2017年4月29日土曜日

目標(仮)


ホームページに今シーズンの目標を書く欄がある。深く考えずにフィーリングで




チームの『軸』と言われるプレーヤーに成長すること




とした。

よくもまぁこんな大きな目標を

二年生らしく『レギュラーとして一年間試合に出続ける』とか、保険をかけて『(途中出場でも)チームに貢献する』とかいくらでも他に目標の立て方はあった。正直、自分の実力だとそれくらいが妥当といえば妥当だ。

でも、それでは




その程度でいいのか?




と『リトル中村』に言われる。

34年生になってチームの中心としてプレーするのは今の所、僕にとっては最低限の目標だ。でも、2年生の段階でチームの軸になれれば自分はかなりレベルアップできるんじゃないかと胸が高まる。







このミッション正直相当難しい。そもそも俺が軸になる必要なんてないもん、四年生上手い人いっぱいいるし。







まぁいいや、やるだけやってみよう。挑む価値あり。




2 中村紳太郎

2017年4月27日木曜日

広島東洋カープから学べること


今週末、東京都大学サッカーリーグ2部の2017年シーズンが開幕します。



ア式にとっては99年目の、

私にとっては、ア式で過ごす3年目の春、折り返し地点がやってきました。



2年間過ごしてきて感じるのは、大学スポーツの難しさです。

入部した瞬間から、4年後の引退が決まっている、というこの世界において、クラブを持続的に発展させるのは、とても難しいことだと痛感します。





4年間。

これが、私たちに等しく与えられた時間です。





1部と2部を行き来したこの2年間は、それぞれの年の個性はあれど、チームとして同じような道筋を辿っていたように感じます。



ひとりひとりに目を向ければ、もちろん成長しているでしょう。しかし、技術的にも精神的にも最も成長したであろう4年生が引退し、新たに1年生が入ってくる、という毎年の流れの中で、チームとして成長できているのでしょうか・・・。







ここまで考えて、ふと思い立ったのは、「全盛期の選手がチームから抜けてしまうジレンマ」は、資金力のないプロチームでも見られる、ということです。



せっかくチームのエースが生まれても、資金力に劣るチームは引き留めることができず、全盛期の選手を失ってしまう。

大竹を、マエケンを、遡れば、金本、新井、黒田をFAで失った広島東洋カープは、その代表例かもしれません。





12球団で唯一親会社を持たない広島は、資金力では他チームに劣ります。

しかし、昨年はセ・リーグで巨人や阪神を破って優勝、今年もその勢いそのままに首位をキープしています。



カープつえー。

ということで、ア式がチームとして成長するヒントを得るべく、カープの強さの理由について考えたいと思います。





私が思う、カープの強さの理由は3つです。



育成がしっかりしていること

チームとその周囲が同じ方向を向いていること

機動力野球





では、ここから、ア式に当てはめて考えてみます。





の育成。これは、絶対に必要ですが、足りていないことのように思います。4年生が抜けた穴を埋める選手が、その選手と同じくらいの活躍、将来的にはその選手を超えるような活躍をするような育成が理想です。

個人の成長は、各々の主体性に任されがちですが、「育成」という観点で考えてみることも必要なのかもしれません。



も、ア式にはまだまだ足りないように感じます。

4年生も、1年生も、スタッフも、OBも保護者も、同じ方向を向く努力がなされているのか。「関東昇格」という目標を、それぞれが己の中に明確な意志を持って達成しようとしているのか。

なにもせずに、自然と同じ方向を向くのはなかなか難しいと思うので、私は今年、自ら考え抜き、ビジョンを共有することを意識して過ごしていきたいと思っています。



は、野球とサッカーで競技は違えど、走りながら好機を窺う、という戦い方は、戦力が安定しないチームには適したものなのかもしれません。







ここまで、チームとして成長することの難しさについて長々と書いてきましたが、1つの試合で勝つこともまた、とても難しいことです。



でも、難しいことに挑戦することは、決して辛いことではなく、ワクワクすることだと思います。





今週末からのリーグ戦、

1戦1戦大切に、絶対に結果を残しましょう。





カープ女子ではありません。
3年スタッフ 小坂彩

2017年4月24日月曜日

裏側


高校時代、正直サッカーの練習は辛かった。火曜日から土曜日は毎日朝練。どんなに寒い日も、どんなに疲れている日も、どんなに雨が降っている日も、7:00からの練習に向かわなければならなかった。長期休みのときは、練習の1時間前くらいに学校に到着し、壁に向かって少しボールを蹴り、練習中は顧問の先生に怒鳴られ、走らされ、練習が終わると少し自主練をし、帰っていた。オフは1週間に1回。2日連続のオフがあるのは年末年始だけだった。

大学に入ってからも、中学・高校時代と同じように、練習の時間になったらボールを片手にグランドに出て、与えられたメニューを必死にやり、練習が終わるとみんなで片付けをしたあと着替えて帰っていた。



今年最上級生となり、部のことが少しずつ見えてきたような気がする。主務という仕事柄、部のOBや他の役職のことを知り、理解するようになってきた。そこであることに改めて気が付いた。



普段当たり前だと思っていることは、実は当たり前ではない。



これは様々なところで頻繁に言われていることである。当たり前だと思っていることに感謝の気持ちを持ちましょう、的な流れが多い。もちろん自分も頭の中では理解しているつもりだった。しかし、いざ現場の裏側を見る機会が増えると、自分が想像していたよりもはるかに多くのことが自分の知らないところで行われていた。



1年生のころの自分は、当たり前のように、ただグランドに来て、練習をして、帰っていた。週末には当たり前のように練習試合が組まれていて、プレーしていた。

実際には、毎日練習メニューを考えてくれるコーチがおり、練習を仕切ってくれるOBコーチがおり、OBが用意してくれたゴールがあり、スタッフが用意してくれた水があり、練習試合を組んでくれていた先輩がおり、ビデオを撮ってくれるテクニカルチームがおり、1回の練習、練習試合の度にたくさんの人がチームのために働いてくれていた。僕の知らないところでも、これよりももっと多くの人が働いてくれているはずだ。

OBの方々が大枚をはたいて現役の活動をサポートしてくれていること、学連のスタッフが身を粉にしてリーグ戦を円滑に運営してくれていること、忙しい中コーチがチームの状況を考えて戦略を練ってくれていること。例を挙げだしたらキリがない。たくさんの人が練習の時間内外にかかわらず、見えないところでチームのことを考え、頑張ってくれているのだ。



ふと高校生のころを思い出した。毎日練習を見てくれていた顧問の先生は、当然自分と同じように、どんなに寒い日も、どんなに疲れている日も、どんなに雨が降っている日も、練習に向かっていたのである。結婚して子供もいるのに、正月の13日から生徒とともに合宿にいっていたのである。自分のことを怒鳴り、走らせていた先生は、実はチームの管理をすべて一人で行っていた。大学で舞台の裏側を少し見ることができ、過去の自分がいかにのんきに過ごしていたかを知ると同時に、サッカーに没頭できていたのは周りのたくさんの人たちのおかげであったとわかった。



見えないところでたくさんの人が自分のために頑張ってくれていた。普段当たり前だと思っていることは実は当たり前ではない。このことを身をもって知れただけでもいろいろな部の仕事に携われてよかった。部の仕事をするのは大変だ、サッカーに集中したい、と思う人が多いかもしれないが、(特に新入生は)ぜひ積極的に部の仕事に携わってほしいと思う。僕自身はそれによって人間として成長できていると感じるし、物の見方が変わったと感じている。



そして、陰で頑張ってくれている人に恩返しをするにはやはり勝つしかない。リーグ戦開幕がすぐそこに迫っている。絶対昇格するぞ。


4年 服部直弘

2017年4月19日水曜日

要塞


201612311600(イギリス時刻)

イギリスを訪れた僕はある要塞に足を運んでいた。ライムストリート駅を出発し、歩くこと30分。日が暮れて灯がともり出す街の中心部が遠く下の方に眺められた。同時に、要塞が近づいてきたこと非常に胸が高鳴っていた。




201612311615

人数が増えてきた。誰もが要塞に向かう同士である。赤い帽子をかぶっている8歳くらいの男の子とその父親。テンションが高い青年3人組。赤いマフラーをつけた早足のおじさん。ゆっくりお喋りしながら歩いてる老夫婦。皆が志を同じくして要塞へと足を運んでいた。




201612311625

到着した。空はすっかり暗くなったが、要塞は真っ赤に輝いていた。要塞に刻まれた名は『Anfield』。そう、リヴァプールFCのホームスタジアムである。ここでリヴァプールFCは数々のドラマを生み出してきた。ファンであれば、一生に一度は訪れたいと思う場所であろう。この日はプレミアリーグ第19節マンチェスター・シティ戦が行われることになっていた。

要塞の外は非常に賑わっていた。多くの店が並び、食べ物やグッズ、パンフレットが売られていた。大型ビジョンには前回のシティ戦のハイライトが流れ、沢山の人で盛り上がっていた。皆が皆、30分後を待ち望んでいて、僕もとても興奮していた。




201612311635

入場口での厳重な検査を超えた先には、とても言葉にはできないような世界が広がっていた。画面の中でしか見たことがなかった大好きな選手たちが目の前でアップしていた。席はもう大分埋まっていて、両チームのアップに対する野次や声援が飛び交っていた。沢山の光によって照らされた要塞の内側は、1つの大きな生き物のように奮い立っていた。




201612311658

試合開始直前、要塞の中をある歌が響き渡る。

You'll never walk alone

大声で歌う者。早口で歌う者。明らかにメロディがおかしい者。もはや叫んでるだけの者。統率されたとは言い難いサポーターたち一人一人の魂の叫びが、要塞を"要塞"としていた。




201612311700

試合開始。要塞は"要塞"としての力を発揮する。1つのプレーのたびに起こる歓声、悲嘆、どよめき、ブーイング。全てが選手たちを後押しし、リヴァプールFCを勝利へと導いていた。







試合結果は1-0

前半序盤のワイナルダムのゴールを守りきったリヴァプールFCが勝利を飾った。

ゴールシーンでのサポーターたちの歓声は凄まじいものであったが、それよりも試合を通じての熱意のこもった声援が印象的だった。







サッカーにはホームとアウェイが存在する。多くのチームがアウェイよりホームでの勝率の方が高い。これにはピッチ慣れや移動距離、試合前の準備や気候など様々な要因があるが、プレミアリーグにおいてはスタジアムの『要塞』としての力が非常に大きいな要因になっていると感じた。




しかし、これはプレミアリーグに限った話ではない。Jリーグではプレミアリーグに比べ、ホームの勝率は低いというデータが出ている。とは言っても、Jリーグでもアウェイよりホームでの方が勝率は高い。




御殿下グラウンドだって『要塞』にできる。ピッチ内の選手たちはプレーで観客を本気にさせることができる。ベンチの選手たちは試合に出ずともピッチ内の選手たちを鼓舞することができる。ベンチ外で応援する選手たちは応援歌でピッチ内の選手を後押しすることができる。ピッチ内外での結びつきがより強くなれば、御殿下グラウンドを『要塞』にすることができると思う。




まもなく開幕のリーグ戦。御殿下グラウンドを『要塞』にしてやりましょう。


2年 島田

2017年4月17日月曜日

プロテイン5000mg配合


この大学に入ると一年生が最初にぶつかる壁としてALESS/ALESA、そして初年次ゼミナールの二つの授業がある。それぞれ英語と日本語で論文を書く授業であるが、そこで繰り返し言われるのが、論文で述べることの根拠をしっかりと挙げて論を立てろということである。専門家の意見、実験、統計の数値などしっかりとした根拠を挙げなければ論文内の主張は一切認められないのである。



そういう授業を受けていると何事にも疑り深くなってしまう。



先日生協で飲み物を買おうと商品棚を見てみると、CMで有名な某大手ジムの新商品の500mlペットボトル飲料がおいてあった。それには大きくプロテイン5000mg配合と書いてあった。筋トレに効果がありそうな包装に、あたかもプロテインがたくさん入っているような書き方がされているが、要するにたんぱく質が5g入ってるということだ。牛乳コップ一杯で約7gたんぱく質が入っているのでそっちを飲んだ方がはやい。



最近こんなことについ目がいってしまう。そんなことを見つけて人生楽しいのか、と言われてしまいそうだが、別に好きでこうなった訳ではない。全部ALESAと初ゼミのせいである。といいつつも全部人の言うことを鵜呑みにして自分では考えもせず、周りに流される人間でありたいとも思わない。



高校時代、選手権までサッカーを続けたら東大には合格できないということが既成事実のように自分の周りでは語られていた。そんな中、総体でチームの主力は全員引退した。残ったのは控えだった自分を含めたった三人。そんな状況でサッカーを続けることに意味なぞないと言う人もいた。ただそれでも自分は意地でもサッカーがしたかった。だから続けた。結局サッカーで結果は残せなかったが、それでもあの半年間は自分にとってサッカーと勉強の二つに本気で取り組めた大事な時間だった。



世の中既成事実のように語られていることが、実はいい加減なことだったりもする。結局のところ大切なことは何事も自分でしっかりと考え、見極めることである。だから自分は誰がなんと言おうとしっかり自分を持って、サッカーも勉強も頑張って行きたい。



2年新屋輝長

2017年4月10日月曜日

雨曝し


「次の1歩で 滑落して そこで死んでもいいと思える1歩こそ ただただ 命にふさわしい」



先日いったライブで僕が1番感銘を受けた言葉だ。いつも何となく聞いてた歌詞だったけど、いざ生で聞くとずしっと重みがあって、やっぱりライブっていいなあと思った。

大げさかもしれないが、人生の岐路に立ったときにはこの言葉を思い出したい。



僕自身、大きな決断は3回あった。



最初は10歳で、水泳かサッカーを選ぶとき。そのときの僕は完全にサッカーに傾いていたが、水泳のほうが向いてると周りに言われ悩んでいた。

ただ、水泳の練習は地獄だった。無呼吸の練習が毎日で、死ぬんじゃないかと思いながら辛すぎて泣きながら泳いでるときもあった。このまま10年続ければオリンピックにいけると言われたが、さすがに無理だと思った。



次が12歳のとき。こんどはサッカーか受験か。正直サッカーしたかったし、受かるかわからないがJr.に行きたいと思ってた。

けれど、親の意思はかたくて僕自身もチーム内で上位ではないと分かっていたこともあり、ここでプロになるのを諦めた。



3つ目は大学に受かったとき。

後期合格なので理3以外の科類を選べる状況だった。生物系が好きだったが前期落ちてる時点で向いてないよなあと思い、進振りに有利そうな文1を選んだ。







新入生ならどこの団体入ろうか迷ってる時期だと思うし、入ったら入ったでやめるか続けるか迷うことになると思う。

けど、結局何を選んでも隣の芝生は青いし、過去の選択のつじつま合わせみたいにいまの自分を正当化することしかできない気もする。



あーどっちにするかなーと悩んでるとき、僕は冒頭の歌を思い出して、忸怩たる思いを抱くよりもむしろ大胆に進むことのが大切なんじゃないかなと最近思うようになった。



僕が迷ったとき必ず聞いてるのがamazarashiというバンドで、せっかくなのでそのヴォーカルが昨日言ってたことを書き留めておこうと思う。気が向いたら楽曲も聞いてください^^;



戻らぬと決めたら旅路へ戻れ





今日だってどうせやまない雨





降らば降れと天をにらみつけ





どうか挫けず光へ進め

















テニサーの新歓してる女子は5月から来ない



3 増田伶

2017年4月3日月曜日

その選択に後悔はないか


去年の9月の終わり




「右膝前十字靭帯断裂、手術は11月で復帰はそれからだいたい8ヶ月後になるかな」




医者に言われた瞬間、「え?待ってくんね?え?おれ、もう来年で最後だよ?え?6月復帰?」




目の前が真っ暗になった。。。。






















って感じで怪我について書こうと思ったんですけどまだリハビリ期間中だし、復帰後にどうなったかとかまで書きたいので怪我については次の次くらいのfeelingsで書きます。(まだプレイヤーは辞めてません、頑張って復帰します。)




(どうせみんな同情票の稼ぎやすい怪我について書くと思ってたんだろ。)
















さて、何について書こうかなと考えたらちょうど新歓の時期ということなので自分がこの部活に入った経緯、そしてその入部という決断を今どう思っているか、といった事について書こうかなと思います。




いま、ア式を考えている新入生達が読んでくれて少しでも参考になってくれたら幸いです。




まず、なぜ僕はア式に入ったのか。




正直言って入学当初は大学で部活をやろうなんて全く考えていませんでした。

ただ、これといったサークルも見つからなくて大学生活どうしよっかな~って悩んでいるところに高校からの友達(寺内)がア式の体験練習に行かないかと誘ってくれたのがきっかけでした。

寺内が大学の近くのカレー屋(ルーシーだったかな)で添田さん(当時の主将)の駒場コンパでの話を僕にしてくれたのは今でも覚えています。




「本気でサッカーができるのは大学が最後のチャンス、本気でサッカーをしたい人にこの部活に入ってもらいたい。」




詳しくは覚えてませんがこんな感じの内容だったと思います。こんなあやふやな記憶で引用してしまうと、先日の卒業式で今話題となってる式辞を読み上げた教養学部の学長さんに怒られてしまいそうですが。




この言葉を聞いて僕は、果たして今までの人生で本気でサッカーをしていた瞬間はあったのかと考えてみました。




サッカーは小中高と続けてきましたが確かに小学校の時は純粋にサッカーが好きでサッカー中心の生活を送っていました。しかし、中高と受験を意識するようになってくると次第にサッカーよりも勉強が優先、なんなら早く引退したいとも思うようになっていた気がします。




そんな中高生活を振り返り、サッカーよりも勉強を優先してしまったことを後悔したし、受験を気にせずに部活だけに本気でコミットできていた奴をどこか羨ましく思いました。進学校出身の人なら少なからず分かってもらえるのでは……




もう一度サッカーを他の何事よりも優先して、本気で打ち込めるのは確かに大学が最後のチャンスなのかもしれない。

このチャンスを逃したらきっといつかまた後悔するときがくる。




そう思って入部を決意しました。










そんな、人生で一番大きいとも言える決断をして早三年が経ちましたが、、、




一度もあの決断を後悔したことはないと言うのは流石に嘘になります。




長期休みの度に友達の海外旅行の写真で溢れかえるFacebook、次々と可愛い彼女ができていく高校の同期たち。(サークルオリでテニスサークルの女の子たち見ましたけど本当に可愛いですね。)




正直、そういった世間一般の大学生活をエンジョイしている友達を羨ましく思うことも多々ありました。




よく、部活の友達と理想の大学生活は

イケイケのサークル入って、可愛い彼女つくって、適度に勉強して、留学して、インターン行って、3年の冬には有名外資企業の内定をもらって、最後の年は旅行しまくることだ、なんて冗談で言ったりもします。




大学の貴重な四年間をただ一つの事に捧げるというのはこんなにも失うものが多かったのかと何度思わされたことか。







ただ、「四年間を一つの事に捧げる」からこそ得ることができるものの方が圧倒的に大きい。




と信じて続けてきたし、ここまで続けてきて実際にそう感じています。




それがかけがえのない同期先輩後輩といった仲間なのか、リーグ昇格の喜び、達成感なのかは人によりけりですが最後の学生生活を捧げて得たものは他の何事にも代えがたいというのは間違いないです。




「大学で様々な経験をしたい、いろいろな事にチャレンジしたい」そう思ってこの大学に入学してくる人も多いでしょう。仮にも日本の最高学府である東大に入ったのだからそう思うのは自然だと思うし、実際素晴らしい志だと思います。

ただ、そういった選択を捨て敢えて一つの事をやり抜くと決意し、それに全力でコミットすることも同じくらいに価値があることだと思います。




先日の卒部式でひとつ上の先輩方を見送りましたが、一人一人壇上でそれぞれの4年間の思いを話す姿にア式を選んだ事に後悔している様子はなかったと思います。




僕も本当にこのア式という組織からたくさんのものをもらってきたし、サッカー以外にも一人の人間として大きく成長できたとも思っています。







引退間近みたいな感じで書きましたがまだ最後のシーズンが残っています。




まだまだこの組織で経験できることは沢山あるだろうし、まだまだ自分も人としても選手としても成長できると思っています。最後の一年はこれまでの三年間とは全く異なる年になるでしょう。

来年の卒部式で先輩方のようにア式を選んだ事に後悔はないと胸を張って言えるようにしたい、そういった最後の一年にしたい。本気でそう思っています。







この時期は新入生は色々な団体が魅力的に見えて悩むかと思います。その中から選ぶ上で、4年後にその団体に入った事に後悔はないと胸を張って言えるか、それくらい全力でコミットすることができそうな団体かというのを一つの基準として持ってもらえたら嬉しいです。




その結果、もしア式を選んでもらえたなら一緒に本気でサッカーをしましょう!

そして今年、一年での東京都一部復帰を達成しましょう!



















まず怪我を治せって話ですね、僕は、、










新四年 MF 田中







ごめん、尾上、おれは普通にノボリとプレーしたいわ

2017年3月31日金曜日

僕が生駒里奈を推す理由


君は何者だろうか。




もちろんこれは、1人のサッカー選手として「何者なのか」という問いである。

個人的にサッカー選手としての「何者か」は決めておく必要があると考えているので、今回は僕なりの「何者か」になる方法について書いてみたいと思う。







有名企業の人事が見ているかもしれないから、結論から言ってみる。

重要なことは3つある。




1.その役割はチームに求められているか

2.その役割は自分の強みを生かせるか

3.その役割は他人と違いを生み出せるか




この点を意識しながら、続きを読んでもらえると嬉しい。







僕は冬オフ中に今シーズンのテーマを1つ掲げた。チームとしてはもちろん「一部復帰」なので、個人のテーマである。テーマ(目標)からの逆算でこそ、行動は決まってくるものだ。

「昇格に貢献する」

まぁ、そりゃそう。でも、大事なのはここから。「貢献って何?どう測るの??」などと、グループディスカッションの帝王、北西から突っ込まれそうである。余談だが、彼の場合「ロジカルシンキング」ではなく「フィジカルシンキング」だと思う。







じゃあ、「昇格」への貢献をどう定義し、計測していくのか。個人的に、目標を掲げた以上はそれをある程度定量化して、進捗を計測する義務があると思っている。

昇格への貢献には様々な方法がある。「点を決める」「失点を防ぐ」「データを分析する」「グランド業務をこなす」 etc

様々な貢献の方法の中から、僕は「チームで誰よりも早く切り替え、それを90分間持続させること」にした。正直な話、もっと別なやり方が良かった。巧みなドリブルで相手を翻弄したいし、強烈なミドルでゴールをぶち抜きたいし、華麗なスルーパスも出したい。

しかし、自分にはこの道しかないように思えた。

なぜか、それは簡単で、先程の重要な3つの要素を満たしているから。以下、検証。




1.その役割はチームに求められているか

もちろん、求められている。「切り替え」はア式どころか、サッカーの基本中の基本。これは誰もが言ってる。




2.その役割は自分の強みを生かせているか

生かせている。武田、こう見えて真面目で律儀にこなすタイプ。あと、「コウヘイってギュンギュン系だよなぁ」ってヨンジャンさんが言ってた。




3.その役割は他人と違いを生み出せるか

「切り替えの速さ」という点では違いを生み出せる気がする。これは去年のOBコーチに言われて初めて気づいたのだが、チーム内では速いらしい。あと、「武田さんって、切り替え速そうですよね!」って銀座の可愛い美容師さんが言ってた。







そうと決めてからは、「切り替え」のことにほとんど全てを集中させた。今まで「インサイドパス」や「ミドルシュート」の鍛錬に割いていた時間を「切り替え」というただ一点に。「切り替え」を「心の切り替え」と「身体の切り替え」に分解し、「心の切り替え」に関しては、どの練習中でも切り替えを意識することでスピード感に心を慣らした。

「身体の切り替え」に関しては、スプリントとターンに必要な筋肉を調べ上げ、その部位を鍛えるトレーニングメニューを自分なりに作り、試合が無い日はジムに通ってトレーニングを続けた。







地味だ、ものすごい地味だ。僕の理想とするプレーは、試合では決して目立つようなプレーでもなければ、結果に直結するプレーでもない。特に筋トレなんてめちゃくちゃ地味だし、正直葛藤の日々である。

でも、それでも続けているのは、みんなと勝ちたい、ただそれだけ。そのために自分にできることをやっている、ただそれだけのことである。







みんなにも、「チームの中での自分の役割(何者か)を見極め、その役割を全力で演じ」て欲しい。その役割というのは人それぞれで、誰もが憧れるストライカーかもしれないし、僕みたいにクッソ地味な脇役かもしれない。中には脇役に抵抗がある人もいるかもしれない。ただ考えてみてほしい、脇役でも輝いているアイドルがいることを。







そう、生駒里奈。

彼女には飛び抜けた才能がなく、飛び抜けて顔が可愛いわけではない(僕は世界一可愛いと思っている)。しかし、彼女の知名度が乃木坂46の中でも突出しているのは、自分の役割を見極め、それに必要な努力をしてきたから。そんな彼女を心から応援しているし、大好きである。







僕は彼女とそっくりで、才能が無い。身体能力高くないし、めっちゃ上手くもないし、サッカーあんま知らないし。だから「切り替え」という道を選んだ。それが僕の「何者か」なのである。

これまた余談だが、ロマンスのスタートという乃木坂468枚目シングルのカップリング曲のMVの最後で生駒里奈が失恋した主人公に対し「切り替え、切り替え大事!」って言ってたことも、かなりデカイ。




だから引退まで、僕は必死で脇役を演じる。










そして死ぬまで、生駒里奈を推し続ける。









4年 イケイケ広告マン      武田康平

2017年3月24日金曜日

「さあ、今日は楽しめるのかな?」



「さあ、今日は楽しめるのかな?」

去年、公式戦前にしばしばカリブ大先輩とこのように確認し合ったものだ。彼はどう感じていたか知らないが、自分はその言葉を発すると不思議といいプレーができる気がした。

しかし同時に、少し困惑していた。自分は楽しむためにサッカーをやっていたのか。



4歳からサッカーを始めてずっと上を目指してやってきた。結果が出ると、周りからも常にステップアップすることを求められ、自分でもより素晴らしい成果を追求してきた。「将来」のために「今」を我慢し、努力を重ねてきたつもりだ。

そんな中、去年僕はプロを諦めた。苦痛な決断であったので、詳細は割愛したい。かつては、プロを目指さない人が本気でサッカーをやるなんて信じられなかった。しかし、実際にやってみるとプロを目指していた頃よりサッカーが楽しいではないか。

以前より創造的なプレーをしたり柔軟な戦術眼を持つことができるようになった。



なぜか?

自分のサッカーに注げる時間的・情熱的コミットメントは圧倒的に以前の方が大きかった。なぜ、コミットメントを減らした今の方がうまくいっていてサッカーが楽しいのか?悔しいし、情けなかった。でも自問せずにはいられなかった。そこで、最近一つの答えがわかった気がしたのでこの場で共有したい。

それは、「今を追求する」ことである。例の「楽しめるのかな?」というメンタリティである。



上を目指していた頃は、「この試合でいいプレーができなかったら…」、「明日の試合は重要だから、今日は...」などという具合に常に来るべき将来に準備することを考えていた。試合中も、「残りの時間でボールに絡めなければ」、「あと何分体力がもつか...」という雑念に支配されていたように思う。

サッカーを真剣にやっていた人なら少なからず共感ができる部分があるのではないか。



しかし、プロになることを諦め、楽しむことを目的にし始めたあとの自分の頭の中には、「今」しかない。試合がどういう状況で、今自分が何をしたらチームを救うことができ自分が楽しめるか。常にそんなことを考えている。更には、相手の心情にも想像を膨らませることができるようになった。相手の考えていることを想像して、相手が嫌がるプレーとはどういうものか。常にワクワクしている。もちろん、自分のプレーや技術がそのワクワクに追いつかないことばかりであるが、そんなことは関係ない。楽しいし、何より自分が以前よりチームに貢献できている感覚がある。また、今に集中しているから練習の質も高く上達していくイメージがある。



大学に入ってサッカーを本気で続ける理由は二つしかない。一つはプロを目指すため。そしてもう一つは好きだから。後者のケースがほとんである東大のサッカー部にとって、上のようなメンタリティが少しでも役に立つのではないか。そう思って、自分の経験を偉そうに書かせていただいた。



プロのスポーツ選手でさえ、「知らないうちに」記録を更新したり、偉業を成し遂げたりしていたという内容の発言をよくしている。今を楽しむ。楽しむことを追求する。自分の得意のプレーに注力して少しでもチーム貢献する。その先に上達があるのではないか。もちろん、ハードワークを厭うわけではない。ハードワークさえも楽しむ工夫が大事だと思う。

今季の目標であるリーグ昇格は何としてでも達成したい。でも、理想はそれぞれが今日の練習を楽しみ、上達し、いいプレーを続けていくうちに「知らないうちに」リーグ優勝が決まっている状態だと思う。



「さあ、今日は楽しめるのかな?」



4FW 多田憲介
今シーズンの個人的な目標は、怪我なく毎試合ワクワクしながらプレーし、自分のサッカー人生を締めくくること。

2017年3月22日水曜日

春服とサッカー


 中級ファッショニスタの仲間入りを果たしつつある筆者の見解によると春のファッションのポイントはシンプルである。上下で濃×淡または淡×濃の色合いになるようにサイズ感のあったパンツとシャツまたはTシャツを組み合わせればそれで大体完成である。あとはアウターとしてテーラードジャケットやカーディガンまたは春ニットを着れば大抵の人から見れば、少なくともとてつもなくだらしない格好の人がチラホラいる東京大学のキャンパスを歩くぶんには十分オシャレとして認識されるだろう。変に凝った色やデザインの服はあまり必要ではなく、たったこれだけのシンプルな服装で十分だと思う。

   春服で重要な要素になるであろうこのシンプルさ、最近サッカーにおいてもとても大事なことなのだと痛感させられる。強い学校と試合したり、ユナイテッドの人たちの練習を見てると、もちろんずば抜けた身体能力、体格を持っている選手もいるのだが総じて言えるのは皆シンプルなプレーの精度がとても高い。単純なビルドアップの場面やボールを取った後逃す場面などまずミスがない。ア式が比較的同じ強さの相手と試合するときにはあまり目立たないが強い相手とやるときにはそういう単純なプレーの精度の差が顕著となってしまう。 

 去年1部を最下位で降格したア式だがやはり単純な技術の差は1部のチームと比べて明らかだった。基礎技術を磨いて出直してこいとの1部からのメッセージとして受け取るしかない。2部で戦う今年だが、1部のチームとの技術差をどこまで埋めることが出来るのかが勝負となるだろう。そうでないと昇格してもすぐに降格してしまう。まずは1部に安定できるように。皆が1部の技術レベルを意識して日々の練習に臨めるといいなあ。







と以上1スタッフの感想でした。



あと卒部式で富さんが行ってたようにみんな筋トレはサボらずやりましょう。





課題はワックスの付け方

3   濱田 広輝

2017年3月21日火曜日

山里亮太イズム


大学生になってから3年という時間が経過しようとしている。いま僕の中の大きな部分を占める感情はある種の諦めである。

この諦めという表現が一般的な意味のそれと一致しているか、そしてチームを率いる立場として適切であるかはわからないが、自分の中では一番しっくりくる言葉だ。



経済学部に進学すること。

英語を話せるようになること。

中国語を話せるようになること。

自炊すること。

毎朝7時に起きること。

週に1本映画を見ること。

エクセルを使いこなせるようになること。

関東昇格。

東京都一部リーグの最優秀選手になること。

カフェのかわいい店員さんに話しかけること。





これらは大学生になってから現在までで、自分がやろうと決意したが実現できなかったことのリストである。もちろんこれ以外にもたくさんある。誰でも数分考えれば10個程度は列挙することができると思う。



僕の場合、これらができなかった原因はいずれについても同じで、自らの内から出てくるエネルギーの圧倒的な不足である。やろうと思ってからしばらくは持続しても、もしくはある程度の成果を得ても、時間が経つと自らを突き動かしていた衝動は縮小し、目標を達成するより前に挫折する。終いには挫折の要因を外的な要素に帰すことでその一件を落着させようとする。



自分にはできると盲信し、幾度となくそれが過信であると気づかされるうちに、自分の限界というものを無意識のうちに自覚させられる。悲しいかなこれが大人になるということなのかもしれない。



これが僕の中にある諦めという感情の少し詳しい説明である。





話はガラリと変わる。





人が前進するための方法は2つしかないと思う。

(そもそも前進しようとしないという選択も人生を楽しむ上では賢いものだと思うが、自分はどちらかというと前進することの方に魅力を感じる性質を持っている。)



一つ目は自分で動くことだ。



これは、自分の中に強い意志を持ち、それによって自分の行動を決定していくということである。それができる人間はおそらく多くはないが確実にいる。

僕は中高と私立の進学校に通っていたので、サッカー部は決して強くはなかったし、意識が高い部活でもなかったが、とある同期部員は毎朝、毎昼休み、毎放課後にグラウンドに出て練習をして神奈川県の国体選手に選ばれていた。

彼は能力も高く得られた成果も大きかったが、能力の高い低いもしくは得られる成果の大きい小さいに関わらず、このようなプロセスをへて成長できる人間は心の底から尊敬できる。





二つ目は外的な力で動かしてもらうことだ。



これは、自分の意志に関わらず外的な力とによって、いわば強制的に自分を動かすということだ。この外的な力というの多種多様であり、時としてそれは人であったり環境であったりする。

ウェイトトレーニングを自分1人でやるときとトレーナーさんについてもらってやるときとでは追い込みの具合が大きく異なる。それは翌日の筋肉痛で文字通り痛感させられる。

僕の尊敬してやまない芸人の山里亮太さんは、著書『天才になりたい』の中で次のように語っている。「僕は根性がない。好きなことにはストイックになれるけど、嫌いなことにはまるで根性ない。逃げ道があったら、すぐそこに逃げてしまう。(中略)だから、逃げ道を断ってしまえばいい。簡単に言うと後に引けない状況にしてしまう。」

もちろん、そういった状況に身を置くという最初の行動自体にもエネルギーが必要だが、瞬発的にエネルギーを出すことはそれを維持することよりもいくらか楽なはずである。





文章の前半で書いた諦めとは自分で動くことへの諦めである。ここに関しては自分の中にある諦めの感情を自認せざるをえない。ただ、幸いなことにやり方は他にも残っているのであり、決して前に進むことについて諦めたわけではない。



自分なりの最高速度で前に進んで行く。













という感じのFeelingsです。





やはり諦めという言葉の有する負のイメージが強いのか、ここまでの文章を読み直した時、書いた本人でもネガティヴな印象を持ってしまいます。これらの所論は、前に進むためにどうすればいいのかを自分のこれまでの行動と内面から分析し真剣に考えた記録として、ポジティブに捉えてもらえると嬉しいです。



ここまで読んでいただいてありがとうございます。





『天才になりたい』もし読みたい人いたら貸します!おそらくいないけど!

4年 主将 沢登孝介

2017年3月14日火曜日

This one's for you


今年の1/8、幕張メッセで行われたデヴィッド・ゲッタのライブに高校時代の友人と行った。前日に同会場で行われたフェスと合わせたこの2日間が僕にとって冬オフ中の唯一のイベント事だったのだが、そこで最高の体験をすることができた。


初めてデヴィッド・ゲッタの曲を聞いたのはおそらく中3の頃だったが、それ以来ずっと好きで聞き続けていたので今回のライブは心の底から楽しみだった。そして実際、言葉で言い表せないほどに感動を味わうことができた。
中でも"This one's for you"という曲が流れたときは自然と涙が出てきた。
知っている人も多いだろう。昨年6月から7月にかけて行われたユーロ2016のテーマソングだ。
彼はこの曲の直前に、
「サッカーと音楽はとてもよく似ている。世界中の多くの人をuniteするし、みんなをhappyな気持ちにする。自分がこの曲でその両方に関われたのはすごく幸せだ!」

的なことを言ってた。
後から考えると彼にとってはあくまで曲紹介程度のつもりだったのかもしれないが、実際に会場の興奮に包まれた中で聞いたときは、なんて最高なMCなんだ!と思った。楽器が演奏できるか、フルコートでゲームをやったことがあるかなんて関係なく、世界中で数え切れないほど多くの人が音楽やサッカーを愛している。


サッカーが好き。サッカーに携わるにあたって一番大事なのって、結局そういう気持ちだ。






東大ア式に入って強く感じるのは、みんな頭が良くて自分自身の事もチームの事もすごくよく考えているということ。feelingsを書くにあたって以前の投稿を遡って読んだが、自分が思いつかないような深い話が多くて考えさせられる。ただ、サッカーやチームについて普段難しく考えることが多いからこそ、原点に返って真剣なサッカーを楽しむこと、楽しもうと意識することって大事だ。

ユーロ2016がポルトガルの劇的な優勝で幕を閉じた約1か月後、自分は京大戦後のチーム再編で実質的に戦力外通告を受け、ア式を辞めようか迷っていた。2週間ほどチームを離れて先輩や友達、恩師に相談をもちかけたりしたが、やはりア式に残りたいと思った一番の要因は本気でやるサッカーが好きだったからだ。

その後もこのままLBで続けることが自分のためになるのかと迷うことが何度もあったが、リーグ戦でAチームが格上の相手に勝ったり、新人戦で同期や先輩が活躍したり、スタッフがいろんな形でチームに貢献しようとしている姿だったり、そういう部員一人一人の戦う姿勢とそれに伴う結果を見ることで、焦ると同時にやっぱりサッカーが好きだと感じた。その感情のおかげでもう一度正式なプレーヤーに復帰したいというモチベーションをキープできた。



そして現在、育成チームに復帰したものの、怪我でろくに練習参加できず悶々とする日が続いている。そんなときどうやって気持ちをコントロールするべきだろうか。

もう意識すべきことはわかってる。



誰もが理解していて何度も考えたことのあるような当然の話だと思うけど、心理的に負担の大きいときほど意外とこれを意識するのが難しい。それを去年何度も実感した。でも常に意識できれば自分にも周りにもいい影響があるはず。個々がそうやってもっともっと魅力のあるチームを作り上げていけたら素敵だなぁと思う。

関東昇格を見据え、まずは東京都1部昇格に向けて全力で底上げに励もう。



This one's for myself

1年       皓亮

2017年3月12日日曜日

大切なことはすべてサッカーが教えてくれた


必ず成し遂げたい目標がある。
目標を達成するために成長する必要性を感じる。
そして、人は努力をする。



僕は、努力には2種類あると思っています。


努力しているのに、結果が出ない。
努力しているのに、成長が感じられない。
努力しているのに、もっと努力しろと言われる。
生きていれば誰でもこのような経験があるのではないでしょうか。
こんな時はきっと、
1つ目の努力はできていても、
2つ目の努力ができていないのだと思います。
僕はそのことを、サッカーから学びました。
人生で最も悔しい思いをした日から今までの日々の中で、身をもって実感したのです。




去年の秋、リーグ降格という厳しい現実が東大ア式蹴球部に突きつけられました。
全身全霊を傾けて挑んだ後期リーグ戦。ありったけの情熱を捧げました。
しかし、降格から逃れることはおろか、最下位から脱出することさえできませんでした。
勝ちたいという強い思いは、同じ強さの悔しさへと姿を変えました。
もう二度と、こんな思いはしたくない。
「来年リーグ昇格を果たして東京都1部に復帰する。」
降格が決まった日からの、僕の必ず成し遂げたい目標です。
何よりも勝利を第一に考えて新たなシーズンを歩き出しました。
この目標をどんな時も見失わないようにと肝に銘じて。



目標を達成するためには、今の自分たちでは力が足りなすぎる。
大きく成長しなければならない。
ならばどうやって成長する?
去年の前期リーグを終えた時点で最下位。
自分たちの甘さを知ったはずのチームは、覚悟を決めて練習に励んだ。
全力を振り絞っていた。
しかし、後期リーグは前期にもまして苦戦を強いられた。
他のチームと比較して、成長のスピードも量も全く足りていなかった。
なぜだろう。


考えて考えて、行きついた答えはシンプルでした。
「基準の低さ」です。
人それぞれ、自分の中に「基準」があります。
サッカーで勝つためには何が、どのくらい重要なのか。どこまでこだわるべきなのか。
各々が頭の中で理解しているこれらの情報が、その人の「基準」です。
僕たちは、サッカーで勝つために必要な「基準」をまだまだ知りませんでした。
思い返せば、前期リーグを終えて僕たちが決めた覚悟は、
自分たちの基準そのものを高めたのではなく、
自分たちの今の基準をどれほど満たせるか、その割合を高めたに過ぎなかったのです。
成長とは、自分たちの中の基準を高めていくことに他ならないと感じました。
そして、基準を高めようと意識して努力しなければ、
「今の基準の中で頑張るだけ」という袋小路に陥りがちだということも身をもって知りました。



1つ目の努力とは、基準を満たそうとする努力。
2つ目の努力とは、基準を高めようとする努力。
ここでいう「基準を高める」とは、
今ある基準をさらに高めることのほか、
今まで自分になかった基準を取り入れることも含みます。
2種類とも欠かせない努力です。
ただ、人の心は2つ目の努力を見失いやすいようにできていると思います。
基準は、意識せずとも自然に高まってくれるとは限りません。



2つ目の努力の本質は、「知ること」だと思います。
知ることは、時につらく感じるものです。
30回やれば良い(と思っている)腹筋メニューを29回まで終えたとします。
1つ目の努力をここでするのは簡単なことです。
あと1回腹筋をするということです。
30回という基準を満たし、自分の中の「頑張ってる感」は
29/30から30/30=1へと増加します。
2つ目の努力は、感情に全く異なる作用をします。
「これってホントに30回でいいんだっけ?」
隣の奴にこう聞いたら、なんと50回やらなければならないメニューでした。
自分の中の「頑張ってる感」は、
29/30から29/50へと減少しました。
本質からずれた満足感を心に与えるために、人は1つ目の努力にばかり気を取られ、
2つ目の努力を見失ってしまいがちだと思います。



悔しかったあの日から、僕は2つ目の努力からも目をそらさないように意識しています。
サッカーについて、自分の基準の低さを知る毎日です。
この日々を乗り越えるには、根性が必要です。
根性とは、目標を見失わない力のことだと思っています。
嫌なことを我慢する力ではありません。
何のために努力しているのか、それを見失わなければよいのです。
自分の基準の低さを知ることは、過去の自分、今までの自分を否定されることでもあります。
これを辛いと感じてしまうのは、過去にプライドをかけているからでしょう。
本当に大切なのは、目標を達成する未来にプライドをかけて行動していくことです。


こんな日々がしばらく続くと、僕の心にも変化がありました。
サッカーが、前よりももっと楽しいと思えるようになったのです。
この日々の先に、サッカーの本当の楽しさがあると信じています。
物事の価値が根性で乗り越えて初めて見えてくる場合もあるということが、身に沁みました。



この後の人生でも、基準が高まる瞬間を、
そして自分の基準を高めてくれる存在を大切にしていきたいと思いました。
その存在とは誰か?
周りにいる全ての人です。
どれほど試合中に頭を使い続けられるか
どれほどミスなくプレーできるか
どれほど粘り強くいられるか
どれほどサッカーについて考えられるか
どれほどこだわれるか
どれほど自分を追い込めるか
どれほど情熱を捧げられるか
どれほどチームの未来を考えられるか
どれほど勝ちたいと思えるか
……
チームを強くするための「基準」はいくつもあります。
目を凝らして、耳を澄ませば、
周りにいる誰だって基準を高めてくれる存在かもしれません。
チームはこうやって互いに基準を高め合いながら強くなれるはずです。


ただ、ここで1つ気をつけなければなりません。
チームを1つの個人のように扱うならば、
チーム内で高め合うことは1つ目の努力にあたると思います。
そして、2つ目の努力にあたるのが、
チームから見て外の世界にいる存在にアンテナを張り、基準を高めていくことです。
チームも個人も、
1つ目の努力に終始せず、2つ目の努力に向き合い続けることで
成長できると強く感じました。









今までの人生で、僕はサッカーに色々なことを教わりました。
情熱を捧げ、真剣にサッカーに向き合い続けてきたからこそ、
深く考え、多くを学ぶことができたと思います。
大学サッカーには特に考えさせられることが多く、その分多くを教えてもらいました。
もしかしたら、書店を歩けば同じようなことを学べる自己啓発本に出くわすかもしれません。
しかし、サッカーを通じた実体験から学んだのとそうでないのとでは、
僕の人生にとっての重みがまるで違います。
それは、僕にとって最も大きな情熱を捧げられるのがサッカーだからです。


確かに、大学で部活に入ってサッカーをすることで他の何かの機会を失っているかもしれません。
しかし、その代わりに、僕の人生にとって大きな意味を持つ“学び”に出会える、
かけがえのない機会を手にしています。
人生で一番大切なことは、一番アツくなれるものが教えてくれます。
僕にとって、その“一番アツくなれるもの”がサッカーであり、
このチームで勝つことだからこそ、
今日も僕らはサッカーをするのです。





長々と偉そうなことを書きましたが、読んでくださった方々に感謝申し上げます。
新4年 副将
工藤 航