MF/渋谷教育学園幕張高校)


※こちらの文章は基本的に自分の思考を整理する為に書かれたものなので、他者に読んで頂くには内容や言葉遣いの拙さなど、至らない点がかなり多いと思われます。その上で興味のある方は読んで頂けると有難いです。

 

 

 

2023年10月8日、最終節。にして、大学サッカーの引退試合。引退する最後の筈のその試合で、自分の姿はピッチには無かった。

 

 

なんでこうなった。何が足りなかった。

 

 

何より、サッカーに本気になるのがシンプルに遅すぎた。2年、3年の頃は中途半端な覚悟でサッカーして、4年になって本気になった頃にはもう1年しか残ってなかったし、その1年で色々な事を詰め込もうとして、焦って怪我して、一番やってはいけない負のスパイラルに陥った。強くなる為には、時間を掛けて莫大な練習量を積んで、それがファーストステップだった。

 

今思えば、小学生の頃なんて、ペップバルサ全盛の時代にサッカーを好きになって、メッシに、ファンマタに、ダビドシルバに憧れて、右利きの癖に狂った様に左足ばかり練習して、彼らのユニフォームも至極当然で有るかの様に買って、親の目を盗んで親のPCで彼らのプレー集を漁って、彼らの様になる事を夢見て、今では考えられない位に長時間必死で練習して。それが俺にとってサッカーに捧げる熱量だった筈だ。

 

その熱量が無かった。だから上手くいかなかった。それが結局は本質だとは思う。

 

 

その上で、より詳細に何が欠けていたか。

 

 

まず1つ、ベクトルを自分に向けすぎた。プレーにおいても、単純なパフォーマンスアップにおいても、自分で全てを解決しようとし過ぎた。105×68のピッチの全てを認知・判断するなんてどう考えても不可能なのに、そもそもサッカーなんて味方の11人で相手の11人と向き合うスポーツなのに、自分一人で常に相手の11人と駆け引きして、自分一人で相手の11人と向き合うプレーをしようとしてた。

 

別に「自分一人で戦おう」なんて思ってた訳ではないけど、結果的には「ボランチの俺がなんとかプレス回避を成立させなきゃいけない」という思考に陥って、実力不相応のプレーにチャレンジして案の定ボールロストしてた。言語化が難しいけど、「2ボラだったら自分は相手のボランチに捕まらない事だけ意識して、そこから前線の選手にボールを送り込むのは相方に任せる」くらいには役割分担して良かった気がする。コレは流石に極端か。でも実際、「もっとシンプルに味方使え」とか「チームがビルドアップするために自分が責任を追い過ぎるな」とか令雄さんにも古川にもオカピにも言われたし、当時はそんな事くらい理解してるつもりだったけど、今になって振り返るとつもりになってただけだった。

 

ビルドアップにおけるタスクを味方と分担して共有するべきだったし、その為にコミュケーションを取るべきだった。味方がピッチ上の何処を認知していて、何を基準にプレーを選択するのか。具体的に、センバがハマっている時にどのタイミングで何処にボールホルダーに顔を出して、その際に他の味方に何処に入って来て欲しいのか。ボランチである以上、そこまで考えて味方の頭の中を探るべきだった。

 

対人守備1つを取っても、オカピに1つ1つ聞いて、どのタイミングで相手にどの距離感まで寄せて、相手の身体の向きと利き足に合わせてどうやって奪うかを丁寧に考えていたと思うし、4年になってからはその徹底が出来ていなかった。

 

何から何まで、客観的な視点を取り入れずに自分で試行錯誤しようとし過ぎてキャパオーバーになってた。

 

 

あとは、メンタリティの部分。怪我でそもそもサッカーが出来なかったり、調子が悪い時期が長かった中で、ネガティブな感情に引っ張られてテンションが低いまま試合に入る事が多々あった。無理矢理でも声出すなりして行動からテンションを上げるべきだったけど、無意味なプライドを働かせて声すら出さないなんてやってた時もあった。

 

 

そして、サッカーの根本の部分の解像度。ボールを受ける際の身体の向きの作り方、相手を視野に入れながらプレーする為の立ち位置の1歩2歩の修正、相手に捕まらずに浮遊し続ける事の解釈の仕方。フィジカルも技術も無い俺が中盤でプレーするには大事な要素が余りに色々と欠けてた。

 

 

今後も何かと思い出す事はあるだろうが、ア式での4年間の反省は大体こんな所だろう。

 

 

 

 

最後に、ア式でお世話になった方々に感謝の気持ちを述べさせて頂きます。

 

陵平さん。3年間本当にお世話になりました。2年生の時にAチームにすら全く関われなかった自分に何度もチャンスを与えてくださり、本当に有難かったです。信頼に応えられなかった事の方が圧倒的に多かったのが悔しいです。今後もドクの独特なドリブルを期待しています。

 

隼さん、槇さん、ナカシンさん、トモヒさん。高校でサッカーを引退するつもりだった僕に、サッカーの面白さを教えてくださり、本当に有難うございました。皆さんがいなければサッカーの無い人生だったかもしれないと思うと、感謝してもし切れないです。特に隼さんはずっと4年間の僕の目標でした。勝手に目標にして勝手に13番付けて勝手に喜んですいません。プレーのレベルはとても肩を並べられるものでは無かったですが、隼さんを目標にしたお陰で少しはターン上手くなったと思います。本当にありがとうございました。

 

一応、隼さんと僕の間に13番を付けていたスギさんと久野さんも、よく分からないけど13番を引き継いでくれてありがとうございました。

 

ア式関係者と言っていいのか分かりませんが、渡辺さん。最後の数ヶ月のみでしたが、整体師としても人としても心の底から尊敬できる方で、怪我を診てくださり、そして様々なポジティブな視点を与えてくださり、ありがとうございました。もっと早く陵平さんに紹介して貰えば良かったです。

 

オカピ。俺がウザいほどにプレーのフィードバックを何度も求めても、毎回真摯に受け取ってくれて、本当にありがとう。オカピの色々な教えが無かったらア式で試合に出る事は出来なかったと確信してる。今後も何処からとも無く突然サッカーの質問をする事があるかもしれないけど、拒否しないで欲しいです。

 

兒玉。同じような立場で入部したけど、お互い4年間の中で何試合かは活躍の機会があって良かった。兒玉が活躍してる時は自分の事のように嬉しかった。その時期が中々被らなかったのが悔やまれるけど。

 

孟。22年生きて来た中で9年も一緒にサッカーしたってマジでエグいよな。今更言うことも無いけど、これで一緒に本気のサッカーをやるのが最後にならないことを祈ってる。

 

 

東大ア式で関わった皆さん、ありがとうございました。


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