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憧れ

2008-09 シーズン、新しいバルサのサッカーは衝撃的だった。会話や挨拶でも交わすかのように短いパスを交換しながら、いとも簡単に相手の守備組織を破壊していく。こんな攻撃は見たことがなかった。それは美しくて、かっこよくて、なにより楽しそうで。僕は瞬く間にそのサッカーの魅力に取り憑かれてしまった。 この前、 J リーグのトライアウトが実施されたという記事を見た。 名古屋のユースで 10 番付けてたあいつ、札幌で代表にも選ばれてたあの CB に一個上の 10 番だったやつ、エスパで代表の一個下の FW 。ユース時代は相手チームにいるとチーム内で噂になったような同年代のトップ選手達の名前がメンバーリストには何人も載っていた。プロの世界の厳しさを見せつけられる。思わずため息が漏れた。 ここ数年で一番退屈なクラシコだ。少なくとも 60 分までは間違いなくそうだった。繋げないバルサ、精彩を欠くブスケツ、孤立するメッシ、哲学を持たない指揮官。憧れのチームがそのスタイルを自分たちから捨ててしまったのが寂しかった。サッカーを少しだけ嫌いになりそうだった。 あの 8 番が途中から入ってきた。圧巻だった。彼がボールに触るたびにバルサがバルサらしくなっていく。 1 人入っただけでこんなにも違うのか。メッシにもスアレスにもできなかった仕事を、その男は淡々とこなす。サッカーの醍醐味をその体に詰め込んだみたいなプレーだ。 サッカーを始めてからもう 15 年、やりたいサッカーをするチームには出会えなかったし、ユースでは自分のレベルの低さを痛感し、一度は夢を諦めさえした。理想のサッカー人生とはもう掛け離れたものになってしまった。 もう一度サッカーにかけようと思うまでにかかった 2 年という時間は思ったよりも重い足枷になっている。自分がここからどこまで這い上がれるのか、焦りを感じてはいるものの思ったような成果は出ない。 結局、バルサは終了間際にレアルに追いつかれて 1-1 。後半は内容で圧倒しながらも、勝ちきることはできなかったのだけど、そんなの全然気にならないくらい素晴らしい 30 分間だった。かつては色白でひょろひょろで、いかにも頼り

ケガ

ア式に入って半年以上が経った。自分はサッカーがしたくてこの部に入った。しかし現実はそれを許してくれなかった。ア式部員としての生活の半分以上を自分はケガ人として過ごしている。どこの部も同じかもしれないが、ア式ではケガ人となったら他の選手が練習する横で筋トレをする。家でもできる普通の腹筋や腕立てなどをしにわざわざ東大のグラウンドに行くのである。こんなことを言ったら怒られるかもしれないが。筋トレ中、面倒臭い、だるい、帰りたいなどマイナスの気持ちしか生まれず、それにたまに練習中の選手の楽しそうな声が聞こえてくると腹が立ってくる。こんな生活を自分はすでに3、4ヶ月送っている。考えてみると、小中高を通して大きなケガをしたのは1回だけだった。その1回も強烈なタックルをくらったもので、避けるのが難しいものだった。しかし、大学に入ってすでに2回。靭帯と肉離れ。どっちも自分で勝手にやったもの。体が勝手におじいさんに近づいているのかなと思った。悲しい。よく有名スポーツ選手がテレビなどで、『ケガしたことをプラスにしたい』などと言っている。自分もそうしようと最初は思っていた。自分の努力不足かもしれない、いやそうだろう。しかしプラスにできるなんて想像できない。ケガをしたという事実を好転させることは僕みたいな凡人にはできない。ケガは思っている以上に簡単にできる。実際、自分は簡単にできた。言いたいことはただ1つ。スポーツをしている人もしてない人も、皆さんケガには気をつけましょう。 1年 城後仁

大学サッカー

突然だが自分は j リーグ事務局でバイトをしている。そのおかげで j リーグにより興味を持つようになり、クラブのことを調べたり、試合をテレビやスタジアムで見るようになった。海外に比べ技術レベルが低いとか応援するチームがないとつまらないとかいう意見もあるけど、 j リーグは見ていて面白いと思う。 一方で、当然ながらア式を中心に大学サッカーの試合を見る機会も多い。高校サッカーの試合なんかもたまに見る。プロに比べればクオリティはだいぶ低いけど、それでも印象に残る試合というのは多くある。それはきっと、技術以外のところにも人を引き付ける要素があるからだろう。 最近親に言われてなるほどと思ったのが、世の中の多くの組織には給料というものがあり、そこに所属する人はお金をもらった分最低限のことはする。大学の部活はそういうものではないから、人を動かすのも大変かもねと言われた。けれども、逆に考えればそれなのにそもそも何故ここには人がいるのだろうか? それはきっと、みながこの場所にはお金以外の何かがあると思っているからだろう。サッカーをするのが純粋に楽しいのか、仲間と勝利を勝ち取る喜びを求めているのか、この場所で成長したいと願うのか、あるいはもっと漠然としたものかもしれない。でも、何もないというわけではないだろう。 東大生というのは一学年に 3000 人いて、大学を卒業すれば世間にはもっとたくさんいて、そこまで希少価値の高いものじゃない。周りを見れば自分以上に頭の良い人間、有能な人間も見つかるはず。じゃあ、自分は大学で何ができるのだろうか。 勉強も、留学も、インターンも、研究も、サークルも、遊ぶのも良いことだと思う。でも、東大に入ってまで体育会のサッカー部に入ることを考えてしまうほど自分の中にサッカーが根付いているのなら、そんなに簡単にこの場所をあきらめてしまうのはもったいないんじゃないだろうか。東大ア式でもがき、苦しみながら、楽しみ、喜ぶことはもしかするともっと意味があることなんじゃないだろうか。 2 年森本和人

一年目

もうすぐア式での一年目が終わる。本当にあっという間だった。少し自分の一年を振り返ってみる。 はじめは割と順調だった。小さな怪我はあったものの、五月末くらいには A にあげてもらえて京大戦ではスタメンに入れた。それからしばらくは出場機会に恵まれていた。 でも後期リーグが開幕して、ゲームの強度が上がっていくなかで、自分のフィジカル面での弱さは致命的だったし、基礎技術が足りないことも実感させられた。当然出場時間は減っていき、ベンチから試合を観る時間が増えた。自分の長所を生かして堂々とプレーするチームメイトはホントにカッコよかったなぁ … この一年で後悔していることは、最初から最後まで「一年生」だったこと。 フィジカルで負けるときも、チームを引っ張れないと感じるときも、サッカーを楽しめないときも、どこか「まあ、まだ一年だから。」と思っていた気がする。 そういう殻は破らなければならない。 言い訳なしで、最高にサッカーを楽しもう。 ア式 年 白藤 優

Faster,Higher,Stronger

今までサッカーをしてきた中で、数え切れないほどの選手と対戦してきた。もちろん、その選手たちはそれぞれ個々の特徴を持っている。しかし、僕が一番対戦して嫌だと思った選手タイプが一つある。それはフィジカルが強い、いわゆるフィジモンだ。ア式で言う北西ですね。走るし、速いし、強いし、シュート強すぎだし .... 誰もが一度は北西が同じチームにいてよかったと思ったことがあるだろう。 やっぱりフィジカルが強いと有利、体力があると有利。それは日々感じているが、一ヶ月前の大東文化大学との練習試合が特に印象に残っている。こっちとしては、とても苦しい試合だった。相手選手は皆ガタイがよく、こっちは迫合い、球際などで全然勝てなかった。相手は体を張ればボールをキープできるが、こっちは押されながなんとかキープしようとする。もちろん、技術面での差もあったが、それ以前に向こうは大きなアドバンテージを持っていた。 言っておくと、僕は細くて、体力もなくて、フィジカル面ではかなりレベルが低い。「ガリガリだね」ってよく言われるほど。だから僕はフィジモンを苦手としてきたのだろう。アスリートとして戦えてなかったと思う。 結局、サッカー選手もアスリートで、ラグビーの選手ほどではないですが、フィジカルがかなり大事である。今回は自分が感じたことを書いたが、チームの他の人も同じことを感じたことがあるはずだ。そして、これは僕個人の課題であるが、チーム全体にも当てはまると思っている。チームの全員が一段階フィジカルを強化することができれば、もっと強いチームになれるにちがいない。逆に最低基準に満たなければ、戦えないだろう。言うのは簡単だが、実践するには相当なメンタルの強さが必要となる。でも僕は最後の1年間勝って終わりたい。 当たり前ですが、技術も大事です。 でも、僕はまず体力をつけます、強くなります。 オールブラックスの選手がどうしたらあんなにデカくなるのかが不思議です。 3年 柳澤 アーサー

微熱少年

洋画に憧れて英語を始めたり、友達に誘われて部活に入ったり、きっかけは些細なことで、 僕がカメラを始めたのも、家中に父の撮った写真が飾ってあるからだ。 写真を始めてから 1 年半、本当にいろんな人の、いろんな瞬間に立ち会った。 名も知らないサークルの新歓パンフレット、成人式の親子、卒業を迎える大学生といった節目だけでなく、 旅行先の定食屋のおばちゃんや、葉っぱ、ど田舎の駅など 1 万回以上シャッターを押した気がする。 撮るときに考えるのは、「主題」と「色」。 ボールとか、人とか、分かりやすいテーマのときもあれば、ノスタルジックなど曖昧なことも多い。 ただ、どういう感想を持たれても気にしないが、テーマだけは決めようと思う。 色は常に「記憶色」を意識する。 つまり実際の風景に「思い出補正」を足した色を最初から表現するように、イメージは「君の名は。」の色合いだ。 始めたころは、写真の教科書だけみて、そこに書かれた設定も構図も色も全部真似して基本に忠実にやってたが、 最近は写真集や映画や漫画などから構図と色を、また音楽や本からはイメージをもらい撮る。 最近はミラーレスなど、重いのと性能は同じで軽く小さいものもあるので、男女関わらず手を出しやすいと思う。 なにより、写真は見えてる風景を「切り取る」ものなので、絵のように得意不得意もないし、スポーツのように勝ち負けもないので、 自分のペースで、のんびりやれて、かつ一生楽しめるのが魅力なのだ。 初めてタイタニックみてボロ泣きした 2 年 増田 伶

誕生日

もうすぐ僕の誕生日である。僕の学生証を見た友人に「あれ、お前もうすぐ誕生日じゃね?」と言われるまで、一年で一回の特別な日が近づいていることに全く気づかなかった。思えば去年なんか受験勉強で気が気でなく、「あれっ今日誕生日か!」って感じだった。小学生の頃は、後半年…後 3 ヶ月 … 後 1 ヶ月 … 後 1 週間 … という感じで誕生日を待ち望んでいたのに、あの頃の感情はどこへ行ってしまったのだろう。 昔は欲しいものがあってもなかなか手に入れることはできなかった。自分が欲しいものを持っている友達がいるとなおさら物欲が高まる。その中でやってくる誕生日は、一年のうち他のいかなる日に比べても圧倒的に素晴らしい日である。それが今では欲しいものがいつでも手に入るわけではなくとも、誕生日まで半年以上我慢するなんてことなく手に入れることができる。欲しいものが手に入る機会が増えるにつれ、その一回一回に対する喜びありがたみは減っていってしまう。 それは別に誕生日に限ったことではない。子供の頃は映画なんて年に 2,3 回のビッグイベントだったが、今では行こうとすればいつでも行ける。外食は月に 1 回ほどのお楽しみだったが、今では部活後に頻繁に外食している。しかしそう頻繁にできるがために、その 1 回 1 回に対する喜びありがたみは減っていってしまう。 逆に、「死んでから分かる親のありがたみ」という言葉があるように、機会が減って、もしくはなくなって初めてかつての環境がいかに恵まれていたか認識することがよくある。 僕は高校時代、初めの頃は学校の土グラウンドで当たり前のようにサッカーをしていた。しかし、高校の体育館建設の都合上、グラウンドのほんの一部でしかサッカーができなくなってしまった。そのとき初めて、学校のグラウンドを使わせてもらって練習ができていたんだというありがたみを知った。学校のグラウンドが使えなくなったとき、東大ア式蹴球部が手を貸してくれた。週 1 回 1 時間半グラウンドの半面を貸してくれたのである。僕はそのとき御殿下の芝グラウンドで練習できることが非常に嬉しく、 1 時間半を最大限に利用することができた。 今現在、ア式に入って毎日グラウンドを使える環境にいる。当たり前のように練習しているが、別にこれは当たり前のこ

曲がらない膝はない

私の最近の悩みは怪我した膝が曲がらないことです。今まで膝を怪我した人が曲がらないと言ってるのを怪しいと思ってたのですが、実際曲がらないです。 失って初めて大切さに気付くではないですけど、膝って本当に大切なんだと日々感じてます。膝は日常生活に欠かせないものです。膝が曲がらないと普通に歩けません。階段は飛び跳ねながら降りないといけないのでとても恥ずかしいです。電車に乗って座ると膝が曲がらないから伸ばしてるのに外見では怪我してることが分からないのでただ態度の悪いやつだと思われます。優先席に座ってると若者がなに座ってんだと睨まれるので、優先席に座るまで足を引きずって歩きます。そして、次第に普通の歩き方を忘れます。呼吸を意識すると胸が苦しくなるように歩き方を考えれば考えるほどぎこちなくなります。この様に日常生活に支障が出ます。 まとめると怪我なく健康に過ごすことが一番いいということです。正直健康な時は気付きづらいとは思いますが、当たり前じゃないので日々健康に感謝して過ごしましょう。怪我に気をつけて今年もあと 1 ヶ月頑張りましょう! 最近の一番の悩みは肥えてきたことです 三年山岐豪憲

悩み事

僕の名前は小寺柊斗(こでらしゅうと)。 今日は自分の名前にまつわる悩みを書こうと思う。 僕は6月中旬からバイトを始めた。先輩たちは優しく、 時間外労働も皆無、いわゆるホワイトバイトだ。 だがバイトにやっと慣れ始めた8月下旬あの出来事が起こった。 はじめは聞き間違いだと思った。 だがその後1カ月ほどよく耳を澄まして聞いてみたが間違いない。 ある先輩が僕のことを小寺(おでら)君と呼んでいるではないか。 しかもよりによって圧倒的なコミュ力と元気によってバイト内で多 大な影響力を振るう人に毎回間違われてしまうのだから事態は深刻 だ。誰よりも大きな声でおでらくんと呼び続ける。 その声を前にしては他の人のこでらくんという正しい声も虫けらの ように掻き消されるだけでなく、 その人たちの脳裏にも段々とおでらが侵食し、 僕がおでらということがバイト内で既成事実化してしまいそうな勢 いである 。 なら早くその先輩に本当の名前を伝えればいいと思うだろう。 まさにその通りである。だがそれはかなり難しいのだ。 大縄跳びでなかなか中に入れない人を想像してほしい。 端から見ればどのタイミングでも中には入れる。 当人もそんなことは承知している。 だが最初のタイミングを逸したがために以降全てが自分のタイミン グでなくなる。ただ時だけが虚しく過ぎていく。 まあそんな感じだ。 なら最初のタイミングで間違いを指摘すれば良かったのではと思う だろう。だがそれはできない。 なぜなら8月末まで先輩は間違えることなくこでらくんと呼んでい たからだ。だがそこからAha! 体験のごとくゆっくりとおでらくんとなっていったが為に間違いに 確信したときにはとっくの昔に縄跳びは回り始めてしまっていたの だ。 時がたつにつれ縄跳びはゆっくりになるどころかますます速くなっ ていく。どんどん指摘しにくくなる。 指摘しないとおでらがはびこる。 おでらと呼ばれる度にその名がメリーゴーランドのように頭の中を ぐるぐる回る。あれっ、俺の名前ってこでらだっけ、 おでらだっけ、と迷う日はもう近い、 何てことあるわけないけどそろそろなんとかするか。 よし、今日こそ勇気を出して縄跳び跳んでやろうじゃないか。 PS. 今日のバイトももちろんおでらくんとして1日を終えました。 まあ人生なんてそんなもんだよね 明日も1日頑張ろ

第二章

前書き  約 1 か月前、リーグ戦最終節帝京戦をもって 4 年間に及ぶア式での選手生活を終えた。その少し前にリレーブログ feelings が復活して、せっかくなら引退後落ち着いて書こうと考えていたわけだが書くことがない… feelings を直訳すれば、「感情」とか「気持ち」とかになるわけだが、どうしても「感情」や「気持ち」を書き起こすことが出来ない。 4 年間ア式に所属して様々な経験をし、同時に様々な感情を抱き、それらが今の自分にとってあまりにも大きすぎて、複雑すぎて書くことができない、ということであると思われる。あるいは文章力不足か…  今回は自分が書く最後の feelings になるわけで、最後くらい feelings の名に相応しいものを書きたいと思っていたが、先に述べたような状態である。では何を書こうか…思案の末出た結果、後輩達にメッセージを伝えよう、というありきたりなものになってしまったが、自分としては誰か一人でも伝わってくれればそれで満足である。後輩たちのこれから先のア式生活が少しでも実りのあるものでありますように。 本文  大学サッカーでは卒業・入学に伴って毎年選手・部員の入れ替わりがあり、ア式では毎年約 20 人が入れ替わる。したがって、 4 年間で現役部員とだけで 140 回もの出会いを経験することになる。途中でやめる人や、 3 学年離れた人のように、共に過ごす時間の短い人たちを除いても、その数は 100 回になる。  彼らとは出会うだけではない。同じ時間を、空間を共有し、大学時代における自己資源―時間、エネルギー、情熱、知恵、経験、技術―を捧げて目標達成を目指す。先に別れを告げた彼も、今横にいる彼も、次に出会う彼も、おしなべてそれをする。だからこそ目標に近づくことができると、目標を達成できると信じて、安心してさらに自己資源を捧げることができる。   100 回もの出会いがあれば、当然その良し悪しがある。 本当に良い出会いはかけがえのないものである。なにものにも替え難いものとしていまなお輝きを失わない。彼らの存在そのものが、あるいは彼らと過ごした日々がいつでも自分の心の支えであり、行動の指針であり、目標あるいは憧れであった。ア式とは、単に組織

イスタンブールの奇跡

今でも鮮明に覚えている。 2005年5月25日、 当時9歳だった僕は今にも閉じそうな目を擦りながらテレビをつけ た。欧州CLの決勝、ACミラン対リバプールだ。前半を終え、 3-0でミランのリード。誰もがミランの勝利を確信していた。 そんな中、 ハーフタイムにスタジアムがリバプールサポーターの大合唱で包ま れていた。「お前らは1人じゃない」と唄い続けていた。 僕には異様な光景に写った。 前半でこんだけ力の差が出てしまえば結果は見え透いていると思っ ていたからだ。 しかし、リバプールの選手たちは誰1人として諦めていなかった。 サポーターの声援を背に後半から猛攻を開始する。そして、 ジェラードのヘディングシュートを皮切りにわずか6分間で3点を 決め、あっという間に試合を振り出しに戻したのだ。結局、 リバプールはPK戦を制し、 ヨーロッパチャンピオンとなったのだった。世に言う「 イスタンブールの奇跡」である。 圧巻だった。あまりにも。興奮は止まなかった。 奇跡が起こった瞬間を目の当たりにしたのだ。 早朝のことだったが、眠気などどこかへ吹き飛んだ。と同時に、 試合途中で結果を決めつけた自らの浅薄さを恥じた。 サッカーは本当に面白い。いや、 サッカーに限らずスポーツ全体に言える話だ。 勝負に勝つために日々鍛錬し、 試合という戦場で双方の本気がぶつかり合う。 お互い本気だからこそ、そこには数々のドラマが生まれる。 そんな中で思惑通りに相手を崩しゴールを決め、 勝利を得る快感は他では決して味わえないものである。 こんな経験がしたかった。 イスタンブールの奇跡のような試合がしてみたかった。 大逆転劇を演じたいわけではない。 そういうこれ以上ない絶頂の空気の中でサッカーをしてみたかった 。 高1の選手権の都大会で1度だけ、 似たような空気を味わうことができた。 ピッチ上の22人が各々の最高のパフォーマンスをして、 最早ゾーンに入った状態でサッカーをしていた。1つのパスが、 1つのドリブルが、全て洗練されているものに感じるくらいに。 僕の高校よりも明らかに格上の相手だったが、 互角以上に戦えていた。 結果負けてしまったので苦い思い出ではあるが、 あのときピッチで味わった空気感と言うのは病みつきになるものだ った。 何故そこまでの試合ができたのか。それは試合までの準備期間、 つまり練

"Make ASHIKI Great Again"

最近たまたま読んだ記事によると、ドナルド・トランプはアメリカが世界の平和を守る特別な国だという考えは持っていないそうだ。 米国第一主義というのは、アメリカが「普通の超大国」を目指すということらしい。 なにか引っかかるものがあったので少し考えてみると、僕とア式の関係が思い当たった。僕はア式のことを特別だとは思っていない。ただ、自分の所属するチームとして、愛着があり、強くあってほしいというだけ。 支持するとか支持しないとかいうことは関係ないけれど、僕はトランプと似た考えを持っているのかも。トランプは今後なにをしていくんだろうか 。 いや、その前に、自分はなにをしていく んだろう 。 高3の夏、僕はア式の練習に参加し、その後は勉強の合間に Feelings を読みながらア式での生活を楽しみにしていた。 ア式しか頭になかった僕は、他の部など見向きもせずまっしぐらに入部。そしてサッカーするだけ。これはなにも考えてなかったなと思う時期。 様々な感情がうずまいていくア式にいる中で、「関東昇格」「 2 部降格」「スポーツ推薦のない東大」「機会損失」「チームへの貢献」「限られた資源」このような言葉に囲まれ、自分はなぜア式にいるのかわからなくなってしまったこともある。これは考えすぎてたなと思う時期。 今後振り返ったらまた違う風に感じるかもしれないけれど、今の率直な気持ちは、結局はシンプルに考えることが大切っていうこと。 1 人の部員として、チームを良くしたいという気持ちに基づいて考えてできることをするしかない。 この部と僕を繋いでくれた Feelings 、これからもつないでいくこと。軽い文章の背後の情熱、思いっきり気持ちの入った文章、部員にいい影響与えられると信じているし、何より自分が見たい。 部員が楽しんでくれるような広報をすること。飽きるような事せずに自分が楽しむことで、みんなが飽きないでくれるはず。 そして、自分がプレーして、勝つこと。強くあってほしいこのチームを、直接的に強くする。課題と向き合って、試合で活躍できるプレーヤーに。言葉にするのは簡単だけど、行動にするのは難しい。 だけどもう最高学年で、逃げてばかりではいられない、やるしかない

想像してみる。 観客であふれかえる農学部グラウンド。その中には、 OG やお世話になった方々、男子部の部員の方々もいる。 期待が高まる中、試合終了のホイッスルが鳴り、ア式女子のリーグ昇格が決定。グラウンドは歓喜に包まれる…  実際は、東京大学ア式蹴球部女子の置かれている状況は厳しい。部員は現在 12 人と少なく、合同活動チームである文京 LB レディースの大学生 ( お茶の水女子大など ) に加わってもらって出場しているため、今年度のリーグでは昇格の権利すらない。また他大学と比べ初心者の割合が高く、上位チームとの対戦では歯が立たない。昇格圏内に入ることは夢のまた夢である。  そんな中でも私は今シーズンの目標を、入れ替え戦圏内である「 3 位以上」とした。全く自身がない訳ではなかった。文京 LB レディースのメンバーは経験豊富で頼もしく、未熟な部活にも関わらず入部してくれた1年生は初心者ながらみんなセンスに溢れていた。可能性はゼロではないと本気で思っていた。  しかし現実はそう甘くはなかった。迎えた初戦、 1-10 で大敗。今年から入部は「サッカー推薦者のみ」となった昇格の有力候補に、手も足も出なかった。その後も大量失点での対戦が続き、ホームグラウンドでの落とせないゲームでも1点差で勝ちきれず、開幕戦から怒涛の 6 連敗。総失点数は 22 となった。もちろん順位は下から数えた方が早い。自分の認識の甘さと、もっとできることがあったのではないかという後悔を日々感じながら、一つでも順位を上げるため必死で対策を練り、練習を重ねた。そして 7 戦目にして初勝利を掴んだ。喜びよりも安堵の方が大きかった。連勝目指して臨んだ 8 試合目、相手フリーキックの際、壁に入った自分のミスで失点してしまい、その後追いつくも決勝点は奪えず引き分けに。ホーム最終戦となった先週の 9 試合目、多くの方が応援に来てくださりなんとしても勝ちたかったが、後半残り 20 分で 2 点差をひっくり返され鮮やかな逆転負け。悔しさに涙を流すメンバーもいた。  ざっと振り返ってみても「 3 位以上」という目標達成とは程遠いシーズンであった。勝つことの大変さ、昇格の厳しさは分かっていたつもりだったが、壁は思っていた以上に高かった。

Command + Z

自分の使っているパソコンでは、選択対象をコピーするには Command + C 、カットするには Command + X 、ペーストするには Command + V を押す。パソコン作業を多く行う大学生ならば日常的に使うコマンドである。他にも Command + Tab はクールにアプリケーションの切り替えができるし、 Chrome のタブ切り替えは Command + option + → (or ← ) でできる。 しかし上のコマンドよりも数段頼れる、そして便利なコマンドがある。 Command + Z である。 Command + Z は Undo 機能のショートカットであり、編集した内容を元に戻す時に用いる。 プログラミングを行う際 Command + Z のおかげで、自分はプログラムのビルドを行い、失敗したら Command + Z で元に戻し、再編集する、というような作業を行うことができる。 Command + Z を使用した記録はプログラムには残らない。完成品は無傷のピッカピカな新品なのだ。 対して、人生は、特にサッカーはどうだろうか。 無論、 Command + Z など存在しない。時の流れは常に一定で元に戻すことなどできない。 「あのシュートを決めていたら」 「あそこでファールしなければ」 「もっといい練習ができていたら」 5 歳からサッカーを続けていれば後悔することなどいくらでもある。サッカーにおいて、一つのプレーを失敗することでどれだけのチャンスを無駄にしたか、信頼を失ったか、立ちたい場所に立てなくなったか。ふとした瞬間にそういうことを思い出し、 Command + Z を押したくなる。プロになって活躍している友達、選手権に出て活躍する友達、高校選抜のレギュラーとして活躍する友達。彼らを見るたびに頑張って欲しいと思うが、心の片隅にはいつも羨望、嫉妬がある。 これまでの自分のサッカー人生を現時点での完成品 ( 決して完成をしているわけではないが ) とすれば、それは傷だらけの中古品である。一つ一つの失敗が積み重なり今の自分がいる。しかし失敗というものは時間と共に風化していく。確かに積み重なっている傷はいつの間にか見えなくなったように錯覚する。そしてある時、ふとその存在に向

誓い

日曜日の試合 初めて公式戦の舞台に立った 相手は今年の 1 部昇格を争うライバルである上智大学 何人かを欠いてるとはいえ、負けは絶対に許されない試合だった 結果は 1 対 1 の PK による敗戦 狙い通りのサッカーができず、押し込まれる時間が多かった、あまり収穫のない敗戦 個人としてはどうだったか 球際では激しくいけず、ドリブルで突破してもチャンスまで結び付けられない 効果的にボールもさわれなかった このままではダメ そう突きつけられた試合 思えば去年の 10 月に脛の骨を両方折るという大怪我をして、今年の 6 月に復帰した。 あんなに DL がんばったし、サッカーも多く見た んだ、きっと大丈夫だろう それだけを励みにプレーしても、全く体は動かないし、右足もすぐ痛くなる 一時期、俺はこのままプレーしていてもア式に貢献できるのだろうか 本気でそう考えたけど、前 OB コーチである行天さんに説得されてプレーを続けた 少しずつ調子も上がって、 A にあげてもらえた。 今思い返せば、公式戦に出るイメージがわかない時期があって、それを乗り越えただけで現状になんとなく満足していたのかもしれない。 それではダメだ そう突きつけられた試合 目の前のできることに向き合って 1 つずつやっていこう リーグ戦で目に見える結果を出すために まずは今日からの練習声出して盛り上げて、インテンシティー高くやっていきましょう! 新人戦も絶対勝ちましょう! 俺は DL かもしれないですけど笑 2 年日野雅奈

奇跡

2015 年 5 月 5 日、僕の左膝の前十字靭帯は損傷した。 怪我をした瞬間、何が起こったのか全くわからなかった。 数日後に症状が判明した時には、もう将来自分がサッカーをしている姿がイメージできなかった。 それから 11 ヶ月後、何とか東京大学に入学することができた。しかし、 1 年間の不養生は僕の体を大福のように情けない体にしてしまったらしい。同じ高校出身の先輩にかけられた第一声は、  「太った?」 だった。 それでも、もう一度サッカーがやりたくてア式に入部した。 最初の練習日、けが人として筋トレをした。恥ずかしい話だが、腹筋がなさすぎたため首の筋肉が痛くなった。眠りにくいほどに。 同時に、このままトレーニングに自分の体がついていけるか不安になった。 そんな僕が、もうすぐ復帰する。僕にとって、これは奇跡だ。 確かに、僕が復帰するということは奇跡と言うには大げさすぎるかもしれない。 都会に憧れを抱き、巫女として田舎で暮らす美人な女子高生と体が入れ替わる奇跡と比べたら、なおさらである。 だが、怪我をした時の心境を思い出してみると、やはりこれは僕にとって大切な奇跡だ。自分一人では絶対に不可能だ。手術をしたお医者さん、リハビリをサポートしてくださったトレーナーの方、僕のトレーニングを見守ってくれた先輩方、家族、一緒にトレーニングをした仲間。これらのうちどれか一つでもかけたら、僕はもうサッカーを続けられなかったかもしれない。 復帰に際して、不安が全くないわけではない。再断裂の危険もある。技術も相当落ちてるだろう。 しかし、もう一度小さな奇跡が起こせるかもしれない。そんな気持ちになっている。そのためにはこれからも頑張らなければ。 1 年  GK     熊谷賢人 P.S   とはいえ、美人な女子高生と入れ替わるような奇跡があっても、嬉しいのだが。

謙虚さ

人が生きていく上で大切なものとして「謙虚さ」があると思っている。 謙虚な姿勢で物事に取り組めば、自分の能力におごらずに、常に成長のための努力を続けられる。また、他人をリスペクトし、相手の良いところも悪いところもすべて素直に受け入れて、冷静さを保つことができる。謙虚な姿勢は信頼につながる。傲慢な人を信頼しようという気にはあまりなれないだろう。 高校時代のサッカー部の監督もいつもこのようなことをおっしゃっていた。 「うまくいったときは他人のおかげ、失敗したときは全部自分のせい」 人はうまくいくとどうしても自分のおかげだと思ってしまう。自分が点を入れたとする。たしかに最後にボールをゴールに入れたのは自分かもしれないが、その前はどうだろうか。相手からボールを奪ってくれた人、パスをつないでボールを前に運んでくれた人、相手を引き付けて走ってくれた人。チーム全員の努力が最終的にゴールにつながっただけで、自分は最後のおいしいところを任されただけだ。これを勘違いして、自分がうまかった、と思ってはいけない。それは調子に乗るきっかけとなってしまい、この先の成功を阻害してしまう。自信と過信は紙一重だ。過信は慢心に、慢心は失敗につながる。過信することなく、謙虚に成長のための努力を続けろ、という意味だと理解している。 さらに、人は失敗するとどうしても他人のせいにしたくなってしまう。自分に非はないと決めつけ、なぜうまくいかなかったのか反省する心を持たなくなってしまう。反省がなければそこから成長するのは難しい。他人を批判するのではなく、まず自分にできることがなかったのかを考えるのが大事だと思う。 もう一つ、高校時代のサッカー部の監督の言葉。大会パンフレットのチームのプロフィール欄。各チーム「一戦一戦全力で戦います」「チーム一丸となって優勝を目指します」と書く中、我が母校はただ一言 「目の前のゴミを拾える人間になる」 と書いていた。しばしば周りからは「なんだこれ」「サッカー関係ないじゃん」「ここに書くことじゃないだろ」と馬鹿にされるが、実は意外と奥が深いと思っている。 まず、文字通りの解釈をすると、ゴミは汚いし、臭いし、ましてや他人のゴミとなると普通は絶対に拾いたくない。拾おうと思うとしたらよほど機嫌